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アフターコロナの世界でオンライン飲み会は根付くのか?四十代のオンライン女子会の話。

いつの頃からだったろう、既婚か独身か子持ちかそうでないかによって自由になる時間帯や可処分時間そのものも人それぞれになり、歳を取るごとにいわゆる女子会みたいな事をする機会が減った。

いわゆる女子っぽい「わかるー」という共感コミュニケーションってライフステージが変わるとやりにくくなるし、その上介護や子育てなど家庭環境に振り回される立場にあるのは圧倒的に女性が多くて、世の中多様化してきてるから余計にややこしい。共感に依存しないけれども共感はする、あなたはそうなのね、ってところに共感しつつもでも私はこう、みたいな事が言える関係性を保てる相手というのはたいへん貴重だと思う。

個人的には十年ほど前に両親を亡くし、病気の母親と同居したり遺産分割調停をしたりしている中で、それまではそこまで疑う事もなかった親きょうだいに裏切られて死ぬほど悩まされ、疑いもしなかった私がバカだなと思ったりじゃあ今まで信じていた私は何だろうと思ったり、人間不信に陥った結果人付き合いを最小限にとどめている。人それぞれ色々事情はあるけれどともあれ、三十四十を過ぎても歳を追うごとに人付き合いが増えていくって人を私は知らない。

個別固有の事由によって付き合いが減ることはまた別の問題として、コロナ禍によって付き合いが減ることは不条理でしかない。けれどもコロナ禍によってオンライン飲み会という概念が根付きつつあるのは果報かも知れないともおもう。98歳で亡くなった祖母の言葉を思い出す、「長生きしてもいいことない、まわりの友達はみんな死んでしまった、さみしい」。もしかしたら祖母が生きてる時代にコロナがあってSNSがあってzoomがあればもっとつながれる相手がいたかも知れない。でも祖母とその子供や孫がもしも権力者だったら、権力に媚びる層は年寄りにzoom飲み付き合わされるのを断れず、地獄を味わうかも知れない。

ちょっと話がよくわからなくなってきた。

先日の四十代オンライン女子会で自分に用意したおつまみ

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左上から右回りにカマンベールチーズ、胡椒の塩漬け、鶏むね肉の梅肉あえ、フキの煮物。どれも冷蔵庫にあったものと作り置きのものだけどこうやって盛り付けてあげるとなんか自分に特別な時間が与えられた気分になった。友達と飲めたのも楽しかった。

ウィズコロナの世界でどういうタイミングでどういう世代に需要があるかはわからないんだけど、なんかこういう時間って大事な気がした。そんな直観だけ書き留めておく。

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