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小説「翔べ! 古代吉備の国へ」      -桃太郎と鬼のリハビリ物語-           



あらすじ
 岡山の病院に勤務している、理学療法士と看護師の若い男女二人が、老女からもらった勾玉の不思議な力によって、古代吉備の国にタイムスリップする。
 そこで桃太郎や鬼のモデルとなった人々と知り合い、友情を深めていく。桃太郎たちは、二人と一緒に、日本の歴史や現代の様子を自分の目で見ることにより、人間同士が戦うことが、いかに愚かなことであるかを悟る。
 そして、桃太郎たちは、協力して吉備の国を平和的にまとめていくことを誓う。
「和」の大切さを訴え、時代を超えた友情、家族愛を胸に、若い二人の距離も近づいていく。

舘 秀樹



プロローグ

 広い室内に、キーボードを叩く音だけが響いていた。十台以上のキーボードが静かなリハビリ室のBGMの役割を担っているようだ。明るく広いリハビリ室には、多くの電動昇降ベッドや、筋電図、下肢の筋力を計測する機器や身体の組成を分析する精密機器などが整然と並んでいる。
 しかし、患者の姿は、ほとんどなく、部屋の隅に並んでいるパソコンに向かって、白衣を着たセラピストが黙々と電子カルテに入力していた。キーボードを操作しながら隣同士で静かに会話をする声が、時折聞こえる程度で、活気にあふれていたリハビリ室は、静寂の中にあった。
「ねえ、大ちゃん。この肘、本当に怪我をする前のように曲がるようになるの?」
「大丈夫。俺にまかしとかんかい。ん? でも中には最後までは曲がらんケースもあるけどな」
「えーっ。そんなこと言わんといてよ」
 部屋の隅の電動昇降ベッドで、白衣を着た女性の腕を、療法士が動かしている。
「こればかりは、やってみんとわからん。でも、さっちゃんの折れたところは、関節よりはかなり離れているので、多分大丈夫だと思うよ。ん? まてよ…… 肘関節も脱臼していたからなぁ…」
「とにかく頼みますよ大ちゃん。いや、明神大先生!」
 リハビリをしているのは、この吉備中央病院に勤務している理学療法士の明神大輔。リハビリを受けているのは、同病院の救命病棟の看護師、山上さつきだ。
 さつきは、救命ヘリの専属看護師で、病院の屋上に設置されているヘリポートから飛び立ち、救急依頼を受けた患者をヘリコプターで医師と共に搬送する仕事をしている。つまり、あの一時期、テレビドラマで有名になった「コードブルー」の看護師なのである。
 ところが、患者を搬送し、病院の屋上に戻った際、急いでヘリから降りようとして転倒し、上腕骨と橈骨を骨折してしまった。
 その後、ヘリで搬送してきた患者と共に、救命病棟に運ばれ、緊急手術を受けたのだが、勤務している病棟に担ぎ込まれるという気まずい思いをしてしまった。このように、ちょっとおっちょこちょいのところはあるが、優秀な救命看護師である。
 明神は、このさつきと幼稚園から高校まで同じという幼なじみであることから、リハビリの担当を山内技師長から命じられたのだった。
 まだ、完全に治癒してはいないが、病棟の人員配置に余裕がないので、早期に仕事復帰をしているとのこと。今日は、日勤が終わってから、リハビリを受けたいので、特別に時間外に治療してもらっているらしい。
「ねえ大ちゃん、明日は休みだから、久しぶりに飲みにいかん?」
「えーっ! ダメダメ! 骨折が完全に癒合するまでは、お酒は飲まないようにって言ったやろ! お酒を飲んで再骨折した症例を二例も経験しとるからね」と、明神は伏し目がちに、再骨折させてしまった苦い経験談を話しだした。
 最初の症例は、二十代の男性、下腿の骨折で、手術後、順調に経過し、体重の半分以内であれば足に体重をかけても良いくらいに回復していた。それで土日に外出許可をもらって家に帰ったのだが、その夜、友人がやって来てお酒を飲んでしまったらしい。
 本人は缶酎ハイを二本飲んだだけだから酔うほどではないはずと言っているが、階段を降りる際に悪い方の足にしっかり体重をかけてしまった。
「ボキッ!」という音と共に転倒、救急車で病院に不名誉な帰還をしたのだった。当然、再手術となり、治癒したものの、退院まで通常の倍の日数がかかってしまった。
 二人目は、二十代の女性。同じく外泊時に、家でお父さんとお酒を飲み、足にしっかり体重をかけてしまい再骨折。しかも、この人は、足関節に近い所を骨折していたため、後遺症が残ってしまった。関節拘縮により足首が最後まで曲がらず、普通に歩くことができなくなった。
 大輔は、もっと注意をしておけば良かったと、悔いても悔やみきれなかった。
 後日、外来で彼女に偶然会ったのだが、
「障害者になったので、希望していた企業に、障害者雇用枠で就職することができました。ありがとうございました」と、逆に感謝されてしまい、なんともこれが、つらい記憶として残っているのだ。
 話し終わった明神の、つらそうな顔を眺めながら、
「わかった。治るまでは絶対に飲まないからね。治ったら焼き鳥おごるね」と言って、笑顔で手を振りながらリハ室を後にしたのだった。
 大輔は、さつきの治療を終えた後、ベッドの横にあるノートパソコンを開き、本日のさつきのリハビリ内容を入力した。
 その後、診療情報提供書のテンプレートを呼び出し、明日転院する患者のデータを電子カルテと照合しながら紹介状を作成し、プリンターに打ち出した。次に控室に行き、転院先の宛名を印刷した封筒に入れると、大きなため息をついた。
 このようなパソコンへの入力作業が本当に多い。中には、何でこんなことまで記録に残しておかないといけないのか、と疑問に思うことも少なくない。
 先日の病棟との送別会でも、
「パソコンに向かっている時間が多すぎるのよな。これがもっと少なくなったら、患者さんともっと向き合う時間が増えるのにな」
 と、病棟の看護師と一緒に、ぼやき合ったのを思い出した。いつも最後は、
「医療訴訟や保険の不正使用が原因なのは分かっているんだけど、どうしようもないよね」
 との結論のようなそうでないような締めの言葉て井戸端会議を終えるのが常だった。
 明神は、そのようないつもの不満を振り払うように、大きく深呼吸をして席を立った。リハビリ室を出ると職員用階段のドアを開け、階段をみあげた。
 この吉備中央病院は、吉備地方の中核病院で十二階建て七百六十床の三次救急病院である。
 大輔はリハビリ室と病棟の移動には、常に階段を使用している。三階のリハビリ室から大輔の担当病棟である十二階の血液内科までは、十階分階段を上らなければならない。単純には九階分なのだが、四階にある手術室の天井が高いため、一階分多く上がらなければならないのだった。
 大輔は、休日になると近隣の山に登るのを楽しみにしており、自称「低山専門登山家」と言っていた。そのため体力維持の目的で、職場での移動には階段を利用するように心がけている。それも一段とばし、調子がいい時には、二段とばしで階段を昇っていた。
 職員のほとんどはエレベーターを利用しているので、階段で職員とすれ違うことは少ない。それでもたまにすれ違うと脅威の目で見られるのだった。
 大輔は、階段の踊り場に書かれている「十一階」の文字を確認すると、階段室のドアを開けた。さすがに少し呼吸が乱れている。
 廊下に出ると十一階西にある整形外科病棟に向かった。明日、リハビリ専門病院に転院する三宅さんに紹介状を渡すためだ。
 三宅さんは、二週間前、家の中で、じゅうたんの端につまずいて転倒し、当院に救急搬送された。診察の結果、大腿骨頸部骨折と診断され、首藤先生に手術をしてもらったのだった。
 無事、杖で歩けるようになったが、一人暮らしなので、近々、リハビリ専門病院に転院することになったらしい。住所が、明神の実家のある吉備津神社の近くだったこともあり、昔の吉備津周辺の町の様子や、明神の子供の頃のことをよく話してくれた。
 一一〇七号室は個室で病棟の西の角にある。部屋に入ると、三宅さんは、ベッドに腰掛けて西の空を眺めていた。夕日が窓から差し込み、三宅さんの白い髪を赤く染めている。明神は、赤く染まった髪を見つめながらベッドのそばに近づいた。
「三宅さん、いよいよ明日は転院ですね。いろいろ楽しい話を聞かせてくれて、ありがとうございました。リハビリの紹介状を書いてきましたから、次の病院の先生に渡してくださいね」
 三宅さんは、明神の方に顔を向けながら、深々と頭を下げながら言った。
「ありがとう。明神先生には大変お世話になりました。おかげさまで歩けるようになりました。整形外科の首藤先生にも、親身になって診ていただいて、本当に感謝しています」
 三宅さんは、上品な白髪を手で整えながら、
「お世話されついでに、先生にお願いがあるのですが……」と言って、笑顔で明神の顔を見つめている。明神は、笑みを浮かべながら話の続きを促した。
「これを受け取って欲しいんです」
 と言いながら、ベッドの横にある床頭台の引き出しから何やら取り出した。
「三宅さん、気持ちはありがたいけど、患者さんからは、金品を受け取れないことになっているのですよ。本当にごめんなさい。気持ちだけいただいておきますね」と言って頭を下げた。
「いえいえ、これはそんな金品ではないのですよ。ちょっと見てくれますか?」
 三宅さんは、やや薄汚れた薄茶色の布袋から小さな石を取り出した。その石は、小指ほどの大きさで、海老のように少し曲がっている。色は灰色で光沢はなく、そこいらにころがっている普通の石のように見えた。
「これは勾玉なのよ。先祖からずっと受け継がれてきたものなの。でも、もう私は子供はいないので、これを託す人がいないのよ。よかったら明神先生にこれを引き継いでほしいの。明神先生は、ご実家が元神職だったし、子供の頃から知っているから信頼できるの」
 明神を見つめる三宅さんの眼には、真剣な光があった。明神は、その眼から逃れるように目を伏せ、
「そんな大切なものを預かることはできません。三宅さんの御親戚の方は、いらっしゃらないのですか?」
「親戚は誰もいません。もし私が死んだら、この勾玉は、そこいらの石ころのように捨てられるでしょうね。だからお願いしているの。後生だから預かってくれない?」
 三宅さんは、明神に向かって、手を合わせ、頭を下げている。数秒間の沈黙の後、
「わかりました。そういうことなら私が責任を持ってお預かりしましょう。父とも相談して、もしもっと適切に保管してもらえるところがあれば、そちらに依頼するかもしれませんが、それでもよろしいですか?」
「はい、後のことは、明神先生にお任せします。私は先生を信頼していますから……」
 明神は、笑みを浮かべながら、三宅さんの横に座った。このように受け持った患者さんから信頼されることは、理学療法士冥利に尽きる。明神は、この勾玉をしっかり受け継ごうと心に誓ったのだった。
 安心した表情になった三宅さんは、こんな話を始めた。
「いい伝えでは、この勾玉を日の光にかざしてみると、その中に吸い込まれ、古代吉備国の時代に行けるとのことなのよ」
 と言いながら、三宅さんは勾玉を夕日にかざして見つめた。
「でもね、私は何回も太陽にかざしてみたけど、な~んにも、起こらなかったわ。ふふふ。そんなこと起こるはずは、ないけどね」
 二人は並んで大笑いをした。窓の外には中国山地の特徴である、低くなだらかな山々が遠く連なっている。
 山裾にまさに夕日が沈もうとしていた。二人の顔は、夕日で朱色に染まり、そこには真っ赤な髪の老人と若者がいた。これから起こることを暗示でもするような不思議な光景だった。



ステージ Ⅰ

 勾玉

 翌朝、大輔はベッドの中で朝の光をまぶしそうに見上げながら、昨日の勾玉のことを思い返していた。大輔の家は、JR吉備線の吉備津駅から歩いて数分の高台にある。
 明神家は、明治時代まで、先祖代々この土地で、神職に携わってきたとのことで、農家でもないのに、家の敷地は、やたらと広い。といっても、大きな邸宅ではなく、古い普通の住宅だ。ただ、庭だけが、やたらと広く、山側は巨木に覆われている。
 しかし、南側の庭からは、JR吉備線や吉備の中山、そして遠くは倉敷まで見通すことができ、ちょっとした展望台になっていた。
 大輔は、二階の自室から、この景色を眺めるのが大好きで、天気のいい日には、窓を開け広げて、広大な吉備の平野を、よく眺めるのだった。
 大輔はベッドから起き、階下に降りて朝食を済ませると、昨日、預かった勾玉を袋から出し、じっくりと観察してみた。
 水滴が曲がったような形をしていて、丸い部分の真ん中に小さな穴が開けられている。色は灰色で艶がなく、ざらっとした触感である。
ーーそれにしても、何のへんてつもない石やなぁ。穴が開いているということは、ここに紐を通して、首にでもかけていたのやろか?
 大輔は、引き出しの中から登山用の細引きを取り出し、穴に通して首にかけられるように長さを調整した。
ーーよし。これで落とすことは、なくなったかな? それにしても、まったく光沢がないな。汚れているのかな? 汚れが取れると違った色になるかも……
 大輔は、ギター用のオイルをつけた布で、丁寧に勾玉の表面を磨きだした。すると少しずつ灰色の汚れが取れてきて、表面が緑色に変化してきたではないか。
ーーおっ! 少しきれいになったぞ。もう少し磨いてみようかな。
 新たに柔らかい布に換えて、やさしく磨いていくと、今度は、緑色だった表面が透明になり、ガラスのような質感に変化してきた。薄い緑色を帯びた透明な勾玉は美しく、それはもう宝石のような輝きを放っている。
ーーこれはすごい! こんな宝石のような勾玉だったとは……
 薄い緑の光を放ちながら、透き通るような透明な勾玉に変化し、大輔は声もなく、その美しさに見とれていた。朝日に当たって、きらきらと輝いている。
 そして、大輔は何気なく、勾玉を目の高さに持ち上げ、朝日にかざしながら、勾玉の中を覗き込んだ。その中は薄緑色の空間が広がっていて、その宇宙のような空間の中に、大小さまざまな惑星が浮かんでいる。
 大輔は、その惑星の間を飛んでいるような、なんとも心地よい感触に、うっとりとしながら、その中へ、そして奥へと沈み込んで行った。
 大輔は、再び、まばゆい光を浴びて覚醒した。ふと、われに返って周りを見ると、そこは自分の部屋ではなく、土の上だった。土の上に、はだしで立っていた。
 足元から視線をあげると、なんと目の前には、海が見えるではないか。日の光をきらきらと反射させながら、真っ青な海が広がっていた。
 大輔は、おどろきのあまり、思わず声を出しそうになった。高ぶる気持ちを抑えながら、まばゆい光に、まぶたを狭めて見返すと、遠くに点々と島影が見えている。かすかに潮の香りもしているようだ。
ーーここは、どこなのだろう? これは、夢なのだろうか? それにしても、きれいな海だなぁ。
 大輔は、心を落ち着かせるように、深呼吸をしながら左右を眺めると、大小の見慣れた岩が視界に飛び込んできた。
ーーあっ! 夫婦岩だ!
 それは、子供の頃から見慣れた、大輔の庭にある岩だった。周囲の風景は違っていても、この夫婦岩は、全く同じ姿かたちで鎮座していた。
ーーここは僕の家だ。でも、どうしてこんなに風景が変わってしまったんだろう?
 僕の家はどうなったんだろうと、後ろを振り返ろうとした時、
「おい! そこで何をしている!」
 後ろの方から、男の野太い声が聞こえてきた。おどろいて後ろを振り返ると、不思議な服装をした小柄な男が立っていた。変な髪形をしている。
 その後ろには、昔、歴史の教科書で見たような、屋根をわらで葺いた古い家が建っているではないか。床下が一メートルほど高くなっていて、丸太の柱が何本も見える。木でできた大きな高床式倉庫のような家だった。
「僕のことですか?」
「おまえに決まっとるやろが。わしの家で何をしとるんじゃ」
「えっ! わしの家って、ここは僕の家ですよ」
「何を言うか、おまえは誰じゃ、どこから来たんじゃ」
 男は、眉間にしわを寄せ、腰の刀に手をかけながら、たたみかけるように聞いた。大輔は、後ずさりしながら腰の刀を見つめている。
 それは、時代劇でよく見るような刀ではなく、真っすぐな剣だった。じわじわと男の殺気が漂ってきた。大輔は、頭を下げながら、震える声で言った。
「僕は明神大輔といいます。今までずっと、この家に住んでいました。本当です、信じてください」
 男は、しげしげと大輔を眺めた後、わずかに表情をやわらげ、
「ミョウジンダイスケ? わしの家も明神という氏だ。同じ氏をもっているのなら、親戚かもしれんな。それに、剣や弓矢などの武器は、持っていないようだな。おかしな格好をしとるし、とにかく屋敷の中に入ってくれ。話を聞こう」
 と言って、家の中に入るように言った。
 大輔は、その男の前に立たされ、いわれるままに、古いわら葺屋根の家に向かって歩いた。
 木でできた階段を上がって、家の中に入ると、薄暗く、湿り気を帯びた何とも言えない匂いが漂ってきた。
ーーなんだ? この匂いは、懐かしい香りだなぁ。昔のおじいちゃんやおばあちゃんがいた頃の、古い家の匂いがする。土や草、囲炉裏から出る薪などの香りが混ざって、なんだか心が癒されるような気がするな。
 大輔は、気持ちが少し落ち着いてくるのを感じた。改めて家の中を見まわすと、室内は思ったよりも広く、床には藁で作ったような敷物が敷かれていた。男は、そこに座ると、大輔にも座るように言った。
 大輔は、男の一メートルほど前に座ると、とりあえず頭を下げて、
「はじめまして、明神大輔と申します。急に気が付くとここに来ていました」
 と、再び挨拶を繰り返した。男は黙って先を促した。
 大輔は、三宅さんという老女から勾玉を預かったこと、磨いてそれを日にかざして覗いたら、ここに来ていたことなどを、詳しく離した。
 男は、しきりに首をかしげながら、話を聞いていたが、
「話がよくわからんな。しかし、同じミョウジン一族かもしれん。それにしても、その衣はどこの国のものか? でぇれぇ変わった格好をしとるな。この辺の国にはない色や形をしておるな」
 と言いながら、じろじろと大輔を上から下まで眺めている。
 大輔は、男に近づいて服を触るように勧めると、しきりと、フリースの上着やジャージのズボンを引っ張ったり、めくったりしながら首をかしげている。
 大輔は、だんだん心細くなってきた。
ーーどうしたら自分の部屋に戻ることができるのだろうか? やはり、あの勾玉を太陽にかざしたのが原因だろうか?
 そういえば、三宅さんが「この勾玉を太陽にかざすと、古代にいくことができるのよ」と言っていたな。もしかして、それは本当のことなのかもしれん。とすると同じことをすれば元に戻れるんじゃないかな?
 とにかく、こんなことをしていたら、どうにも話が前に進まないよな。
 大輔は男に向かって話しかけた。
「外でもう一度、同じように勾玉を覗いてみますから、私がどうなるか見ていてくれませんか?」
「よし、ええじゃろ。やってみられい」
 大輔は小屋の外に出て、男の見守る中、先ほどと同じように、勾玉を太陽にかざして中を覗き込んだ。
 すると、やはり中は、緑色の空間になっていて、いつの間にかその空間を漂っていた。しばらくすると、前方に、まばゆいトンネルのようなものが現れ、気が付くと、いつもの自分の部屋に戻っていたのだった。
 窓の外を見ると、いつもの景色がそこにあった。思わず「ふ~っ!」と安どのため息をつき、その場に座り込んでしまった。
ーー俺は夢を見ていたのだろうか?
 ふと足に違和感を感じたので、足の裏を見ると、土が付いて、ざらざらしているではないか。
ーー夢ではなかったんだな。とすると、これは、どういうことなんだろうか?
 大輔は、目を閉じて考え込んでいたが、ふと思いついたようにスマホを手に取った。



ステージ Ⅱ 吉備の穴海

 玄関の方で、何やら音がしたと思い、居間でテレビを見ていた大輔の父は、ソファから立ちかけたが、
「こんにちは。あれ? おばちゃんは?」
「なんや、さっちゃんかいな。家内は買い物に行っとるよ」
「そうなん? これ、おじちゃんの大好きな、木島屋の『たくあんパン』と『高菜パン』を持ってきたよ」
「お~っ! いつもありがとうな。お昼に食べさせてもらうわ。大輔は二階の部屋におるよ」
「じゃぁ、ちょっと失礼します」
 さつきは笑顔で、ぺこりと頭を下げると、階段を昇っていった。
 さつきの家は、大輔の家の近所で、子供の頃からよく行き来をしていた。お互いの両親も、二人が一緒になってくれたらと、ひそかに相談しているのだった。
 階段を上ると廊下があり、部屋が三つ並んでいる。突き当りの部屋は大輔の寝室で、中央の部屋には、机や本棚などが置かれている。一番手前の部屋は、納戸になっていて、洋服ダンスや座卓などが、整然と並んでいた。
 中央の部屋をのぞくと、大輔は椅子に座って、ノートパソコンの画面を食い入るように見つめている。さつきは、そっと近づいて画面を見ながら言った。
「大ちゃんが、古代史の勉強をするなんて、珍しいね。ところで、急ぎの相談ってなに?」
 振り向いた大輔は、にこりともせず、さつきの顔をみつめている。
「まったく、わけのわからないことが起こった。世にも奇妙な体験をしたんよ」
 大輔は、隣の椅子に座るように、さつきをうながして、ゆっくりと話しだした。
 病院で、三宅さんから勾玉を預かったこと、今朝、不思議な体験をしたことなど、勾玉を見せながら詳しく説明した。
「へえ~! この勾玉がねぇ~! きれいな緑色の石でできとるね。古代のものなら、新潟県の姫川で採掘された翡翠(ひすい)かもしれんね」
 さつきは、勾玉を、いろいろな方向から観察したり、触ったりしながら首をかしげている。すると今度は目の前に持ってきて、窓の方に頭を向けようとした。
「危ない!」
 大輔は、素早く勾玉を手で握ると、
「不用意に太陽にかざしたらいかんよ。大変なことになるかもしれんから……」
 と言って、勾玉を机の上に、そっと置いた。さつきは、大輔の真剣な表情を、しばらく見つめていたが、
「もう一度、最初から詳しく話を聞かせて。特に、勾玉を朝日にかざした後、別の場所に立っていたところから詳しくね」
 さつきは、持ってきたカバンを広げて、分厚いファイルとノートを取り出しながら言った。
「気が付くと、土の上に立っていたって言ったけど、場所はどのあたりかわかる?」
 大輔は、椅子から立ち上がると、窓の近くに移動し、指をさしながら話し出した。
「庭の左隅に、大きな岩と小岩が並んでいるやろ。この岩は、夫婦岩といって、昔から言い伝えられている大切な岩なんだ。
 あの時、僕が立っていたところにも、この夫婦岩があったから、場所はここだと思う。でも、景色が全然違うんだよ。目の前が、広い海になっていたんだ」
 さつきは、分厚いファイルから、古い地図を取り出して眺めていたが、ふと顔をあげると、
「大ちゃん、昔、この辺りは、すぐそこまで海やったんよ。『吉備の穴海』といってね、縄文時代から古墳時代まで、南北約五十キロメートル、東西約二十キロメートルくらいの、琵琶湖くらいの大きな内海やったらしいよ」
 おどろく大輔の顔を見ながら、さつきはさらに説明を続けた。 
「私たちのいる吉備津という地名も、以前は港だったという説があるの。『津』という言葉には、船着き場や港という意味があるんよね」
「そうなんだ。そういえば教科書で『熟田津(にぎたつ)に 舟乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな』という万葉集の歌を習ったような気がする。その熟田津も、今は道後温泉の近くで、海ではないと先生が言っていたな」
「吉備津という地名になったのは、戦後の町の合併の時で、その前は真金町だったのよ。
 でも、そのずっと前から吉備津神社や吉備津彦神社はあったんだから、昔、港だったという説は、私は正しいと思っているのよ。
 それに近くに『上東遺跡』があるのしっているよね。ここからは、弥生時代から古墳時代を中心として営まれた、集落の跡や波止場状遺構が見つかっているのよ」
 さつきは、自信満々の顔で説明をしている。
「そうそう、だから、古代の頃、ここから見える景色は、一面の海だったと思う。あそこに見える新幹線の高架橋の線路より向こうは全部海だったらしいよ。ところどころに島があるけどね。早島とか児島とかは島だったわけ」
「え~っ! そうすると、僕たちが通った医療短大がある、倉敷市の松島も島だったのかな?」
「たぶんね。倉敷医大や両子神社のある山や、短大があった小さな丘も島だったんやろね」
「ふーん、地名ってすごいね。ちゃんと意味があるんだ。最近は、市町村合併後に、変な名前になってしまった地域もあるけどね。それにしてもさっちゃん、めっちゃ詳しいね。そういえば……」
 大輔は、高校時代のさつきを思い出していた。彼女は、吉備高校の「古代史研究部」の部長をしていたのだった。文化祭では、教室に古墳の模型や、さまざまな土器の写真や解説を展示していたのだが、ほとんどの人は興味がないので、この教室は素通りしていた。
 ところが、運悪く間違って展示室に足を踏み入れた人もいて、そんな人を捕まえては、興味のあるなしにかかわらず、延々と古代史の説明をしていたのだった。大輔は、そんなことにならないように、展示室には近寄らないように注意していた。
 そのことを思い出した大輔は、改まって背中を伸ばし、低姿勢で訪ねた。
「それはそうとして、じゃあ僕は、いつ頃の時代に行ったのでしょうか?」
 さつきは、大輔の低姿勢に満足したのか、少し大きな声で得意げに答えた。
「そうよね、それがわからないとね。『吉備の穴海』があるということは、縄文時代から江戸時代までの間ということになるんだろうけど……」
 さつきは、しばらく、地図を眺めながら考えていたが、ふと顔をあげると、
「大ちゃん、その時、おっさんに声をかけられたんでしょ。そのおっさんは、どんな格好をしてたか覚えてる? 衣服とか髪形とか……」
 大輔は、記憶を呼び覚まそうとするように、目を瞑って考え込んでいたが、机の引き出しからコピー用紙を取り出し、何やら書き始めた。数分かけて書き上げたのは、不思議な服を着た人の絵だった。
 それを一目見た途端、さつきは、「あっ!」と絶句し、大輔の顔を、まじまじと見つめた。
「大ちゃん、本当に、この絵のような恰好をしていたの?」
「そうだよ。変な恰好しているなと思ったんだ。特にズボンの膝下を紐で結ぶなんて、見たことないし、髪形も女性のヘアスタイルだったしね。どうしたの? 深刻な顔をして」
 さつきは、分厚い古代史資料と書かれたノートを広げて、大輔の前に差し出した。
「大ちゃん、これは古墳時代の一般的な服装よ」
 ノートには、大輔が書いた絵と同じような姿をした男性の立ち姿が描かれていた。白っぽい柔道着のような上下の衣服を着ていて、両膝の上を黒っぽい紐で縛っている。
 上服はボタンではなく紐で止めるようになっていて、模様の描かれた紐で腰回りを縛っていた。手には日本刀よりは短く真っすぐな剣を持ち、何よりも特徴的なのは髪形だ。長い髪を真ん中で分け、左右丸めて止めていた。
 そして、その絵の横には、さつきのまるっこい字で、詳しい説明がぎっしりと書かれていた。さつきはその絵を指さしながら、さらに説明を続けた。
「大ちゃん、古墳時代というのは、いつ頃なのか覚えてる?」
「……」
「最初から説明するね。今のところ、三世紀中頃から七世紀までを古墳時代と呼んでいるのね。その頃になると、ヤマト政権による国内の統一が少しずつ進んできて、身分や職業によって服装が異なってきたのよね」
 さつきは、一番上の男性の絵を指さして言った。
「これが一般庶民の服装なんだけど、弥生時代後期の服装と、ほぼ同じなの。『貫頭衣』(かんとうい)と言って、布の中央に穴を開けたような服を着ていたの。男性はその下にズボン、女性はスカートのような『裳』(も)と呼ばれる衣服を着けて、腰紐で縛っていたらしいのよ。結構ちゃんとした服装でしょ」
「そうやね。毛皮をまとって、棒を持っている感じではないな」
「それは、石器時代でしょ! もう、何にも知らんのやから……」
「そんなことないよ、戦国時代や幕末、そして近現代史については自信があるよ」
 大輔は、憤慨した顔で語った。
「とにかく、小学校時代は、親がほとんどマンガを買ってくれなかったからね。家にあるマンガといえば、親が買ってくれた「漫画日本史」のシリーズだけやったんだ。だからそればかり読んでいたんだよ。
 何回も何十回も読んでいると、もう完全に内容を覚えてしまって、つまらないからお父さんに言ったんだ。『もう繰り返して読みすぎて覚えてしまった。新しい漫画を買ってよ!』そうしたら、おやじは、『そうか、それなら新しいのがいるな!』と言って、『漫画世界史』を買ってきたんだよ。これも十七巻あるからね。ひどい話やろ」
「それは失礼しました。大ちゃんのお父さんも歴史好きやもんね」
 大輔は、再びノートに描かれている絵を見ながら質問した。
「この服は、どんな素材でできていたのかな?」
「布の素材は、古くから麻が使われていたんだけど、この頃になると、大陸から蚕による養蚕の技術や機織り機が伝わってきたので、目の細かな布が作られるようになったのね。
 それに布の色も、藍や木染めなどで様々な色が用いられるようになったみたいよ。この女性の服も結構おしゃれでしょ」
 さつきは、さらに下に描かれている男女の絵を示して続けた。
「これは身分の高い人々の服装なの。一般の人々とは違うでしょ。男性は、上下が分かれていて、上着は『衣』(きぬ)という筒状の長袖シャツのような感じで、胸と脇の所を襟紐で結びとめていたみたい。
 ズボンは『袴』(はかま)と呼ばれていて、上着と共に腰紐を巻いて止めていたの。大ちゃんが、ズボンの膝下を紐で縛っていたというのは『脚結』(あゆい)という紐なのよ。この日もで縛ることで、動き易くなるように工夫していたみたいよ」
「なるほど。登山の時に使っているスパッツみたいなものやね。古代の人もなかなか知恵があるんやね」
「そんなこと言ったら古墳時代の人に失礼よ。これ見て、髪は『美豆良』(みずら)という髪形で、頭の真ん中で左右に分けて、それを束ねて耳の脇で結んでいたの。大ちゃんが見たのはこの髪形よね」
「そうそう、これだ! 女の人の髪形みたいだった」
「女性の服装は、上着は、男性の衣服と、ほぼ同じだけど、下はスカートのような物を履いて、腰帯で留めていたの。髪は頭上にまとめて結んでいて、男の人の髪形に比べると、比較的シンプルなヘアスタイルよね」
 大輔は、これらの説明を聞き終わると、大きく息を吐いた。しばらく考え込んだ後、さつきの顔を見ながら、
「これはもしかして、自分でも信じられんのやけど、タイムスリップとかタイムトラベルとかいう現象やろか? 小説やドラマに出てくるやつよ」
「うーん、最初は私をからかっとるんかと思っていたんやけど、大ちゃんの顔を見ていたら、本当のことなんだなと思いだしたんよ。こんなことが本当にあるんじゃねぇ」
 大輔は、勾玉を見つめながら言った。
「これは冗談でも嘘の話でもないよ。神様に誓って本当にあったことなんよ。これからどうしたらええんやろ……」
「うーん……」
 さつきは、額に手のひらを置いて黙考する。
 しばらくして、さつきは思い出したように「パンッ!」と手を打った。
「パンを買ってきたんやった。『タクアンパン』にする? 『焼きそばパン』にする?」
 大輔は、呆れた顔をしながら、焼きそばパンを手に取り、かぶりついた。さつきは、たくあんパンの包みを開けながら、
「私も古墳時代に行ってみたいな」と小さな声でつぶやいた。
「ねえ、大ちゃん、今度は、二人で一緒に古墳時代に行ってみようや」
「えーっ! どんなにして行くんよ!」
「一緒に勾玉を朝日にかざして、覗いたらいいんじゃない? 手をつないでいたら離れることはないだろうし……」
「でも、確実に戻ってこれる保証はないよ」
「大丈夫よ。今度は、食料をたくさん持って行ったらええやん。そうそう、動画や写真を撮れるように、スマホとモバイルバッテリーを持って行こう!」
「また、あのおっさんが出てくるかもしれんよ」
「出てきてもらった方がええやん。そうだ、おじさんに、この未来の世界のことが、わかるように資料を持っていこうや。私たちが、古代史研究部で作った古墳時代の説明動画があるよ。それから、何もって行こうかな……」
 もう、さつきは、浮かれてちょっとした旅行気分である。大輔はあきれ顔でパンを口の中に押し込んだ。
 それから二人は、何を用意するか、どんな服装にするか、細かく打ち合わせをした。決行は一週間後、場所は大輔の部屋としたのだった。



ステージ Ⅲ 吉備の国

 床の上には、所狭しと物が並べられていた。大輔とさつきは、それらを一つ一つ確認しながら、二つのザックに振り分けている。大輔は、登山用の大型ザック、さつきは小さなデイバッグを用意していた。
 すべて入れ終わると、お互いの服装を確認した。大輔は、学会発表用の紺色のスーツに白いワイシャツ。そして赤いネクタイを締めている。さつきは、花柄のブラウスに白いブレザーとスカート、首には真珠のネックレスをつけている。耳には、イヤリングが光っていた。
 さつきは、大輔の姿を横目で見て、笑いながら言った。
「大ちゃん、完全にこれからお見合いといった感じやね。でも、赤いネクタイとは、トランプ大統領みたいで、かっこいいやん」
 大輔は、さつきの変身ぶりに、少しおどろいた様子だったが、真面目な顔を作りながら答えた。
「さっちゃんは、これからお食事会といった雰囲気やね。華やかでいいんじゃないの」
「男性は、ある程度しっかりしたものを着ていないと、高貴な身分の人に見えないし、女性は、華やかにしていないと、見くびられそうなのよね。とりあえず、これでいいんじゃないかな?」
 この一週間、ラインで、あれこれ意見交換を繰り返し、準備万端とまではいかないが、なんとか準備が整ったのだった。
「それじゃあ、試してみるとするか。後悔はないですね。お嬢様?」
「はい! 大統領!」
 大輔は、覚悟を決めて深呼吸をした後、勾玉を首に掛て、窓の近くに立った。
「大ちゃん、ザックと靴を忘れてるよ」
 さつきは、床に新聞紙を広げ、大輔の靴を置いた。
 次に、さつきが右手で、デイバッグを取ろうとした瞬間、
「こらっ! 右手は、まだ重いものを持ったらいかんと言ったやろ。不注意な看護師さんにも困ったもんやな。本当にいかんよ! 気をつけんと……」
 大輔は、さつきのデイバッグを持ち上げると、立っている、さつきの肩にかけてやった。
 その後、大輔は靴を履き、床に膝をついて大きなザックを肩にかけ、ザックのバランスを確認するように体を揺さぶった。
 窓の前に立った二人は、緊張した顔で手を繋ぎ、顔を見合わせると、うなずき合って前を見た。
 窓の外を見ると、庭の左隅に夫婦石が並んでいる。その向こうには、緑の中山と吉備線の線路が見えた。ちょうど、総社行の列車が二両編成で、こちらに向かって走って来ているところだった。
 大輔は、さつきの手を強く握りなおして、
「じゃあ、勾玉を出すから、一緒に覗いてみるよ!」
 と言うと、紐で首に掛けた勾玉を、胸ポケットから出して、眼の高さに持ち上げた。
 さつきも手を重ね、二人は一緒に朝日に向かって勾玉を掲げた。窓の外からは、朝の白い日の光が二人を照らしだしている。光の線が勾玉を貫き、緑の光線となって二人の瞳に届いた。
「ほんと、緑の空間に浮かんでいるみたいやね。宇宙遊泳しているみたい」
 さつきは、いつの間にか二人が緑の光の中にすっぽりと包まれていることに気が付き、周りを見渡していた。
 周囲には、泡のような透明な、大小さまざまな大きさの星が、無数に広がっている。ふわふわと空中に浮かんでいるような心地よい感覚に、さつきは、うっとりと酔いしれているようだ。
 大輔は、覚醒させるように、さつきの手をしっかりと握りなおした。
 しばらくすると、先日体験したように、まぶしいほどの光のトンネルが前方に現れ、どんどん大きくなってくる。
 そして気がつくと、二人は、並んで外に立っていたのだった。
 大輔が横を見ると、さつきは、目を大きく見開き、前方に広がる海を見つめていた。
「海が…… 全部、海になっている。こんなことが……」
 さつきは、遠くに浮かぶ島々の形を、確かめるように眺めていたが、大輔の視線に気が付き、彼の眼の先を追った。大輔は、庭の隅を見ていたのだった。
 さつきは、はっとして、同じように庭の左隅を見ると、そこには、少し前に見たものと同じ夫婦岩が並んでいた。
「私たち、同じ場所にいるのよね。さっきと同じ場所に……」
 潮の香りを含んだ心地よい風が、二人の顔をなでた。耳をすませると、波の音が聞こえてくるようだ。さつきは、前方に見える島影を指さしながら言った。
「大ちゃん、あの向こうにある小さな島は、松島じゃない?」
「ほんとだ、でも俺たちの学校は、影も形もなくなってる。松島っていう地名は、大昔は本当に島だったんやな」
「早島や児島もそうなのよね。昔は島だったのよね。あの少し向こうの、大きいのが早島じゃないかな? とすると、ずっと向こうに児島があるはずよね。ちょっと写真撮っておこうかな?」
「それにしても、きれいだな。海が、まぶしいいくらいに、光かがやいているよ」
「本当にきれい! あのあたりが吉備津だったんやね」
 二人が海を見つめて感激していると、
「おい! おまえたち……」
 二人の後方から、いきなり大きな声が聞こえてきた。
「おどろいたな。この前、目の前から、霧のように、跡形もなく消えてしまったと思ったら、急にまた現れた。今度は嫁さんを連れてきたのか?」
 大輔は、はじけるように後ろを振り返った。さつきは、思わず大輔の腕をしっかりと胸に抱きしめた。
 振り返った二人の前には、先日の男が建っていた。そして、後ろには、前回見たのと同じ、わら葺屋根の古い家が建っている。
 それを見たさつきは、大輔の耳元で、
「大ちゃんの家がなくなっている」とささやいた。
 そこには、幅が十メートル以上もあるような大きな平屋の屋敷があり、その向こう側には、四角い形をした、やはり、わら葺屋根の小さな家が、大きな家を囲むように十数棟点在していた。
 大輔は、男に向かって深々と頭を下げ、
「先日は、挨拶もせず、急に帰ってしまって申し訳ありませんでした」
「そうや、目の前から急に消えてしまったので、わしは腰を抜かしてしもうたぞ! 村おさにそのことを話したら、そげなことがあるか、と笑われたんじゃ。でえれ~びっくりしたぞ」と言いながら、男は家の前から、こちらに歩いてきた。
 大輔は、敵意がないことを知らせるために、意識して笑顔を作りながら言った。
「すみません。今日は、そのことをお話しようと思って、友人といっしょに来ました。私たちの話を聞いていただけませんか?」
「なんじゃ。嫁ではないのか? ふうーむ……」と言い、二人の様子を上から下まで観察しながら、周囲を歩いていたが、ふと顔をあげ、
「まあ、ここでは目立っていかん。とにかく屋敷の中に入ってくれ。話を聞こう」と、屋敷の入り口を指さした。
 大輔がひとりで来た時には、余裕がなく、詳しく屋敷を観察することができなかったが、今回は、古代史に詳しいさつきが一緒なので、気持ちは、やや落ち着いている。
 横のさつきを見ると、まるで国宝にでも遭遇したかのように、おどろきと感嘆の表情で固まっていた。
 屋敷は、以前、観光旅行で行った吉野ケ里遺跡にあった主催殿や高床住居のように柱が何本も立っていて床下には一メートルくらいの空間があった。その上に土で作られた壁があり、窓が左右に一つずつ開けられている。屋根は、わらで葺かれていた。
 男は、二人の前を歩いて、家の正面に作られている木の階段を上って中に入った。部屋は、広く、正面の奥には、祭壇のようなものが設けられていた。
 前回、訪れた時と同じように、家の中は、ひんやりとして薄暗く、二人は入り口で立ち止まった。さつきは、あたりを見回しながら、つぶやいた。
「懐かしい匂いがするね。なんというか、子供の頃に遊んだ、納屋の中にいるような香りやね」
「僕も子供の頃を思い出したよ」
 男は、右の方に進み、部屋の隅に壁を背にして座った。木の床には、藁で作った敷物がしかれている。男は、その前に座るようにうながした。
 二人は、ザックを下ろしながら、ござの前で靴を脱ぎ、男の前に座った。男はやはり前回の時と同じような服装をしている。
 刀のようなものを、腰から抜いて左に置き、二人が座るのを見届けると、正面の大輔の顔を見ながら言った。
「まず、わしから聞こう。お前たちは、なんという名前で、一体どこから来たのじゃ?」
「私の名前は、明神大輔、横の友人は、山上さつきといいます。信じてもらえないと思いますが、千五百年くらい未来の世界から来ました。住んでいるのは、未来のこの場所です」
 男は、きょとんとした顔になり、首をかしげている。
 大輔は、ザックから、ノートとボールペンを取り出し。二人の名前を大きく書いた。
 男は字が読めないらしく、字と明神の顔を交互に見ながら言った。
「この前も確か、ミョウジンといったな。わしの家も代々、海の神をお祀りする神職をしていて、ミョウジンというのじゃ。わしの名は、アツシ。わしらは、親戚かなにかかのう。それにしても不思議なことがあるものじゃのう」
 アツシは、何度も首をかしげながら、大輔がさしだしたノートを見ている。
「わしには、まだよくわからんが、この紙や道具は、初めて見るものじゃな。もっと詳しく話を聞きたい」
 大輔は、勾玉を見せながら、三宅さんという老女から預かったこと、それからの不思議な出来事を、できるだけわかりやすく説明した。
 すると、ずっと先の世から来たことは、驚きつつも理解し、二人を神様の使者のように感じたらしく、急に改まったものいいになってきた。大輔は、
「もっと先の世の物をお見せしましょう」
 と言って、ザックからスマホを取り出し、窓の外の景色や部屋の中を、数枚写真に撮った。
 そして、すぐさまスマホの画面をアツシの前に置き、今撮影した画像を見せると、さらに目を見張って大輔を見つめた。
 次に、動画モードにして、自撮りしながら、自己紹介を行い、撮影した動画を再生すると、スマホからでてくる声に「ビクッ!」と身体を振るわせて、体をのけぞらせた。
「わかりました。わかりましたので、その神の使いの箱を、おしまいください」と言って平伏した。
 さつきは、アツシの顔色が、真っ青になっていることに気が付き、あまりの驚愕に身体が拒否反応を起こしているのだろうと分析した。さすがは救命救急認定看護師である。
 さつきは、優しくアツシの肩に手を置いて、笑顔を向けた。
「お近づきに、一緒にお菓子でも食べませんか?」といって、クッキーとあんパンをザックから取り出した。
 大輔は、アツシに、それを勧めながら、
「そうそう、アツシ様、私たちといっしょに食べましょう。美味しいですよ」と言って、クッキーの箱を開け、クッキーを自らの口に入れた。
 さつきも同じように、一枚取り出して口に入れ美味しそうに食べた。
「あ~おいしい! 大ちゃんお水は?」
 大輔は、クッキーの箱を、アツシの方に勧めながら、ザックの中から、天然水のペットボトルを二本取り出した。
 アツシは、しばらく思案していたが、おもむろにクッキーの箱に手を伸ばして、一枚を抜き取った。
 しばらく眺めまわしたり、匂いをかいだりしていたが、思い切ったように、かじりついた。そして、むしゃむしゃと食べながら、
「うまい!」と、大きな声を発した。
「これは、ぼっけぇ甘くて旨いな。このような美味いものを食べたのは初めてじゃ。この世の物とは思えないほどうまい! これはどのようにして作られているのでしょうか。ぜひお教えいただきたい。私の妻に作らせよう」
 さつきは、さらに、あんぱんの袋から、ミニあんパンをひとつ取り出して、アツシに渡した。
「これは小麦から作った饅頭です。食べてみてください」
 アツシは、ミニあんぱんを両手で押し頂き、やはり眺めたり、匂いをかいだりした後、口に入れた。
「おー! これは柔らかくて、なんともいい味ですな。こんな美味しいものが、この世の中にあったんじゃな……」
 二人は、アツシの、この世の物とは思えないほど美味であるとの感想に、笑みを浮かべ、顔を見合わせた。
 次に、大輔はペットボトルをアツシに差し出し、飲むように促した。彼はペットボトルを受け取ると、不思議なものでも見るように、眺めたり、揺さぶって中の水が動くのを見たりして、しきりと首をひねっていた。
 大輔は、自分の天然水のキャップを捩じって、ふたを開け、ゴクゴクと飲んでみせた。
 アツシはキャップを捩じることが、どうしてもできないらしく、困惑した表情だったので、大輔は、彼の手に自分の手を合わせて捩じった。
 アツシは、その行為に感激し、頭をしきりに下げている。飲むように勧めると、彼は、おそるおそる口に含んだ。
「これは普通の水ですな。でもこの器はなんという器でしょうか。ここで使っている土器とは、全然ちがう物ですな。とにかく軽い。そして、透き通っていて中が見える。不思議な器じゃな」
 アツシは、当初の強張った表情が解け、笑顔になっている。二人も緊張がとれ、笑顔でさまざまな質問をした。彼は、それに答えて、この村での生活のことや、周辺の村のことを話してくれた。
 この国は、吉備国といって、多くの村が集まって一つの国を形成しているらしい。
 ここを中心として東にも西にも、そして北の山の奥にも村があるとのこと。それぞれの村には、村おさがいて、年に二回、この吉備津に集まって話し合いをしているらしい。
 その時に祈りをして、さまざまなことを決めているということだ。その神事を執り行っている主催者が、ここの村おさの嫁の家で、筑紫の国の南にある、遠い山の神である阿曽の神の末裔で、阿曽姫様ということだった。そして、その夫が、ここの村おさをしているということらしい。その村おさの家や、山の神の主催殿は、このすぐ近くにあるとのこと。
 吉備国は、争いもなく、民は平和な暮らしをしているのだが、近年、他国からの侵略の気配があり、皆が心配しているそうだ。
 アツシは、ふと思いついたように、顔を外に向け、
「このことを、村おさにもお伝えしないといけないな。ちょっと報告してくるから、このままここで待っていてくだされ。村おさの屋敷は近いので、すぐに帰ってくるでな。でも他の人に合うといけないので、この家からは出ねえようにしてくだされよ。そうだ、妻に世話をするように言っておこう」
 彼は、家を出ると、隣の小さく粗末な小屋に入って行ったかと思うと、女性を連れて戻ってきた。女性は、部屋の入口で彼から説明を受けているらしく、驚愕の顔でこちらを見ている。
 それでも納得したらしく、小さくうなずき、こちらに向かって頭を下げた。
 アツシは、その女性を連れて二人の前に立ち、
「私の妻のサトです。あなたたちのお世話をするようにいってあるでな、何でも遠慮なく言ってくだされ。では、ちょっといってくるでな」
 そう言い残すと、アツシは外に出て行った。彼女は、もじもじしながら、その場に立っている。
 少し青みがかった長袖の上着を前で合わせ、スカートのような布を腰に巻いて、縞模様の帯で結び留めていた。髪は、頭の上で縛ってまとめ、色のついた、木の飾りのようなものを挿しており、大輔の母親に、少し顔が似ているように思った。大輔は、
「どうぞ座ってください。一緒に座って話しましょう」と声をかけ、座るように促した。
 彼女は、少し後ろに下がって座った。大輔は、自分たちの名前を告げ、彼女の名前を尋ねた。アツシの妻は「サトです」と、小さな声で答えた」
 さつきは、お菓子や、あんぱんを勧めながら、やさしく話しかけて、いつの間にか、サトもうちとけ、笑顔が見えるようになった。
 大輔は、いつの時代も、女の人は甘いお菓子に目がないんやな、と思いながら談笑する二人を見ていた。
 さつきは、あんぱんをかじりながら、
「ご主人は、村おさのところに行ったみたいですが、村おさのお名前はなんといわれるのですか?」と尋ねると、サトは笑顔で、
「はい、温羅(うら)様といわれます。この吉備国全体の集まりにも、意見をいわれる偉いお方です」
 さつきは、それを聞いて息を飲み、表情が固まってしまった。その後、ひとことも発しないさつきをいぶかって、大輔は振り返っていった。
「どうしたの? 急に黙ってしまって……」
「大ちゃん、村おさの名前を聞いたでしょ」
「うん、聞いたよ。ウラなんとか言ってたね」
「また、そんなノーテンキなことを言って。温羅というのは、あの有名な桃太郎伝説に出てくる鬼の名前よ。吉備津神社で、お釜の神事がおこなわれているの知ってるでしょ」
「あー! そういえば、鬼の名前は温羅だったっけ?」
 さつきは、あきれ顔で話し出した。
「おとぎ話『桃太郎』の話は、あまりにも有名なので知らない人は誰もいないでしょうね。その話は、単なるフィクションではなく、その元ともいうべき伝説があったのよね。それが私たちが良く子供の頃から聞いていた『温羅伝説』なのよ。大ちゃん、あまり覚えてないようだから、きちんと説明しようか?」
 大輔は、改まった顔をして言った。
「お願いします。サトさんもいるから、彼女にもわかるように話してほしいな」
 さつきは、例の古代史ファイルを取り出して前に広げた。そこには、世にも恐ろしい鬼の絵が描かれていた。さつきは、それをゆっくり読んでいった。
「むかしむかし吉備の国に、異国から恐ろしい鬼がやってきた。髪の毛は長く、燃えるような赤い色をしており、その眼は、獣のように、らんらんと光輝いていた。身長は四メートルもあり、腕力は計り知れず、空を飛ぶこともできた。朝鮮半島から渡ってきたその鬼の名は『温羅』(うら)と言った。
 温羅は、凶悪な性格で、吉備の近隣の婦女子を襲い、民の持ち物を奪ったりと、悪事の限りを行っていた。温羅は山の上に城を作り住んでいたが、人々はそれを恐れて「鬼の城」と呼んでいた。
 この悪行に耐えかねた民衆は、大和朝廷に助けを求めた。その結果、第十代崇神天皇は、彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)という武勇に優れた将軍を、吉備に多くの兵隊と共に派遣することにした。
 彦五十狭芹彦命は、中山に陣を構え、温羅に矢を射たが、温羅は大きな石を投げて撃ち落とした。そこで彦五十狭芹彦命が二本同時に射たところ、一本は岩で落とされたが、もう一本の矢が温羅の左眼を射抜いた。左目からは血が噴き出て川のような流れになった。(血吸河)
 たまらなくなり、温羅は雉に化けて逃げたので、彦五十狭芹彦命は、鷹に化けて追った。さらに温羅は、鯉に変身して逃げたが、命は鵜に変化して捕らえた。
 温羅は敗北し『吉備冠者』の名を彦五十狭芹彦命に献上した。この日より彦五十狭芹彦命は、吉備津彦命と呼ばれるようになった。
 その後、温羅は首を切られ、その首がさらされたが、討たれた首は、いつまでも恐ろしいうなり声をあげ、周囲の人を恐れさせた。
 吉備津彦命は、家来の犬飼武命に命じて、犬に首を食わせたが、静まることはなかった。困った吉備津彦命は、温羅の首を吉備津神社の釜殿の地中に埋めたが、十三年間うなり声は止まず、周辺の人々を恐れさせた。
 ある日、吉備津彦命の夢の中に温羅が現れ、温羅の妻の阿曽媛に、釜殿の神饌を炊かせるよう告げた。その時の釜の音で、これからの世のことを人々に伝えて、神事を執り行うと、うなり声は鎮まった。
 その後、温羅は吉凶を占う存在となったという(吉備津神社の鳴釜神事)。
 この釜殿の精霊のことを『丑寅みさき』と呼んでいる」
 さつきは読み終えると、大輔やサトの顔を交互に眺めながら、「こんな伝説が伝わっているのですけどね」と小さな声で言った。
「温羅という鬼は、怖いひとだったんやな」
 大輔がぼそりと言った。
 二人の話を黙って聞いていたサトが、急に顔をあげて言った。
「温羅様は、そんな鬼のような、お方ではねえです。誰にでもやさしく接し、困ったことがあれば、いつでも相談にのってくれます。村の皆のことを、一番に考えてくれています。こうして吉備国の皆が、安心して暮らせるのも、温羅様のおかげです。皆そう思っています。その温羅様を鬼だなんてひどすぎる」
 サトは、目に涙をためていた。さつきは、さとの手の上に自らの手を重ねて言った。
「私も、そう思いますよ。だって話のつじつまが合わないもんね。たぶん、ヤマト国の人が、都合のいいように、後で話を作ったのだと思いますよ」
 それを聞いて、サトの表情が少しやわらいだ。
「この話は本当におかしいと、私は思うのよね。それにひそやかに、吉備地方に伝わっている話は、かなり違っているのよ」
 さつきは、また話し出した。こうなると止まらない
「吉備の国は、たたら製鉄や新しい土器、農業など多くのすぐれた技術で物を作り出し、近隣の地方の人々と交易して繁栄していたの。
 その頃は、この吉備国、出雲の国、北九州の筑紫の国、そしてヤマト国が四大大国といわれていたのよね」
「僕らのいるこの岡山、いや吉備国はすごかったんやね。知らなかったなぁ」
 大輔は、おどろきの目でさつきを見ている。
「誰がそんな先端技術を開発したのかな?」
 さつきは、自慢げに話を続けた。
「そう! その優れた技術は、渡来人である温羅さんたちによって伝えられたものなのよね。朝鮮半島から何らかの理由で、この日本に逃げてきたらしいんだけど、温羅さんたちが、この吉備地方にたどり着いた時、吉備の人々は、温かく彼らをむかえたの。困っている彼らに、住むところや食べ物を与えて、ここで暮らせるように配慮してくれたのよね。
 温羅さんたちは、この吉備の人々に何か恩返しをしようと、自分たちが持っていた、製鉄やさまざまな知識や技術を伝えて、この吉備の人々の行為にこたえようと、がんばったのよ。その結果、吉備国が大いに栄えたということなの」
「え~っ! それって、さっきの伝説と全然違うじゃない!」
「そうなのよ。おそらくだけど、私の個人的な考えなんだけど、これは勝者によって作られた、嘘の伝説ではないかと思っているのよね。
 人類の歴史って、戦いと侵略の繰り返しといっても過言ではないと思うの。大国が小国に戦いをしかけ、戦いに勝ったら、大国が小国を併合して、さらに大きな国になるの。これが侵略よね。
 その時、人々をだましたり、虐殺したり、ひどいことをいっぱいしているんだけど、勝った方は、それをひた隠しにするのよね。歴史の記録を改ざんしたり、勝者に都合のいい伝説を作ったりするのよ。
 だから、よく言われるのが、「日本書紀」に書かれている内容と、地元に伝わっている記録とかなり食い違っている箇所があるというのよ」
「へぇ~そうなんだ。そういえば、幕末の歴史も、明治新政府側の書いた歴史書と、会津や幕府軍側の人が書いた記録では、かなり内容が異なっているよな。現在だって、世界のあちこちで戦争をしているけど、それぞれの国で、フェイクニュースを放ちあって、情報戦をしているしね。人間というのは何年たっても、おろかな動物なんだな。なんだか悲しくなってくるよ」
「ほんとよね。吉備の人たちに優しく迎えられ、恩返しに吉備のために一生懸命働いた、温羅さんたちを、鬼にするなんて、ひどすぎるよね。それに、鬼になって暴れているから退治して欲しいなんて、この吉備の人が、ヤマト国に言いに行ったりするわけないじゃん。困った鬼なんだったら、たたら製鉄などで吉備の国が繁栄することはないでしょうに、理屈が合わないよね」
 さつきは、怒りのこもった目で訴えている。これは、もう大変だ。
 大輔が何かを言おうとした時、階段を上る音が聞こえてきた。皆が振り返ると、アツシが笑顔で入ってきて、二人の横に座った。
「温羅様に、このことを話してきたでな。温羅様は、おどろいて、なかなか信じてもらえんで、よわったじゃ。でも、とにかくお二人にお会いして話を聞きたいといわれているんでな。すまんが、これから私と一緒に温羅様のところに行ってもらえんじゃろか?」と言いながら頭を下げた。
 大輔は、真っ赤な髪をした、四メートルもの大きさの鬼を想像し、おびえた顔でさつきの方を振り向いたが、さつきは、笑みを浮かべながら、
「いいですよ。今から一緒にいきましょう。ねえ、大ちゃん、いいよねぇ!」
 大輔は、何か言いたそうな顔をしたが、小さくうなづくしかなかった。
 屋敷の階段を降りると、アツシは、屋敷を右に廻って、小道を歩きだした。幅一メートルほどの土の道が屋敷の後ろに続いている。その小道の両側には、藁ぶき屋根の小さな家が、約十メートルほどの間隔をおいて並んでいた。
 家の形は様々で、教科書で習った弥生時代の丸い竪穴式住居や長方形の形をしたもの、高床式の倉庫のような建物など、統一感はない。屋根は、すべて、わらで葺かれていたが、壁は藁で覆われている物や土で作られているもの、木で組まれているものなど多種多様で面白い。
 家の内外には、様々な大きさの土器が置かれ、家の横には薪が積まれていた。食事の用意をしているのか、家からは、薄く紫色の煙が上がっている。家と家の間には、野菜を作っているらしく、小さな畑が点在していた。数人の男女がこちらを見ていたが、アツシが手を上げると、揃って頭をさげた。
 さつきは、先ほどから興味津々の顔で家を覗き込んでいる。薄暗い中には、人がいてこちらを見ているようだ。
「さっちゃん、あまりじろじろ見ると失礼だよ」大輔が咎めると、さつきは、ちょっと舌をだして、
「そうよね。はしたないわね。失礼しました。でも、この家、弥生時代の家に比べると、かなり進化しているみたいよ。この家を見てみて、他の家より一回り大きいし、壁が土でできているし、家の中も下に掘り下げていないみたい。カマドが作られているから燃焼効率はいいはずよ。
 それにカマドが壁の近くにあるから、結構使いやすそう。こういうのを確か…… そうそう『大壁建物』というのよ。四角形に掘った溝の中に細い木の柱を立てて、その上から土で塗りこめて壁にしているのよ。渡来人がこの形式で家を作ったと書いてあったわ。
 さっきの屋敷は、『掘立柱建物』だったわね。でもあれは、たくさんの柱で床をささえる『総柱建物』(そうばしらたてもの)というのかな?」
 さつきは、スマホを取り出して、そのあたりにある建物に近づいては写真を撮っている。建物の下の部分や屋根の構造、集落の配置など、あちらこちらに走り回って撮影に必死だ。
 大輔とアツシは、振り返って、あきれ顔だ。大輔はアツシに、もごもごと何やら説明をしているようだ。
 さつきは、ひとしきり撮影を済ませると、二人の所に走ってきて、満足した顔で言った。
「お待たせしてしまって、すみません。それにしても、いろいろな建て方の家がありますね」
「人が住む家だけじゃなく、動物を飼っている建物や、食べ物や道具を保存している倉庫もあるでな。最近は、丈夫な土の壁で作る家がおおくなったな。温羅様にいろいろ作り方を教えてもらったのでな」
 アツシは、そういうと、再び歩きだした。道は軽い上り坂で、左に回り込みながら続いている。約百メートルほど歩くと、前方を指さした。
「あれが温羅様の屋敷じゃ」
 広い敷地には、木造の立派な屋敷が建てられていた。
「あっ! すごい!」
 さつきと大輔は、広い敷地の中央にある屋敷を見て驚嘆の声をあげた。
 その建物は、高床式倉庫を大きくしたような形をしているが、屋根は神社のような形をしていた。左右十メートル以上もある板壁でできた建物だった。
 中央には、幅四メートル位の階段が設けられている。美しい神社のようだった。建物の左右には、高床式倉庫や板壁や土壁の住居らしき建物が立ち並んでいた。
 アツシは、中央の立派な神社風の建物に近づき
「この神殿で温羅様がお待ちしている。いっしょに入ってくれ」
 階段を上がり、神殿に入ると、中はとても広く、正面中央に祭壇のような棚が設けられているようだ。両側には、藁で作られた敷物がしかれており、かなりの人数がここに集まることができるようだった。祭壇の右を見ると、綺麗な帽子をかぶり、何色もの衣を着た女性が座っている。その横には、アツシと同じような服装をし、ひげを伸ばした男が座り、こちらを見ていた。
 アツシは、その前に座り、深くお辞儀をした後、
「先ほどお話した者たちを連れてまいりました。この者たちでございます」
 アツシは振り向き、近くに座るように促した。二人は、彼の右後ろに並んで座り、彼に倣って深々とお辞儀をした。
「明神大輔と申します。こちらは、私の友で、山上さつきと言います。ここに来た経緯については、アツシ様にお話ししたとおりでございます」
 前方に座っていたひげの男は、二人の声を聴いてうなずいた後、二人に頭を下げ笑みを浮かべて優しい声で言った。
「私は、温羅といいます。横にいるのは妻の阿曽姫です」
 大輔とさつきは、前に座っているひげの男が、温羅だとわかり、ほっとした顔になった。髪の毛は、やや栗色ではあるが、燃えるような赤ではなく、背丈も四メートルもあるような巨漢ではないようだ。この時代としては大柄なのだろうが、現代の尺度で考えれば普通の背格好にほかならない。
 温羅は、柔和な顔で話を続けた。
「あなたたちは、ずっと先の世からこられたと聞いたが、本当ですかな?」
 大輔は、
「はい本当です。約千五百年以上先の世界からやってきました」と答え、先ほどアツシに話したと同様のことを、首から下げている勾玉を示しながら説明した。
 温羅と阿曽姫は、話を聞きながら、おどろいたり、勾玉を眺めたりしながら静かに聞いていたが、温羅は笑みを浮かべながら尋ねた。
「何か証拠となるような、不思議な道具を持ってきているということじゃが……」
 大輔は、アツシに向かってたずねた。
「何をお見せすればいいでしょうか?」
「そうじゃな。まずはあれじゃ。神の使いの箱じゃな」アツシは、目を輝かせて言った。
「神の使い??」
「そうじゃ。あなたたちの声が出てくる、神の箱じゃよ!」
 さつきは、大輔の耳元で「スマホじゃない?」と言いながら、自分のスマホを取り出した。
 さつきは、スマホを構えると、大輔とアツシに向かってシャッターを押した。その後、動画モードにして撮影を続けながら、何かしゃべれと要求している。
 大輔は、アツシと肩を並べて自己紹介をした。さつきは、続けてスマホを回しながら屋敷の中を撮影し、最後に温羅夫婦を画面に収めた。
 温羅たち夫婦は、それらをいぶかしそうに眺めている。大輔は、さつきからスマホを受け取ると、再生モードにして、温羅夫婦の方に画面を向けた。黒い箱の中から、いきなり大輔とアツシの姿が映し出されると、温羅は、
「うわ~っ!」と大声で叫んだかと思うと、後ろにひっくり返った。画面の中には、屋敷の様子が映し出され、最後に、温羅と阿曽姫の顔が再生された。
 阿曽姫は、完全に目が点になって身体は硬直し、唇が震えている。その後ろで、ひっくり返ったままの姿で、頭を持ち上げ、顔を画面にむけている温羅の顔が見えた。
「その呪術は、妖術ではないのか? われの体は、その中に吸い取られたのではあるまいな?」
 阿曽姫は、震える声で言った。大輔は、スマホを床に置いて言った。
「これは、ただの道具でございます。土器や斧などと同じ、先の世の道具でございます。そのような妖術ではありません。ご安心ください」
 アツシも、その声に同調して、笑みを浮かべながら、
「ご心配は無用でございます。この者たちは、私の子孫でございますので、温羅様たちに危害を加えることは絶対にございません」と言った。
 温羅と阿曽姫は、顔をこわばらせながらも座りなおし、もう一度見たいと言った。二度三度と再生を繰り返すと、温羅たちも慣れてきて、身体を乗り出して画面を見つめている。二人が写っている場面になると、お互いの顔を見ながら微笑み合っていた。温羅は顔をあげて、大輔たちに顔を向けながら言った。
「先の世には、考えられないような道具があるのですな。いや~おどろきました」
 さつきは、
「温羅様は、大陸から鉄を作る技術をこの地に伝えたと聞いていますが、どのような道具を使われているのでしょうか?」と興味深々の顔で尋ねた。温羅は、
「この吉備には、砂鉄が豊富にあるので、それを利用して製鉄ができるように、その方法を皆さんに紹介しました。米などの作物を育てるための鍬や、馬に引かせる道具を作っています」
 それを聞いて、さつきはザックの中から数枚の紙を取り出しながら、大輔にも他の道具を出すように促した。
 大輔は、ゴソゴソとザックの中に手を入れて、いくつかの箱を取り出した。
「これは、私たちの時代の道具です。これが、ノコギリと言って、木を切る道具。そして、これは、ハサミと言って紙や布を切る道具です」
 と言いながら大輔は、白い紙を取り出し、ハサミを使ってギザギザに切って見せた。
 その切れ味におどろいた温羅は、小さなハサミを手に取ると感心したように眺めている。
 次に二つの箱を温羅の前に並べた。温羅は、それらを手前に近寄せると、箱を開けて、中に入っている、ノコギリを手にした。
 箱の中には、二本のノコギリが入っていた。大輔は、その両刃のノコギリと、携帯用の折りたたみ式ノコギリの使い方を詳しく説明した。
 温羅は、その説明を聞きながら、しきりに感嘆の息を漏らしている。
「とても細かな細工なので、残念ながら私たちには、とても作れそうもありませんなぁ。でも試しに、ちょっと木を切ってみたいのですが、いいですかな?」と言うと、立ち上がって、部屋の入口まで行き、そこに立てかけていた木の板に、ノコギリをあてて動かしてみた。
 その瞬間、「お~っ!」と、おどろきの声を発した。
 温羅は、元の席に座ると、他方の折りたたみ式ノコギリを手にし、ギザギザした刃に指を軽く当てて、その感触を確かめながら、
「すごい切れ味やなぁー!」
 と、つぶやいている。
 さつきは、先ほど取り出した髪を温羅の前に置き、説明した。
「これは、木挽鋸(こびきのこ)とか前挽大鋸(まえびおが)と呼ばれるノコギリで、木を縦に切って、板にするための道具です」
 と言いながら、紙に印刷している写真を指さした。そこには、ひと抱えもあるような太い丸太を、壁に立てかけ、木挽鋸(こびきのこ)を使って、幅二センチくらいの板に切っている様子が描かれていた。
「このように、ノコの幅が広いので、木目に沿って、木を真っすぐな板にすることができます。この木挽鋸は、温羅様の時代から、千年以上後になってから作られる道具です。こちらの真っすぐ長いノコギリの方は、二人で両端を持って、力を合わせて、押したり、引いたりして使います。
 この木挽鋸などは、鉄の部分の大きさが大きく、ノコの刃の形も大きいので、温羅様の技術で作れるのではないでしょうか?」
 さつきの説明を聞きながら、その横に印刷している絵や写真を見て、
「この絵は、見たままに描いていますな。とても分かり易い。これなら、ここでも作れそうじゃな。明日、早速、皆の衆に相談してみよう。これは貸していただいても、よろしいかな?」
「どうぞ、差し上げますので、ぜひ作ってみてください」と、さつきは、嬉しそうな声で言った。
 そして、はっと思いついたようにザックの中から、レジ袋に入った物を取り出した。
「阿曽姫様にも見ていただきたいものがございます。先の世の布でございます」
 レジ袋の中から出てきたものは、花柄のエプロン、色とりどりの紐や帯、髪飾り、スカートだった。それらを阿曽姫の前に並べると、部屋の中が、さっと明るくなったような気がした。部屋の中だけではなく阿曽姫の顔も輝いているではないか。
「まあ、きれい! このような美しい布を見たのは初めてです」
 さつきは席を立って、エプロンや髪飾りを阿曽姫の身体に装いながら言った。
「気に入っていただけたでしょうか。阿曽姫様に使っていただければ私も幸せです」
 阿曽姫の顔がさらに輝いた。
ーーやはり、いつの世も女性へのプレゼントはこういった物にかぎるな。とすると次は、お菓子かな?
 大輔は、ほくそ笑みながら、さつきの行動を見守っている。予想どおり、さつきは、大輔のザックから、饅頭と岡山のきび団子を取り出して前に置いた。
ーーやはりそうきたか。さっちゃんもなかなかやるな。それなら俺も……
 大輔は、ザックの中から日本酒とプラスチックのコップを取り出し、温羅とアツシの前に置いた。日本酒には、純米大吟醸のラベルが貼られている。
「私たちの世のお酒です。よろしければ、お口汚しに、いかがでしょうか?」
 温羅とアツシは、出されたプラスチックのコップを手に取り、おどろいている。アツシが、
「大輔殿、この器は、風で飛んでしまうくらい軽いですな。これは、どんな材料でできているのじゃろうか?」
 大輔は、大吟醸の包みを開けながら、説明した。
「これは石油という地中深くにある油からできています。特別な方法で、このように固めているのですが、軽くて強く割れにくい性質があるので、私たちの時代では、たくさん使われています」
 大輔は、大吟醸のお酒を二人のコップにゆっくりと注ぐと、二人はコップを鼻に近づけ香りをかいでいたが、おもむろに口に含んだ。その後の顔は、恍惚として、なんとも形容しがたい表情となっている。温羅が口を開いた。
「この酒は、なんとも言えない、良い香りがしますな。口に含んだだけで、身体の隅々まで染み渡るようじゃ」
「う~ん! ほんに、でえれ~旨い酒ですな~!」アツシも思わず、うなっている。
「大輔殿、このダイギンジョウというお酒は、どのようにして作っているのでしょうか? 私たちも、酒は作っていますが、とてもこのようないい香りはしません。それに口当たりも
もっと荒いのです」
 温羅の質問に対して、大輔は答えた。
「これは、元の大きさの半分になるまで磨いた米を使って仕込んでいるのです。それによって、このような果物のような良い香りがするのです」
「えっ! そんなに小さくなるまでコメを削るのですか? なんとも、もったいない話ですな」とアツシがおどろいている。
「削った米の粉は、水で練って焼けば、美味しい食べ物になります。蜂蜜をつけて食べると最高に美味しいですよ」
 二人は、「うんうん」と納得顔でうなづいた。
 大輔は、ポテトチップスと柿の種をザックから取り出しハンカチの上に並べると、それらを口に入れた。二人も同様に食べはじめると、もう完全に宴会モードになってしまっている。そして、美味しい酒とおつまみが、皆の口をどんどん軽くしていくのだった。
 このように時間を超えて移動し、別の時代の人と話ができるという、不思議な体験について、三人はその事実を受け入れながらも、半信半疑という共通の心を通わせたのだった。
 そして、いつのまにか五人は、和気あいあいとした仲間になっていた。
 頬をほんのりと赤くした大輔は、思い出したようにザックから、ガラスコップを取り出して、
「こちらは、ガラスという素材でできている器です。透明で中に入れている物が見えるのですが、優しく扱わないと割れてしまうのです」
 温羅は、ガラスコップを手に取ると、ゆっくり眺めた後、床にそっと置いた。ふと横を見ると、さつきと阿曽姫は、きび団子を口に入れながら笑って何やら盛り上がっている。
 温羅は、その様子を笑みを浮かべながら見た後、姿勢を正して大輔に話しかけた。
「大輔殿、いろいろ拝見して、あなたたちが千年以上先の世界から来られたことはよくわかりました。そのことを踏まえてお聞きしたいことがあります」
 大輔は、温羅の真剣なまなざしを受け止めるように座りなおし、背筋を伸ばして温羅の顔をみつめた。さつきや阿曽姫も二人の様子に気づき、温羅に注目している。
「あなたがたに教えていただきたいのは、これからのことです。私たちが大切にしている、この吉備の国は、これからどうなるのでしょうか?」
 温羅は、苦しそうに顔をゆがめながら話を続けた。
「実は、先日、ヤマト国から使者が来たのです。大君の命令によって、使者と数十名の兵士が、この吉備の地にやってきました。
 使者が言うには、ヤマト国に加わり、国をひとつにまとめることに協力するようにとのことでした。
 もとより私たちは、争いを好みません。一緒に国をまとめることについては、異論はなかったのですが、その使者の態度が、あまりにもひどかったのです。いたけだかなもの言いで、まるで、家来にでも話すような命令口調でした。思い出しただけでも、むしずがはしります。
 この屋敷で話を聞いたのですが、部屋に入るなり、勝手に、そこにある祭壇の前に座って、ふんぞり返っているではありませんか。皆は、あきれながらも、下座に座って話を聞いたのですが、それはそれは、ひどい内容でした。
 他の村おさも、このような無礼な人が、この吉備を支配するのだと思うと、情けなくなってきたようでした。
 そのうち、お酒を要求されたので、お出ししたのですが、気持ちよく酔ったのか、その場で寝てしまわれました。
 私は、隣の自分の寝所に戻ったのですが、翌朝、ここに来てみると、不思議なことに使者の方が、いなくなっていたのです。それも、使者だけでなく、兵士も船もすべてがいなくなっていたのでした。
 私は、黙ってヤマト国に帰ったのだろうと思いました。それにしても、何の挨拶もなく帰ってしまうのはおかしいとおもい、近くにいた村おさに尋ねてみました。すると、村おさは、頭をかきながら、
『こんなひどい人が来たら吉備はめちゃくちゃになる。いっそのこと、今晩、殺してしまおうなどと、他の村おさが集まって騒いでいたので、止めたのですが、もしかしたら、それらの騒ぎを聞かれてしまったのかもしれません』
 と、大変なことを教えてくれました。おそらく使者は、おどろいてヤマト国に逃げ帰ったのでしょう。ですから、私はこれからのことがとても心配なのです。これから吉備の国はどうなるのでしょうか? 大輔殿、教えていただけないでしょうか?」
 大輔は、困惑した顔を隠すように、さつきの方を振り返った。さつきは、大輔の気持ちを察して笑顔でうなづいた。
「これから吉備の国がどうなっていくのか、そして、ヤマト国や多くの国がどうなっていくのかについては、この山上さんが、よく知っているので、彼女に詳しく説明してもらうことにしましょう」
 温羅たち三人は、改めてさつきの方に身体を向けて頭を下げた。さつきも皆の方を見ながら頭を下げて、ザックから分厚いノートを取り出すと、その中から古代の日本地図を描いたページを広げて話はじめた。
「これが私たちのいる日本という国です。でもまだ今は、ひとつの国にまとまってはいません。ここが吉備国です。そして、北にあるお隣の国が出雲の国、西にあるのが筑紫の国です。これらの国は、皆さんもご存じですね」
 温羅たちは地図を見つめながらうなづいている。
「そして、これがヤマト国です。今の時代は、主にこの四つの大きな国と、その周りにある小さな国が散らばった状態で共存していました」
 温羅は、地図をみながら訪ねた。
「ヤマト国といってもそんなに大きなくにではないのですな。あんな偉そうな態度をしていたから、もっと大きな国かと思っていました」
 温羅の声に、阿曽姫やアツシはうなずいている。
「そうですよね。この時点では、そんなに大きな差はないと思います。四大強国の時代という感じでしょうか?
 でも、これからが違ってくるのです。まずは、これからどう変わっていくのか、大まかな流れをお話しますね」
 さつきは、話しながらノートのページをめくる。
「ヤマト国の大君は、全国に向かって統制軍を派遣し、大和朝廷という一つの国にまとめることに成功しました。
 その後は、日本という一つの国として、千四百年以上にわたって繁栄します。もちろん、それまでには、内乱や地方での小競り合いは、ありましたが、日本という天皇を中心とした国家は、変わることはありませんでした。天皇のおられる都は、大きく分けると、大和朝廷のあった、奈良から京都へ、そして今は東京という場所に移り変わっています」
 さつきは、地図を指さしながら説明している。続いて別のファイルから、新聞紙くらいの大きな地図を取り出してさらに説明を続けた。
「これは世界地図です。日本はここ! こんな小さな島国なんですよ。世界には、このように大きな国から小さな国まで合わせると、全部で百九十以上もあるんです」
 温羅たちは、世界地図を覗き込んで目を見開き、呆然とした顔でつぶやいた。
「日本という私たちの国は、こんなに小さいのですか? その中の吉備国は、このように、もっと小さいのですよね」
 温羅は、古代日本の地図を指でなぞりながら言った。
「でも日本という国は、小さいながらも一つにまとまり、ずっと、あなたたちの時代まで続いているのですね」
 温羅は、うんうんと何回もうなずき、安堵した表情になっていた。ふと顔をあげ、さつきの顔を真っすぐに見つめてたずねた。
「ヤマト国が、全国に統制軍を派遣して、一つの国に統一したと言われましたが、この吉備国は、その時、どうしたのでしょうか? ヤマト国と戦ったのですか?」
 さつきは、大輔の方を見て困ったような顔をしている。大輔もうつむいたまま声はなく、当惑を隠せない。温羅は、二人の表情の変化を察して、さらに話し続けた。
「何か私たちには、言いづらいことがあったのですな。私たちはかまいませんので、よかったら教えていただけませんかな?」
 さつきは、しばらく地図を見つめていたが、意を決したように顔をあげて温羅の方に向き直った。それから話した内容は、アツシの屋敷でサトに話した「温羅伝説」の話だった。
 真っ赤な髪の毛や四メートルもある巨体で空を飛ぶというところでは、苦笑していた温羅だったが、首をはねられ、うなり続けたことや、吉備津神社の釜殿での神事の箇所では、悲しい表情に変わっていた。
 この「温羅伝説」から、桃太郎というおとぎ話ができて、日本中で知らない人はいない話になっていることを話すと、なんとも呆れた表情になった。
「ということは、私はヤマト国の兵士と戦うことになるのですな」と寂しそうな声でつぶやく温羅に対して、
「いえ、それはわからないのですよ。「温羅伝説」にもいろいろあって、吉備津彦が、温羅が誠実で有能な人であることを認めて、一緒に吉備の人々のために尽くしたという話もあるのです。どちらが本当なのかは証明されていないのです。というのは、その頃は、文字がまだ普及していなかったのか、文書として記録が残っていないのです」
 それを聞いた温羅は、ぱっと明るく嬉しそうな顔になって言った。
「ということは、これから、吉備の人々や私が、どういう選択をするかは、わかっていないということなんですね」
 さつきは、ゆっくりうなずいた。さらに温羅は話し続けた。
「何度も申し上げるように、吉備の民や私たちは、戦いを好みません。戦いをしても恨みが残るだけで、問題の解決にはならないと思うからです。それにヤマト国が日本を統一し、日本という国がずっと続いていくのなら、私たちはそれに協力しようと思います。
 ですから、どうしたらヤマト国と戦いをせず、平和的に併合できるのか、その方法を一緒に考えていただけませんか?
 そして、これから、どのようなことがこの吉備国で起こってくるのか、詳しく教えてくださいませんか」
 温羅は、そういうと深々と頭を下げた。さつきは、うなずくとファイルをめくり、再び話し出した。
「先ほど、ヤマト国からの使者が怒って帰ったとの話をお聞きしましたが、おそらく、その使者は、尾ひれをつけて大君に上申するでしょうね。書物によると、ヤマト国の大君である崇神天皇が、四道将軍を任命して、全国に統制軍を派遣したとあります。
 この吉備国には、西道(山陽道)の将軍として、彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)が派遣されてきたと書かれています。この彦五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)が、後に吉備津彦命(きびつひこのみこと)となるわけです。
 ですから、いずれ、ここに彦五十狭芹彦命と大勢の兵士がやってくることになるでしょう」
「そして、私と、その彦五十狭芹彦命が戦うか、話し合って協力関係になるか、どちらかになるということなのですね」
「そうだと思います。ただ、そのことを書いている書物は「日本書紀」や「古事記」という名称の書物なのですが、ずっと後になって編纂されたので、書かれている年代と内容が一致していないことが少なくないのです。
 神話的というか、こういったら語弊がありますが、我々の時代では「フィクション」というのですが、はっきりいうと、「作り話」の箇所もあるのでは、といわれています。
 さきほど、日本書紀に、崇神天皇が、四道将軍を任命して、全国に統制軍を派遣した、と記述していることを紹介しましたが、このことは古事記には書かれていないのです。日本書紀というのは、対外的な目的で作られた書物なので、かなりヤマト国の権威をとりつくろうための歴史的に矛盾した記述が多いとされています。
 たとえば、『欠史八代』といって、第二代綏靖天皇から第九代開化天皇までの、八代の天皇は、古事記や日本書紀に、その系譜が記されているものの、その多くが後世の創作によるものと見られているのです。
 こういった書物は、勝った国に都合のいいように書いていることが多いのです。ですから、いつ頃、統制軍がくるのか、誰が命令して、誰が来るのか、ということは、はっきり申し上げられないのですよ。ごめんなさい」
 温羅は目を閉じて、腕組みをして考え込んでいる。何分たっただろうか、彼は眼を開けると、ゆっくりと話し出した。瞳には強い光がやどっていた。
「もう二十数年になるでしょうか。私は、若い頃、大陸の百済という国の王子でしたが、戦いに敗れて、この国に仲間と共に移ってきました。この吉備の人々は、私たちを快く迎え入れてくれました。行くあてのない私たちに対して、食べ物や住むところを用意してくださり、とても親切にしてくださいました。本当にありがたかったです。
 私たちは、このご恩に報いるために、吉備の人々のお役に立てることはないかと考えました。思いついたのが製鉄や須恵器、農耕の技術です。この地方には、砂鉄が豊富にありますので、それらを利用して、鉄を製造し、それらを使って、鍬(くわ)や馬がひく鋤(すき)など、さまざまな道具を、皆さんと作りました。
 そして、それらの道具で近隣の国と交易をしたり、農作物を作ったりして、今、皆は平和で幸せな暮らしを営んでいます。この平和な暮らしをいつまでも続けていきたいと、吉備の皆は思っているのです。
 ですから、ヤマト国とも、うまく協力していきたいと願っています。製鉄の技術や農耕の方法などについては、お教えしてもいいと思います。それらの技術が、日本の国全体に広まれば、国中の民が助かるのではないでしょうか」
 大輔は、温羅の話を聞きながら、感動し胸が熱くなってくるのを感じた、温羅たちの眼には、涙が光っていた。彼らだけでなく、さつきの瞳もうるんでいる。大輔は、思わず温羅の手を握っていた。
「吉備国が、一滴の血を流すことなく、この国の統一に参加できることを、私たちは祈っています。温羅さんが、皆を導いてあげてください。お願いします」大輔が重ねた手の上には、涙が落ちていた。
「吉備津彦命は、この下の中山のふもとで、ずっと暮らして、最後まで吉備国と民のために、力を尽くしたと記述されています。
 そして、なんと二百八十歳で亡くなったということです。年齢は、完全にフィクションだと思いますが、吉備国とヤマト国の統一の後も、しっかりと吉備国のことを考えてくれていたことは、事実のようです。
 だから、吉備津彦命さんは、先日来た使者のような人ではないと思いますよ」
 さつきは、笑顔で言った。
「さあ、これからのことを祈念して、みんなで乾杯しましょう!」
 さつきは、皆のコップを中央に集めて、大輔を促した。大輔は、
「そうやね。乾杯しましょう! でも、待てよ…… お酒は、もう全部飲んでしまったなぁ」
「大ちゃん、コーラでいいんじゃない?」
「そうか、その手があったか。コーラも持ってきたんだった」
 さつきは、大輔からコーラを受け取ると、みんなのコップに、少しずつ注いでいった。温羅たちは、「ジュワ~ッ」と音をたてているコーラを、不思議なものを見るようにみつめている。
 大輔は、はっとしたが、そのことには、わざと何もふれず、
「これからも、平和な吉備国が続きますように! 乾杯!」と言って口に含んだ。温羅たちも「乾杯!」と言いながら、おそるおそる口に含んだ。
「うお~っ!」
「お~っ!」
「きゃ~っ!」
 三人三様の反応に、大輔とさつきは、思わずふきだした。
「この、せんじ薬のようなものは、いけませんな」
 アツシは、眉毛を引きつらせている。
「口の中が破裂しそうで、こりゃおえん!」
温羅もつらそうだ。
「ん~ん~!」と眼を白黒させながら必死の形相なのは、阿曽姫だった。
「これは、コーラといって、私たちの時代では、一般的な飲み物なんですよ。炭酸といって、泡がでるように工夫している飲み物で、決してせんじ薬ではありません。どうぞ安心してゆっくりお飲みください」
 一同、大笑いをしながら、挑戦していた。皆の楽しそうな顔を見ていたさつきが、思い出したように言った。
「大ちゃん、そろそろ戻らないといけないね」
「そうやね。吉備の国とヤマト国は、うまくいきそうだし、そろそろ失礼しようか」
 さつきと大輔は、温羅たちに、もとの時代に戻らないといけないことを説明し、ほかに持ってきた、ノートやボールペン、鉛筆、岡山のカラー旅行ガイドブックなどを手渡した。
 これらの物が、温羅の話に説得力と根拠をもたらすだろうと考えたからだ。他の村おさを説得するためには、これらの道具が役に立つかもしれない。
 大輔とさつきは、席を立つと軽くなったザックを背負った。
 温羅たちが立ち上がると、大輔は、温羅に近づいて硬く手を握った。
「あれ? 私と同じくらいの背の高さですね。もっと大男かと思った」
「私は鬼ではありませんよ。空も飛べません!」
 二人は手を強く握り返しながら、大笑いをした。
 もとの世界に戻るためには、同じ場所から勾玉を見た方がいいだろうとの大輔の話を聞いて、皆でアツシの屋敷に戻ることになった。
 温羅の屋敷から外に出ようとした時、さつきが、
「ちょっと待って!」
 と言って、スマホを取り出したかと思うと、屋敷の中や、屋敷の外観、敷地のまわりなどの写真や動画を撮影し始めた。屋根の細部や柱の木組みの様子など、細部にわたって記録している。屋敷の内外の隅々まで、熱心に動き回ったかと思うと、満足げな顔で、
「お待たせしました」
 と言いながら戻ってきた。
 おどろきと、あきれ顔で眺めていた大輔と温羅たち三人は、談笑しながら、ゆっくり小道を降りていった。さつきは、時々立ち止まっては、周囲の風景の撮影を続けている。
 途中にある小さな小屋の周辺では、畑を耕したり、水を甕に移し替えたりと、多くの人々が忙しそうに動き回っていた。それでも、温羅たちが、その横を通ると、笑顔で頭をさげる人や、近寄って話しかけてくる若者がいて、とても穏やかな暮らしをしていることがわかった。
 大輔とさつきは、皆の穏やかな表情を見て、心からこの吉備の国が好きになってきたのだった。

 夫婦岩の近くに戻った二人は、温羅、阿曽姫、アツシと、順番に手を握り、別れを惜しんだ。
 そして、大輔とさつきは、並んで温羅たちに、深々とお辞儀をして最後のお別れをした。
 頭をあげると大輔たちは、皆から少し離れた所に移動し、太陽の方に体を向けた。そして、大きく深呼吸をした後、並んで手を握り、勾玉を日の光にかざした。
 その瞬間、緑の光が二人の瞳を貫き、勾玉の中に溶け込んでいった。そして、まばゆい光のトンネルをくぐると、そこは大輔の部屋の中だった。
 窓の外を見ると、総社から来た、赤い二両編成の列車が、吉備津駅に停車するところだった。
 大輔の部屋に、無事戻れたことを確認した二人は、ヘナヘナとその場に座り込んでしまった。
「大ちゃん、私たちすごい体験をしてしまったね。今のことは現実のことなのよね」
 さつきは、ポケットからスマホを取り出し、写真を確認している。そこには、温羅たちや、様々な形をした家が写っていた。写真を見終わったさつきは、
「あっ! ほとんど時間が経ってない! というか、ここを出発した時間と変わってないよ。古墳時代で過ごした時間は、こちらではカウントされてないんやね」と感嘆の声を漏らした。大輔もスマホを確認して驚愕している。
「そういうことなら、もっとゆっくり観察してくるんだった。庶民の家の中の様子や、他の集落の様子なんか、興味あったのになぁ~。それに古墳はもう作られているのかな? どんなにして作っているのか見てくるんだった。二時間くらい歩いたら古墳のあるところまで行けたとおもうんだけどなぁー、残念! 残念!」
 大輔は、あきれた顔で横のさつきを見ている。首にかけた勾玉を、机の上に置きながら、
「僕はもう疲れたよ。一日分仕事をした感じだ。さっちゃんは元気やなぁ」
「そうそう大ちゃん、阿曽姫も首に、それと同じような勾玉をかけていたね。あの時代の女性のステータスなのかな?」
 二人は、吉備の国が平和的に、ヤマト国と合併できそうなことを本当に喜んだのだった。二人は、後日、今日のことを記録しておこうと約束して別れた



ステージ Ⅳ 緑光

 あれから一カ月が過ぎ、二人は通常の生活に戻っていた。急性期病院は、いつもあわただしく動いている。平均在院日数が一週間以内なのだから、リハビリを受ける患者さんも、頻回に入れ替わるため、リハビリ室の中は、いつもバタバタしている。
 大輔が、リハビリ室の時計に眼をやると十一時二十分になっていた。ベッドサイドの患者さんの所に行こうと席を立ったのだが、ふと今日の午前中、さつきの整形外科受診予約が入っていることを思い出した。
 再び席に座りなおして、電子カルテを開くと、整形外科の診察は、すでに終了していた。首藤医師の記事に目を通す。骨癒合は良好、関節可動域や筋力も特に問題なく、今日でリハビリも終了とのことであった。安心した顔で大輔がリハビリ室の入口の方へ目を向けた時、ポケットの院内PHSが鳴り、受付のクラークの声が耳に飛び込んできた。
「山上さんが、リハビリ受付に来られました」
「中に入ってもらってください」
 リハビリ室に、漫勉の笑顔でさつきが入ってきた。今日は、深夜あけなのか白衣のままである。
「骨も、ばっちり癒合しているし、ROM(関節可動域)も筋力も問題なしっていわれたよ。もうリハビリも終了していいらしいよ」
 大輔は、
「良かったね。肘関節の屈曲制限が残ると困るなと思っていたけど、腕の良い理学療法士に治療してもらって良かったね」と笑いながら答えた。
「腕のいい理学療法士の先生、ありがとうございました。ところで、骨も着いたことだし、お待ちかねの、例のやつはいかがいたしましょうか?」
「え~っ、何だっけな……」首を傾げながら、笑いをこらえる大輔に、さつきは、
「もう! そういう意地悪は、せんのよ。今日、早速飲みにいこか? 私は、明日休みだし、大ちゃんも休みやろ?」
「はいはい、わかりました。ちょっと待って!」大輔は、スマホのスケジュール表をみて、五時以降に研修会や勉強会の予定がないことを確認して言った。
「今日は、僕の家でお祝いをしようや。松島の医大の前に、テイクアウト専門の焼き鳥屋があるんやけど、これが結構美味しいんよ。種類も豊富やしね。ヤゲン軟骨やズリは最高やで。さっちゃん、これから帰って睡眠やろ。起きたら僕の家に来てくれる?」
 さつきは、リハビリでの最終評価を受けた後、ルンルン気分で帰っていった。

 大輔の父は、極めて多趣味で、家庭菜園や歴史研究、史跡巡りなど、家にいる時は必ず何かをしている。
 特に、自然木を使った家具製作はプロ級で、先日も、作成した椅子を売って欲しいと、通りがかった人に言われたと、どや顔で自慢していた。
 その父の自慢のひとつが、家の西側に作っている「酒楽庵」と名付けたバーベキュー会場である。
 友人にもらった耐火煉瓦を使って、焚き火用のカマドを作り、七輪や鉄製のバーベキュー台を設置している。その周りには、杉の間伐材を使って自作した木製の椅子を配置し、いつでも焚火をしながらバーベキューができるようにしていた。
 それだけではなく、鉄工所に努める友人に、設計図を渡して、格安で雨避けの屋根まで自作している凝りようだ。
 とにかく、お金を使わず、工夫して作るのが好きらしい。大輔は、ここで焚火をするのが大好きで、最近は、父より使う回数が多いと思っている。
 今日も、お気に入りの焼き鳥屋で、いろいろな種類の焼き鳥と、おつまみを買い揃えて準備万端だ。
 焚火の炉と七輪に、小枝を入れて、火をつけると、木の燃えるいい香りと、はじける音が聞こえてきた。横にある木製の料理台には、今日の食材が置かれ、調理台の下に置かれた超小型のブルートゥーススピーカーからは、ナチュラルギターの心地よい音が響いている。
 西の空は日が落ち、夕日で赤くそまっていた。今日は、風もなく、絶好の焚き火日和になったなと、ひとりほくそ笑んでいたら、
「遅くなりましたぁ~。あら、もう準備、ばっちりやね。はい、これ、ミックスナッツと缶酎ハイ。この度は、大変お世話になりましたぁー! なんちゃって、うふふ」
 さつきが、古びたジーンズと、これまた作業着のようなグレーのジャンパー姿でやってきた。焚き火の際の飛び火を心得た、ベテランの服装だ。
 大輔とさつきは、早速、缶酎ハイを手にして、乾杯をした。七輪で焼き鳥を、あたためなおしたり、やみつきキャベツをつまんだり、二人には、自由に自分の食べたいものを、食べたい量だけ焼くという、暗黙のルールがあるようだ。
「あれから温羅さんたちは、どうしてるかな? うまくヤマト国の人と話し合いができたのかな?」
 さつきが、ヤゲン軟骨を口に運びながら言った。
「さっちゃんが、あれだけ詳しく説明したんだから、多分今頃は、吉備津彦命さんと、うまくいっているんじゃないかな?」
 大輔は、胸のポケットから勾玉を取り出し、懐かしそうに眺めながら言った。
「そうよね。そうだといいんだけど……」
 不安顔のさつきに大輔は、たずねた。
「まだ、何か気になることがあるの?」
 さつきは、小枝を焚き火の中に入れながら言った。
「温羅さんの話を聞いていて思ったんだけど、ヤマト国の使者の人が気になるのよね。戦いになるか平和的に収まるのか、使者の態度や条件でかなり違ってくると思うの」
「それは言えるな。幕末にも同じようなことがあったよ。戊辰戦争の時、奥羽鎮撫総督府下参謀として東北の地に派遣された者が、福島の妓楼で暗殺された事件があったな。会津討伐のために、仙台藩や米沢藩と話し合ったんだけど、新政府軍の参謀が、傲慢な態度で、奥羽の各藩を侮辱したような言い方をしたために、憤った仙台藩士らが彼を暗殺してしまった。
 この暗殺によって、『奥羽列藩同盟』を結ぶ結果となってしまい、東北の地が戦乱状態へ向っていったんだ。当初は、新政府軍に従うつもりだった東北の各班は、彼の傲慢な態度によって、新政府軍に対抗することにしたという、なんとも残念な結果になったんだ。もっと頭のいい使者を送っていたら、無駄な殺し合いをしなくてすんだものなのにな。使者の役割は大きいよね」
 さつきは、大きくうなずきながら話を続ける。
「そうよね。それにヤマト国が諸国を統一する過程においては、結構、汚い手段を使っているのよ。だまし討ちをしたり、約束を守らなかったり、勝つためには、ひどい手段を使うこともあったみたいよ。
 でも、これはヤマト国が書いた書物には書いてないけどね。地方の言い伝えや、古い地方の書物に残っていたりするのよね」
 大輔は、うなずきながら言った。
「それは、現在でも一緒だよね。戦いについては、フェイクニュースが飛び交い、何が真実の報道なのかわからない。虐殺やだまし討ちなどもしているようだし、人間というのは、何年たっても変わらない、愚かな生物だなと思うよ。悲しいことだけど……」
「勝てば官軍て言葉があるように。勝者が歴史を作りだしてきたのよね。それにしても、戦いをして一番かわいそうなのは、普通の庶民よね。闘うのは何の罪もない庶民だし、勝っても負けても、上の人がかわるだけのような気がする」
「そうだよね。戦国時代に有名な『川中島の戦い』というのがあったよね。武田信玄と上杉謙信の因縁の戦いとか言われているんだけど、この戦いは壮絶で何千人も死んだんだ。この戦いにしても、どっちが勝っても庶民には、何のメリットもないんだよな。トップが、武田信玄になるか上杉謙信になるかということだけなんだから。戦いなんかしなければ、誰も命を落とさずにすんだのになと思うんだ」
「戦いをして、身近な人が殺されることにより、憎しみが生まれる。それを晴らすために闘うんだ。憎しみが新たな憎しみを産み、末代までDNAに刻み込まれる。
 たとえば、明治維新の薩長軍と会津の戦いでは、会津城下で無残な殺戮や窃盗が起こった。会津は、教順の意思をあらわしていたのに…
 今でも、その恨みは、子孫に受け継がれているようなんだなぁ。
 以前、友人と会津に旅行に行った時、ホテルのレストランで、仲居さんに尋ねたことがあるんだけどね、『鹿児島の人が来たら、刺身の数を減らしたりするのですか?』と聞くと、『それはありませんが、部屋を出る時に、薩摩の人のスリッパを踏んでやりましょうかね』と笑いながら言っていたよ。まあ、冗談だろうけどね。
 それから、会津の鶴ヶ城に行った時も、城のガイドさんが、『婚姻の際、相手が鹿児島だと、いい顔はされないみたいですよ』と言っていたよ
 戊辰戦争で、敗北した幕府軍を討った、中心の藩は、薩摩と長州。これは、関ヶ原の時の、徳川幕府への恨みが込められていると言われているから、文字道理恨みの連鎖だよね」
「ほんと、私も同感。でも専制君主がいて、国のことを、ひとりで決めてしまうような国は嫌だけどね。ヒットラーのような人がトップにいるような国だけには住みたくないよね」
「そりゃそうだよ。そんな恐ろしい国はごめんだよね。でも現在の世の中でもそんな国があるかも……」
 ふたりは、顔を見合わせて困り顔をした。
「温羅さんたちが、うまく吉備津彦さんと協力して、平和的に併合を進めてくれることを祈ろうよ!」
「そうだね。そうすることしか、僕たちにはできないもんな」
 さつきは、元気をだそうと胸を張って深呼吸をした。焚き火の炎が揺らめき、桜の木の甘く奥深い香りが漂っている。大輔の顔を見ながら
「そうよね、でも本当に不思議なことがあるものよね。何かで発表したら、すごいことになると思うんだけど、誰も信じてくれないでしょうね」
「そうだよ。テレビのワイドショーかなんかで、適当なこといわれて、すぐ忘れられて終わりだと思うよ。それに、温羅さんたちに悪いと思わないか?」
「そうよね。二人だけの秘密にしておきましょう! それにしても焚火の火っていいよね。ずっと見ていても、飽きないものね。木の燃える香りがまたいいのよね。これって桜の木でしょ」
「そうだよ。木の種類によって、燃える時の香りが違うんだよね。やっぱり桜が一番いい香りがするな。苦手なのはクスノキかな? これは樟脳の香りがするからね」
「温羅さんの屋敷は、どんな木材を使っていたのかな? やっぱり杉やヒノキなのかな?」
「屋敷の中に入った時は、ヒノキの香りがしたような気がしたな。自信はないけどね。それより、温羅さんの屋敷に行くとき思ったんだけど…………」
「大ちゃん!!」
 さつきが、大輔の方を指さして、話をさえぎった。
「大ちゃんの胸が光ってる!」
 大輔は、視線を自分の胸ポケットに向けた。さつきが言ったように、胸のポケットが点滅し光っているではないか。手を胸にあてると勾玉があった。急いで取り出すと、勾玉が緑色に光って点滅していた。その光は不吉な知らせのように感じた。大輔は、不安な顔でさつきに言った。
「温羅さんたちに、何か悪いことが起こったんだろうか? 助けを求めているんじゃないのかな?」
「私もそう思う。大ちゃん、今から温羅さんのところに行ってみよう!」
 大輔はかぶりを振った。
「それは無理だよ。太陽が出ていないと、勾玉の中に入ることはできないんだ。それに、よく考えて、いろんな場合を想定しておかないといけないと思う。それによって、何を持っていくかがことなってくるんじゃないかな?」
 二人は相談して、明朝、出発することにした。現代を証明する、いろいろな道具を今回も持参することになった。
 大輔とさつきは、ごみをまとめたり、火の始末をしながら、明日のことを話し合った。
 大輔は、
「暗くなったから、家まで送っていくよ」といって、さつきの肩に手を添えて歩き出した。さつきは、思いがけないことに、少し頬を赤らめながら従った。
「転倒して、また腕を骨折したら、おじさんたちに叱られるからな」
 大輔は、照れながら言った。
 大輔の家は、吉備津駅を見下ろす丘の中腹にある。この辺りは、民家もまばらで、周辺には樹木が生い茂り、夜は懐中電灯がなければ歩けないほど暗い。大輔の家を出て、少し坂を登りながら、左に回ったところが、さつきの家だ。明日の時間を確認して二人は別れた。



ステージ Ⅴ 吉備津彦命

  

 翌朝、大輔の部屋には、二人の姿があった。大型ザックとデイバッグを背負って、大輔の部屋の窓際にたたずんでいる。
 二人は、朝からコンビニやホームセンターを廻って、買い集めた品々をザックに収納し、古墳時代に移動するための準備をしていたのだった。
 お互いの格好を確認した後、例によって勾玉を太陽に向かって捧げ持ち、その中に吸い込まれていった。
 前回のように光のトンネルから出て、青い海のきらめきを見た瞬間、
「ドーン!」
 と背中に強い衝撃を受けて地面に転がった。二人は、後ろから何者かによって、強い力で押し倒されていた。
 周囲からは、怒声や多くの人が動き回る足音が耳に飛び込んできた。何事かと目を開けると、砂ぼこりが、二人を包んでいた。
 大輔は、何があったのか理解できず、とにかく起き上がろうともがくのだが、何者かによって、上から強く押さえつけられていて、身体が、びくとも動かない。
 しかたなく、さつきの方に首だけをを回すと、彼女も同じように押し倒されて、不安げな顔でこちらを見ていた。
「動くな! 動くと命はないぞ!」
 後ろから男のどなり声がした。手が後ろに回され、後ろ手に縄で縛ろうとしているようだ。大輔は、声を振り絞って言った。
「私たちは、怪しい者ではありません。どうか話を聞いてください」
「だまれ! 静かにしろ! 殺されたいのか!」
 男の荒々しい声が返ってきた。大輔は、しかたなく黙っていると、二人は、後ろで手を縛られたままの状態で、引き起こされ、地べたにす
わらされた。
 アツシの屋敷の周りには、たくさんの兵士らしき男がひしめいている。皆、頭に丸い兜のようなものをかぶり、腰には刀をさげているではないか。それらが、「ガチャガチャ」と重い金属音を発し、物々しい雰囲気となっている。
 周囲には、兵士らしき男が五名いて、大輔たちを取り囲んで立っている。兵士たちは、何やら小声で話し合っていたが、そのうちの一人が、アツシの屋敷に入っていった。
 しばらくして、その兵士と共に、立派な服装と被り物をしている男が、こちらに向かって歩いてきた。大輔の横に来ると腕組みをして、兵士に声をかけた。
「どうしたのだ?」
「急に変な恰好をした者が現れたので、ひっとらえました」と兵士が応えた。
 上官らしい男は、大輔たち二人の前に立って尋ねた。
「お前たちは、何者じゃ。どこからきたのじゃ」
 上官の質問に対して、大輔は躊躇した。この状況で正直に言っても、信じてはもらえまい。とにかく、ゆっくり話を聞いてもらえる環境にならないとだめだ。それに、一番上の人に会って話さないと無意味だろうな。大輔は、答えた。
「私たちは、温羅さんに会いに、遠くから来ました。それなのに、この人たちに、いきなり押し倒されて、手を縛られたので驚いています。私たちは、決して怪しい者ではありません。どうか、私たちの話をゆっくり聞いていただけないでしょうか。どうかお願いいたします」
 深々と頭を下げる二人の態度に、その上官らしき兵士は、
「よし、わかった。よく見ると、おぬしたちは
変わったいでたちをしておるな。まったくみたことがない服装だ。それに変な袋を背中に背負っておるようだ。とにかく、私の主である、彦五十狭芹彦命(ひこいせさりひこのみこと)様に報告してくるから、待っておれ」
 そう言うと、兵士に何やら命令し、屋敷の横の道を歩いて行った。兵士は、大輔たちを絶たせると、アツシの屋敷から少し離れた、みすぼらしい小屋に連れていき、中で待つように言った。
 手荒なことは、されなかったが、見張りは厳重で、数名の兵士が、小屋の周りを取り囲んでいるようだった。さつきは、不安げな顔を大輔に向けて言った。
「ちょっと! 大ちゃん! 大変なことになってしまったね。まさか、私たち殺されるようなことはないやろね」
「こちらに敵意はないんやから、そんなことはないやろ。手が自由になったら、胸のポケットに入れている勾玉を取り出して、もとの世界に帰れるんやけどな。後ろ手に縛られていては、どうにもならんわ」
「そうやね。それに温羅さんやアツシさんは、どうなったんやろね。心配じゃね」
「どうやら、ヤマト国との話し合いが、うまくいかなくなって、大変なことになっているみたいやな」
 二人は、小屋の中でボソボソと話し合っていると、先ほどの上官らしき兵士が入ってきて言った。 
「あなたたちを、今から彦五十狭芹彦命(ひこいせさりひこのみこと)様のところに連れて行くので、そこで話を聞こう。ついてまいれ」
 上官らしき男は、兵士に大輔たちを丁重に扱うように命令し、前に立って歩きだした。
 大輔たちは、数名の兵士に囲まれた状態で、上官らしき男の後ろを歩かされた。
 アツシの屋敷の横を通り、道を左に巻きながら登っていく。それは、温羅の屋敷の方向に相違ない。
 そして、目の前に現れたのは、まさに温羅の屋敷だったが、中央にある木の階段の左右や、屋敷の周囲には兵士が立ち並び、厳重に警護している様子だ。上官の男は、屋敷の前で待つようにし、中に入って行ったが、五分程経って出てきた。
「これから彦五十狭芹彦命様が、お会いになるそうだ。ついてまいれ」
 二人は、男に従って屋敷の中に入っていった。男は、入ると右の部屋に進むように促した。
 二人が、右の部屋に向って歩こうとした時、中央の祭壇付近から、女性の声が聞こえてきた。よく見ると、色鮮やかな服装をまとった女性が祭壇の前に立ち、何やら呪文のような声を発している。
 その後ろには、立派な服装と髪形をした男性が、頭を下げ、女性の声を拝聴しているようだった。
 重要な祭事が行われている様子に、大輔たちは緊張した。これから、どうなるのかと思うと額に冷たい汗がにじむ
。足音をたてないように、そおっと静かに隣の部屋に向かった。部屋の隅に立ち、祭事が終わるのを静かに待った。
 ほんの数分間だったのだろうが、大輔たちの頭の中には、恐怖と不安が渦巻き、とても長く感じた。
 しばらくすると、女性の後ろにいた立派な身なりの男性がこちらに向かって歩いてきた。
 さつきは、頭を軽く下げたまま、
「あの方が、彦五十狭芹彦命(ひこいせさりひこのみこと)様じゃない?」と、小さな声でささやいた。
 大輔も、軽く頭を下げた状態で、その様子をながめていたが、急に眼を見開いた。思わず、
「あっ!」
 と、声を出しそうになるのをこらえるのに必死だった。大輔の眼は、彦五十狭芹彦命の、後ろに控えている女性に、くぎ付けになっている。
 彦五十狭芹彦命は、ちょうど前回、温羅や阿曽姫が座っていた場所に、ゆっくりと座った。
 色が白く、イケメンである。爽やかな風が、その方から吹いてくるような気がして、大輔は思わず、さつきの方を振り返った。すると、まるでアイドルにでも会ったかのように頬を紅潮させていた。
 主催者と思われる女性は、その左後方に控えて、静かに座ってこちらを見ている。
 二人は、その男から四メートルほど離れた下座にすわらされ、縄を解かれた。
「私は、彦五十狭芹彦というもので、この吉備国を統制するように、大君に命ぜられているものです。あなたたちは、どこから来たのですか?」
 彼の発する声が、二人の耳に届いた。その声は上品で、とても兵士のそれとは思えないほど爽やかな澄んだ声であった
 二人は、深くお辞儀をして話し始めた。
「私は、明神大輔と申します。横の者は、山上さつきです。西道将軍の彦五十狭芹彦様にお目に書かれて光栄です。孝霊天皇様の第三皇子でいらっしゃるのでしたね。弟皇子は、若建吉備津彦様でしたでしょうか?」
 大輔は、さつきからレクチャーしてもらった、吉備津彦命についてのありったけの知識を話した。
 彦五十狭芹彦は、おどろいた表情をわずかに見せたが、すぐに元のポーカーフェイスに戻っていた。大輔は続けた。
「信じられないと思いますが、私たちは、千四百年以上後の世からまいりました」
 大輔は、彦五十狭芹彦が、さぞおどろき、不愉快な反応をすると思いつつ、返答をまった。すると、
「そうですか、あなたたちが未来の神のお使いでしたか? 兵士が手荒なことをして大変申し訳ありませんでした。お許しください」
 と深く頭を下げた。
 大輔とさつきは、その反応におどろき、顔を見合わせた。彦五十狭芹彦命は、話を続けた。
「あなた方が来られることは、この主祭者を通じてお告げをいただいていました。お会いできて光栄です」
 大輔たちが、後ろに控えている女性を見ると、その女性は、頭に深々と被っていた頭巾を少し持ち上げ、なんと大輔に向かって、ウインクをした。
 それを見て大輔は、
「三宅さん?」
 と、つぶやいた。すると彼女は、微笑みながら顔を横に振り、眼を閉じた。それを見た大輔は、先の言葉を飲み込むと、改めて彦五十狭芹彦命のほうに向きなおり、深くおじぎをして言った。
「私たちも、彦五十狭芹彦命様にお目にかかれて光栄です。本日は、さまざまな未来の道具を持参しました。よろしければ、ご検分願いたいと存じます」
 彦五十狭芹彦命は、それを聞くと、目を輝かせながら言った。
「その未来の道具とやらを、ぜひ拝見したいものです」
 大輔は、大型ザックを下ろし、中から数冊の書類を取り出した。
「これは、私たちの時代の書物でございます。未来の社会のようすが描かれています」
 大輔は、それらの書籍を前に押しやった。部下の男は、それを持って五十狭芹彦のところに持っていった。彦五十狭芹彦は、それらの書物を、信じられないものでも見るような顔で見ていたが、おもむろに顔をあげて
「このように見たままの様子が、紙に映し出せるのか、信じられないような……」
 大輔は、さらにiPadを持って、動画モードで家の中を撮影し、最後に、彦五十狭芹彦や部下の姿を撮影し、自分たちに向けて自己紹介を行った。
 その後、再生モードにして彦五十狭芹彦に見えるようにiPadの向きを変えた。
「お~っ!」
 彦五十狭芹彦とその部下は、後ろに体を反らせて目をむいて、口はパクパクと動かし、固まっていた。それから、おもむろに自分の体を確認するようになでまわし、ほっとため息をついた。
 大輔は再度、再生したが、今度は、そのままの状態で、画面を食い入るように見ていた。二度三度繰り返すと、手をあげて制止した。
「ありのままに、紙や物に映し出すことができるという道具は、よくわかりました。他にも何かありますか?」
 大輔は、プラスチックとガラスのコップを前に並べた。他にも、ノート、ボールペン、鉛筆、のこぎり、ハサミ、レジ袋などを前に置き、それらの使い方を説明した。
 彦五十狭芹彦は、大輔の前に近づいてきて、自ら手に取って確かめている。その後、二人の服装を眺めながら言った。
「千年以上後の世から来られた、ということは、よくわかりました。それで、今回、天下ってこられた目的はどういうことでしょうか?」
 大輔は、勾玉によって時間を超えて旅をすることができること、一カ月前に温羅たちと会って話したこと、温羅たちは、戦う気持ちはなく、ヤマト国の日本統一に協力したいと思っているが、使者のあまりにも無礼な態度に失望したことなどを、時間をかけて話し続けた。
 さつきは、その間に、あんパンやクッキーなどを、彦五十狭芹彦に勧めたり、お茶のペットボトルを並べたりしている。いつの間にか、五十狭芹彦の周りに部下が集まり、話を聞いたり、さまざまな道具に触れたりしていた。
 そして、パンやお菓子を食べながら、それぞれが、親しみをもった目で見るようになってきた。
 彦五十狭芹彦は、周りにいる部下を紹介した。弟の若建吉備津彦と数名の部下たちは笑顔で頭を下げた。
 その一人に命じた。 
「そうだ。温羅さんたちをここにお連れしろ。丁重に扱うのだぞ」
 しばらくして、温羅、阿曽姫、アツシ、サトの四人が、部下に連れられてやってきた。皆、顔色が悪く、やつれている。四人は、大輔たちを見ると、一斉に感嘆の声をあげた。目は、すでにうるんでいる。
 大輔たちの横にやってくると、皆は手を取り合って涙した。阿曽姫は、首にかけた勾玉を手のひらにのせて言った。
「私は、ずっとこの勾玉にお願いしていました。さつきさんや大輔さんに願いが届きますようにと……」
「ちゃんと届きましたよ。私たちの勾玉が光って教えてくれました」
 大輔は、自分の勾玉を阿曽姫の勾玉に近づけた。すると二つの勾玉は、同時に明るい緑色に光輝いた。その様子を見ていた彦五十狭芹彦は、
「私たちの誤解によって、皆さんに大変なご迷惑をおかけしました。このとおりです」
 彦五十狭芹彦は、深々と頭を下げた。
「我々の国の使者が、そのような失礼な態度で、皆さんと交渉したとは、まったく知りませんでした。彼が、ヤマト国に戻って、大君の前で復命したことは、それらの事実とは、まったく異なる内容でした。もともと使者の役を仰せつかった者は、皆からの評判が悪く、うとまれていた者でしたので、大輔さんの説明は、容易に理解できます。
 我々も、戦いは好みません。平和的に話し合って、ひとつの国にまとまることができれば、それが最も良い方法だと思っています」
 それからは、古墳時代の食べ物と、二人が持ってきた現在の食べ物が中央に盛られ、にぎやかな宴となった。温羅は、改めて、日本統一のため、ヤマト国に協力することを誓った。そして、
「私は、さつき殿に、彦五十狭芹彦命様のことをお聞きして感動したのです。この吉備国を統制した後も、この吉備にとどまり、この中山のふもとに、わら葺の宮を建て、そこで、一生この吉備の国のために、力を尽くされたとのことでした。なんと二百八十一歳まで長生きされたらしいですが、これは、ちょっと作り話でしょうか? とにかく、彦五十狭芹彦命様は、信頼できる方だと感じました」と笑顔で言った。
 彦五十狭芹彦命は、それを聞いて、
「さつき殿、大輔殿、それは本当でしょうか? 私は、これからずっと吉備国で生活するのでしょうか?」と尋ねた。顔は、やや不安な表情に変わっていた。さつきは、
「多くの書物に、そう書かれています。彦五十狭芹彦命様が住まわれていたところが、後に、吉備津神社となって、ずっと大切にあがめられてきています」
「そうですか。そうなんですね。私は、てっきり、吉備統一の仕事が終わった後は、父のいるヤマト国に戻るのだと思っていました」
 やや下を向いて、寂しそうな声で言う彦五十狭芹彦命の横で、弟の若武彦命が言った。
「これから吉備のために、彦五十狭芹彦命様は力を尽くされる。素晴らしいことではないですか」
 心からあふれ出てきた優しい言葉のように聞こえた。
 彦五十狭芹彦命は、顔をあげて、皆の顔をひとりひとり見て言った。
「これから、私は、温羅殿や吉備の民と共に、吉備、そして日本のために働きたいと思います。よろしくたのみます」
 彦五十狭芹彦命と弟は深く頭を下げた。温羅たちも一斉にその場に、ひれ伏し、忠誠を誓うのだった。
 彦五十狭芹彦命と温羅たちは、皆顔を紅潮させていた。大輔やさつきも、感動し目を潤ませている。和気あいあいとした雰囲気が、その場をなごませ、あちこちで会話が盛り上がっている。大輔は、
「皆が、このように心を一つにして取り組めば、争いは未然に防げると思うんだけどな。私たちの時代では、今でも世界のあちこちで紛争や戦争が起こっている。どうして人類は、戦わなければならないのだろうか?」
 さつきも同じことを考えていた。
「日本には、『和をもって尊しとなす』という言葉があって、これを大切にしてきたのよね。
 これには、二つの意味があって、一つ目は、お互いを認め合い、尊重し合い、協力し合いましょうということ。
 もう一つは、お互いが納得するまで妥協せず、徹底的に話し合いましょう、ということなのですね。相手の意見を軽視したり、自分だけが我慢したりすることは『和』ではありません。『和』とは、妥協や同調ではなく、理解しあって調和・協調するということなのです。
 この言葉は、聖徳太子が六百四年に制定した、十七条憲法の第一条に書かれています。この時代から、そんなに後のことではないんですよ。
 この後、ヤマト国の大君は、天皇という名称になりますが、天皇といっても、絶対的な権力を持った専制君主ではなく、皆で話し合って決める政治体制の中で、象徴的な存在として、国の民に心から慕われる存在として、千年以上続いていくのです。
 この『和をもって尊しとなす』は、まさに、日本人の心ともいえる考え方なのですよね」
 さつきが話終えると、皆がさつきの話に感動し、手を叩いていた。温羅が姿勢を正して言った。
「彦五十狭芹彦命殿、いやこれからは、吉備津彦命殿と呼ばせていただきたい。吉備の国を、『和』をもって束ねてください。お願いします」
 吉備津彦命は、大きく頷くと、大輔とさつきの方を見て言った。
「大輔殿、さつき殿、ひとつお願いがあるのですが、お聞きいただけませんか?」
 二人は、首を傾げながら話をうながした。
「お二人が話してくれた、千年先の世というのを、私は、ぜひ見てみたいのです。この世が、これからどうなるのかを、しっかり知っておくことが、今後の判断を誤らせない大きな根拠となるのではないかと考えるのです。
 できれば、私と温羅殿を一緒に連れて行ってもらえまいか」
 温羅たちや吉備津彦命の部下たちは、それを聞いておどろき、ざわついている。それよりも二人は困惑し、お互いの顔を見つめた。大輔が口を開いた。
「そんなことが、できるのだろうか? 四人で同じことができるのかな?」
「大ちゃん、これは、やってみないとなんともいえんよね。だめもとで、やってみる?」
「でも、もし何かあって、もとの時代に戻れなくなったらどうする?」
「どうするもこうするもないわね。そうなったら、二人でこの時代で仲良く生きていきましょうよ!」
「そんな無茶な……」
「あらっ? 私と生きていくのが、そんなにいやなの? ふ~ん そうなの……」
「違う! 違うって! そんなこと言ってないやろ。ちょっと不安になっただけやないか」
 大輔は、泣き笑いの顔を、くしゃくしゃにしている。さつきは、吉備津彦命と温羅の方を見ると、
「うまくいくかどうかは、わかりませんが、とにかくやってみましょう! いいよね大ちゃん!」
 大輔は、しぶしぶうなずいた。その二人のやり取りを見物して、皆、笑いを抑えるのに必死だ。
 大輔は、どのようにして、四人で勾玉を太陽にかざして見つめるか、さまざまなフォーメーションを考え、ベストポジションを見つけた。
 まず大輔とさつきが、今までのように、二人で手を繋いで立つ。その後ろに、温羅と吉備津彦命が手をつないて立つ。
 そして、他方の手で前にいる大輔とさつきの肩をつかむのである。この体制で、前方にかざした勾玉を、皆で覗き込めば大丈夫なのではないか。そのようなことを皆に話すと、とにかくやってみようということになった。
 現代の世にタイムスリップするためには、アツシの屋敷に戻らなければならない。皆で、ぞろぞろと行列を作って、下のアツシの館まで歩いた。兵士は、何事かという顔で皆を見つめている。
 四人が、夫婦岩の近くの、いつもの場所に立った時、
「あの、これを記念に持って行ってくださいませんか? ちょっと重いかもしれませんが……」と、阿曽姫が、渋い灰色の壺を差し出した。
「あっ! 須恵器(すえき)だわ。こんなきれいな須恵器は今までに見たことがないわ。これは、重要文化財か、もしかして国宝クラスだわ」
 さつきの瞳は、これ以上ないレベルまで輝いている。
「この土器は、大陸から伝わった新しい作り方で焼いたもので、高温で焼かれているから、硬くて丈夫なのよね。これ、本当にいただいていいのですか?」
 阿曽姫は、想像以上に喜んでもらえて、うれしそうだ。こぼれそうな笑顔でうなづいている。さつきは、大輔の大型ザックを地面に下ろさせると、自分のジャケットを脱ぎ、いただいた須恵器の壺を大切に包んだ。それをザックに戻すと、
「大ちゃん、傷つけないように気をつけてよ!」と、きびしくささやいて念をおしたのだった。
「それでは、行きましょうか」
 大輔は、吉備津彦と温羅の方を向いてうなずいた。大輔は、右手に持った勾玉を、前方に高く掲げて、
「さあ、のぞき込んで!」と大きな声でさけんだ。皆は、一斉に中心の光の線の方を向いた。
 四人は、緑の空間の中にいた。大輔とさつきは、後ろを振り返って、二人がいることを確認して、ほっと息をついた。前を向くと、いつものように光のトンネルが現れ、気が付くと大輔の部屋に四人で立っていた。



ステージ Ⅵ 岡山の街

 吉備津彦と温羅は、窓の外を見ながら、その風景の変化に戸惑っているようだ。ふと部屋のなかであることに気がつきおどろいている。
 ちょうど吉備線の岡山行の列車が、吉備津駅から出発するところだ。二人は、それを指さして何やらつぶやいている。
「海がなくなっている。ここは、どこなのでしょうか? どこか別のところに来たようですな」温羅がつぶやいた。
「さっきと同じ場所なんですよ。この時代になると海は、もうなくなって陸地に変わっています。そして、ここは大ちゃんの家です。とりあえず、お座りになりませんか? そうそう履物を脱いでくださいね」
 さつきは、二人に座るように言った。次に、大輔のザックから、慎重に須恵器を取り出し、愛しいものを抱えるように、そおっと部屋の隅に置いた。包んであるジャケットをのけると、まるで愛しい人に再開したように、優しく土器を撫でた。
 大輔は、ここが千四百年後のアツシの屋敷であること、大輔が、アツシたちの子孫であるらしいこと、この家には、大輔の両親と一緒に住んでいるが、自分たちが古代を行き来したりしていることは知らないので、話を合わせてほしいことなどを、かいつまんで説明した。そして、さつきの方を見ながら、
「さて、これからどうしようか? 何か具体的な案はある?」と言った。さつきは、
「そうよね。せっかくこの時代に来てもらったんだから、時間を有効に使いたいよね」
 二人は、白い紙を吉備津彦命と温羅の前にだし、話をしながらサインペンで何やら書き始めた。紙には、時間と場所が箇条書きに書き込まれていった。その横には、購入する品物も記載されている。
 「こんなところかな?」二人は、うなずき合って温羅たちに笑いかけた。
「さあ、これから皆で町を見て回りましょう。」大輔の言葉に、二人は緊張した顔で応じた。さつきが、
「大ちゃん、でも、この恰好では、まずいんじゃない? 皆の注目の的になってしまうよ」
「そうやね、温羅様は、僕と同じような体型だから僕の服を用意するよ。吉備津彦命様は、おやじと同じくらいの背格好だから、おやじの服を借りてくるよ。おやじの山用のいい服が、隣の部屋にあるから、それを拝借してくる。親父は普段は服装には無頓着なんだけど、山に行く時だけは、有名アウトドアメーカーのものを切るからね、いいのがあるんだ」
 大輔は、早速、隣の部屋に行って、ズボンやtシャツ、アウター、軽登山靴などを抱えて部屋に戻ってきた。それらを置くと、今度は隣の寝室に行って、自分のズボンやTシャツ、靴下などを持ってきて前に並べた。
「さあ、吉備津彦命様、温羅様、これに着替えていただけますか?」
 二人は、立ち上がって服を脱ぎ始めた。さつきは、あわてて窓の方に顔を向けた。後ろでは、Tシャツの着方がわからないらしく、大輔が頭からかぶるのを手伝っている。その横では、温羅がファスナーの操作に戸惑っているようだ。
 それでも、お互いのしぐさを見ながら、なんとか衣服を身につけることができた。
 さつきは、脱ぎ捨てられた古代の服をたたんでいた。衣服を手に取り、細部の仕上げや、紐の具合などを細かくチェックしている。
 時々、スマホで撮影しながらの作業なので、二人の衣服をたたむのにかなり時間がかかってしまった。皆の注目を浴びていることに気が付いたようで、少し申し訳なさそうに小さな声で言った。
「髪形を少し現代風に整えましょう」
 カットするわけにはいかないので、さつきは、くしで揃えた後、後ろで束ねて紐でしばった。こうしてみると、なんとか今風の兄ちゃんになってきたようだ。
 吉備津彦命たちは、お互いの恰好を見ながら笑っている。大輔は、二人の持っていた剣を指さし、
「これは今の世では、持ち歩くと罰せられるのですよ。とりあえず、戸棚の中に入れておいてよろしいですか
?」
 二人の許可を得て、大輔は、剣を押し入れにしまった。
「さあ出かけましょう!」大輔が、部屋を出ようとすると、さつきが呼び止めた。
「これから街なかに行くと、たくさんの人がいます。その中で吉備津彦様とか、温羅様とか言っていると、周囲の人が、おどろいてこちらをみるかもしれませんね。だからお互いの呼び方をかえておきましょうよ」
「そうか、そうやね。そうしておかないと、温羅さんなんか、この時代では、背丈が四メートルもある鬼ということになってるからね、注目の的になるかも……」
 温羅は、苦笑いをしながら首を振っている。
「それじゃあ、こんなのはどうかな? 吉備津彦様は『ヒコさん』、温羅様は『ウーさん』、私たちは今までどおり、『大ちゃん』と『さっちゃん』ということでいかがでしょう?」
 吉備津彦と温羅は、お互いを指さしながら「ヒコさん」「ウーさん」と呼び合いながら、大笑いしている。さつきたちは、二人を見て、笑いをかみころしていた。
 四人が、ぞろぞろと階下に降りていくと、大輔の父親が、おどろいた顔で、こちらを見ていた。
 大輔は、落ち着いた顔を装って話している。
「同じ職場の友達だよ、これから岡山に行ってくる。何かいるものある?」
「いや、特にない。気を付けてな。おっ! 君、なかなかいい山用のシャツを着ているじゃないか。わしもモントベルが大好きじゃ。君も山が好きなのかな?」
「そうみたいよ。今度連れて行ってあげてや。じゃあ行ってくる」
 大輔は、皆を急がせるように、かばいながら玄関に向かった。
 玄関横のカーポートには、二台の車があった。大輔は手前にあるシルバーの車のドアを開けて、中に入るように促した。
「大輔じゃなかった、大ちゃん、この箱のような乗り物は何ですかな?」
 温羅が、車の表面をなでながらたずねた。大輔は、とにかく乗るように皆をせかして乗り込んだ。
 車の中に、温羅たちが乗り込んだのを確認すると、大輔は、古代の馬のように移動するための乗り物であること、油を燃やしてエンジンという道具を動かしていることなどを説明したが、やはり納得はしてないようで、しきりに車内の椅子や窓に触れて首を傾げている。
「それでは出発しましょう」
 大輔たちの乗った車は、坂を下って、吉備津神社の横を抜けて走りだした。
 吉備津彦命と温羅は、目の玉が飛び出るほど大きく目を見開いて、窓にかじりついている。向かいの車線からは、車がひっきりなしに、すれ違ってきている。温羅が悲鳴をあげた。
「うわ~っ! この箱は、どうなっているんじゃ。すごい速さで走っているぞ! このように早く走れる乗り物があるとは、信じられん!」
 吉備津彦命も同じ顔をして、うなずいている。
 すぐ横をJR吉備線の列車が並走していた。大輔は、この時代では、この自動車や横を走っている電車などのように、速く移動できる乗り物が、いろいろあることを説明した。
「これから岡山県立博物館に行きます。そこには、この吉備国の歴史がわかる、さまざまな史料が展示されていますので、これからの参考になると思います」
 四人を乗せた車は、旭川に沿った後楽園の駐車場に着いた。車を降りて少し歩くと、目の前に、巨大な四角い箱をいくつか並べたような近代的な建物が見えてきた。
 博物館の玄関前に立つと、その不思議な外観に温羅たち二人は、圧倒されている様子だ。
「ウーさん、これは不思議な恰好の建物ですな。全部、岩でできているようですぞ」
「本当ですね、これは平らに削った岩でしょうな。それにしても継ぎ目がみえませんが、どのようにして作っているのでしょう?」
 二人は、ぼそぼそとつぶやいている。さつきは、その間に入り口で入場券を買い、皆を中に入るように促した。入り口の透明なガラスのドアが、自動的に開いただけで、飛び上がるほどおどろいている二人に、係りの女性が、クスクスと笑っていた。さつきと大輔も笑顔をとりつくろいながら入場券を渡した。
 四人は、玄関ホールの左にある常設展示室に向かった。階段を数段上がると、左右に二つの大きな展示室があった。この常設展示室では、旧石器時代から現代まで、時系列に沿った説明と資料が紹介されている。
 順路の矢印に従って、右の部屋から見て回ることにした。打製石器や磨製石器に始まり、縄文時代から弥生時代にすすむにつれ、ウーさんやヒコさんの顔が懐かしさでうるんできた。
「ヒコさん、わしらが普段使っている物を、えろう大事そうにかざってますなぁ」
「これなんか、ウーさんの家の土間に、いくつでもころがっておりますな」
「ほんに、ほんに、それに、ひび割れていたり、色がくすんでいたりして、えろう汚いですな」
 さつきは、二千年近く土中に埋まっていたものを、発掘したものであることを説明すると、二人は納得した様子だった。
 古墳時代から奈良時代へと解説が進むと、須恵器や鉄剣を見ながら懐かしそうにうなずいていた。
 時代が近代、現代に移ると大きなため息がもれてきた。長い時間をかけて、この不思議な時代になったことが、おぼろげにでも理解できたようで、二人は、展示室の出口では、大きく何度もうなずいていた。大輔たちは、二人といっしょに博物館の外に出ると車の方に歩きながら言った。
「次は、岡山駅に行ってみましょう。ここは吉備の国の中心ともいえる場所で、大きな屋敷や他の国に移動するための、電車という動く箱が集まっています」
 大輔は、JR岡山駅近くの駐車場に車を入れると、皆をつれて駅前に出た。駅前の桃太郎の像の横に立って、前を行きかう車や路面電車、周囲のホテルやショッピングセンター等のビルについて説明した。ヒコさんとウーさんは、目を白黒しながら説明を聞いている。
「ヒコさんこれは、でぇれーことになっとりますな。あの見上げるような高い建物の中にも、全部、人がいて、物をやりとりしたり、寝泊まりしている場所があるのですな。信じられん光景ですな」
 ヒコさんも、うなずきながら、
「動く箱が、こんなにたくさん集まっていて、よくぶつからないものですな。これが我々のいる時代より、千五百年以上未来の吉備国なのですなぁ」
 ウーさんが振り返って、桃太郎の像をしげしげと見上げている。ヒコさんも、きょとんとした顔で眺めている。さつきは、微笑みながら言った。
「この像は、誰だかわかりますか?」
「えー?」
「うーん! ……」
 ウーさんとヒコさんは首を傾げて困り顔だ。
「これは、ヒコさんなんですよ。桃太郎といって、鬼を退治した立役者なんです」
「とすると、この桃太郎が、わしを退治したということになっとるんじゃのう。ヒコさん、えろう、かっこよく作られてますなー」
 ヒコさんは、照れた顔で首を横に振っている。
 大輔は、前のビルを指さしながら言った。
「岡山駅に行く前に、物を売り買いしている大きな市場にいってみましょう」
 大輔は、駅前にある大型電気店に向かった。中に入ると、液晶テレビのコーナーで、二人は立ちすくんだ。
「ヒコさん! これはすごいですぞ! この箱の中に、本当に人がいるように見えるがなぁ」
「そうですね、これはすごい! 毛穴まで、はっきり見えるようです。それにしても、この姫は、なんという美しさだろうか。私の妻に欲しいくらいです」
「ほんに、すごいものがあるもんじゃな」
 二人は、腕を組んで、画面を食い入るように見ている。購入意思があるのかと、向こうにいた店員が、近づいてくるのを見た大輔は、急いで二人を、エスカレーターの方に連れて行った。
 大輔は、二階に上がりながら、後ろに気配のないことに気がついた。二人がついてきていない。不思議に思って振り返ると、ウーさんがエスカレーターの前で立ち止まっていた。顔から冷や汗が出ている。ヒコさんも後ろで首をかしげている。
「この動く階段は、どう上がればええんじゃろ。足を置こうとすると、上に動いてしまって、こりぁ、おえん!」
 後ろには、人だかりができかけている。さつきは、後ろから小声で、
「ウーさん、死んだ気になって、前に飛び乗って!」と言った。
「わかった!」
 ウーさんは、歯を食いしばった表情で、ヒョィと飛び乗ると、なんとか無事上がってきている。ヒコさんも同様に飛び乗り、なんとか混雑をふせぐことができた。
 ウーさんたちは、エスカレーターを降りても、横に立って、ずっと動く階段をながめている。
「次から次へと階段が出てきて、最後にはなくなってしまっているが、どうなっとるんじゃろな?」
「本当に不思議な階段ですな」
 大輔は、そんな二人の手をとって、家電の売り場に向かった。洗濯機や掃除機、エアコン、電子レンジ、パソコンなど多くの家電製品を見て回りながら、大輔が説明したが、これらはどうも、ちんぷんかんぷんな様子で、二人は首を傾げるばかりだった。
 さつきは、ホームセンターにある農機具や大工道具のような、シンプルな道具を見てもらった方がいいのでは、と大輔と話しながら家電量販店を出た。
「それでは、次は地下街を通って、岡山駅の中に入ってみましょう」
 大輔は、地下街への入り口に向かった。さつきは、ウーさんやヒコさんが離れないように、二人の後ろから付いて行った。
 地下街への入り口で、ウーさんの足が止まった。
「大ちゃん、これから地面の下の洞窟にもぐるのですかな? わしはどうも、暗くて狭い所は苦手なんじゃがなぁ。どうしても行かんといかんかなぁ?」
 ウーさんは、ややうつむき加減で小さくつぶやいた。さつきは、ウーさんの背中をさすりながら、
「暗くないし、広いから大丈夫よ」
 と、優しく話しかけると、ウーさんは、うなずきながら足を進めた。
 階段を降り、地下街への入口のドアを開けた瞬間、まばゆい光と、軽やかな音楽に包まれ、ウーさんとヒコさんは、口をぽかんと開けたまま
目が点になっている。
 きらびやかな照明や、数多くのお店に圧倒されたのか、二人の歩みが、もつれるように、ゆっくりとなった。
「さっちゃん、これが地面の下の洞窟の世界ですかな? まるで竜宮城に迷い込んだような気持ちですぞ」
 ウーさんは、目を大きく開いたまま話しかけている。ヒコさんも、口は閉じているものの、目は視点が定まらず圧倒されていた。
 四人は、それでも、ゆっくり岡山駅方向に足を進めた。さつきは「白十堂」と書かれたお店の前に行くと、皆に待つように言って、店に入っていった。
 数分して戻ってきたが、手には白いレジ袋を大事そうに下げていた。顔が完全に幸せモードになっている。
 そのまま岡山駅構内に入り、最寄り駅の乗車券を購入して改札を通った。自動改札機を通過する時は、さつきと大輔が、二人により添ってなんとか通過した。
 在来線の一番ホームに上がると、福山行の普通電車がホームに停車していた。大輔は、車内の様子を見てもらおうと、二人を連れて、電車の中に入った。ほとんどの椅子には人が腰かけており、多くの人がひしめいている。ウーさんたちは、珍しいものでも見るように、皆を眺めまわしている。
 長居は無用と、早々に車外にでると、間もなく電車は発車した。
 一番線の電車が発車すると、十番線まであるホームに、ひっきりなしに出入りする電車をみることができる。
 これらの電車によって、吉備国だけでなく、日本中どこにでも行くことができる、ということを説明した。この上には、さらにもっと速く走る、新幹線という電車が走っていて、馬が走る速さの十倍以上の速さで、移動することができることを説明した。ヒコさんは、
「こんなに、ひっきりなしに動く箱が行き来しているとは。それに、すごい数の人が移動しているようですが、今日は、何かあるのですか?」
「いえ、これが毎日の風景です。皆がそれぞれ暮らしている家から、仕事場や学問を学ぶ所まで通っているのです」
「それにしても、誰も剣を持っていないし、争っている人もいませんな。この辺には戦いがないのですか?」
「日本は平和で、悪い人がいると、すぐに警察官といって、取り締まる人がいて捕まえてくれます。ですから、争いや戦いは、ありません。逆に、剣を持っていると、処罰されるのですよ」
 大輔の説明に、二人は納得し、感動したようすだった。四人は、多くの人が行きかう駅を通って、駐車場まで戻ってきた。ウーさんとヒコさんの顔には、疲労が浮かんでいた。
 大輔は、疲れていないか問いかけると、
「いや~っ、案内してもらって言うのもなんですが、何か少し疲れた感じですな。ヒコさん、調子は変わりないですかな?」
「こんなに、たくさんの人に会ったのは、初めてで、なんだか疲れました。申し訳ありません。自分から、この時代に来たいと言っておきながら本当にすみません」
 ヒコさんは、本当に申し訳なさそうにつぶやいた。
 さつきは、二人の様子を見て明るく言った。
「そりゃ~疲れますよ。私たちだって、ひさしぶりに街なかに出て、人酔いしました。車に乗って、少し静かなところに行きましょう。そうそう、お腹が空きませんか? 途中で何か食べましょうね」
 大輔は、国道二号線を倉敷方面に向かった。途中から、旧二号線に移動し、松島の手前で、職場の宴会でよく利用するレストランに車を止めて、皆を中に案内した。
 個室に通された皆は、ほっと一息ついたようだ。さつきは、
「何を食べますか? お肉と魚とどちらが好きですか?」
「私は魚が大好きですな」ウーさんが応えると、
「私は肉が好きです」と、ヒコさんはもうしわけなさそうに答えた。
「それでは、ウーさんは「旬彩さしみ御前」、ヒコさんは「ステーキ御膳」にしましょう。私は、天ぷら定食、大ちゃんは、握りずしでしょ」
 大輔はうなずきながら、
「よくわかるね。おどろきやね」
 と、笑いながら照れている。その大輔に、ウーさんが、
「大ちゃん、例のものはないのかいな?」
「例のものって何ですか?」
「いやー、そのー、前回持ってきてくれた、あのうっとりするようなお酒じゃよ。わしはもう飲んだからいいんじゃが、ヒコさんにも味わってもらいたいと思ってな」
 ウーさんは、頭をかきながら言った。大輔は、さつきの顔をみた。さつきは、笑みをうかべながら、大吟醸の冷酒をタブレットに追加注文した。
 運ばれてきた料理を見て、二人は感激している。魚や肉を口に入れては、
「旨い!」
 純米大吟醸の冷酒を口に含んでは、
「身体に沁みわたる~!」
 と、恍惚の表情でささやく。きれいな模様の小鉢を手に取り、眺めている。
「ヒコさん、我々も、もう少し後で生まれたかったですな」
「ほんにそうですな。ウーさんとも、もっと前から知り合っていたかったです」
 二人は、かわるがわるに酒をつぎながら、打ち解けている。横から見ると、昔からの親友のように見えた。大輔は、二人の方を向いていった。
「今の日本の平和は。ヒコさんやウーさんたちの努力によって築かれたものです。今までの千数百年の先人の力だと思っています。だから、我々は、皆さんに感謝をしているのですよ。皆さんの努力や功績を、ずっと後世に伝えるために、神社や史跡を大切に保存しているのです。
「そうなんです。後で行きますが、ヒコさんたちのことを、神様としてお祀りしている、吉備津神社や吉備津彦神社がありますよ。今日のお楽しみにね」
 さつきは、二人に向かって最高の笑顔で答えた。
 大輔も、ヒコさんの顔を見ながら言った。
「僕も、まさか吉備津神社や吉備津彦神社の神様と一緒に食事ができるとは思わなかったなぁ。第七代孝霊天皇の皇子で、第十代崇神天皇に四道将軍に任命された彦五十狭芹彦命様と共に食事をしている。しかも、その横には、恐ろしい赤い髪をした背丈四メートルの鬼様も一緒だ。これはすごいことだなぁー!」
 ウーさんは、手や首を振りながら笑っている。ヒコさんはといえば、笑いながらも首を傾げていたが、大輔の方を向いて尋ねた。
「大ちゃん、その崇神天皇とか四道将軍というのは、誰でしょうか? 私は、その二人とも知りませんよ。もちろん私は、四道将軍とかには、任命されていませんしね。誰か別の人ではないですか?」
「えっ? ヒコさんのことではないの?」
 おどろく大輔の横で、さつきが話し出した。
「大ちゃん、そのあたりのことは、今でも、はっきりしていないのよ。
 彦五十狭芹彦(ひこいさせりひこ)様は、孝霊天皇の皇子で、お母さまは、倭国香媛(やまとのくにかひめ)というのは確かだと思うし、吉備の国を平定して、その後は吉備津彦を名乗ったのも間違いない事実だと思うんだけどね……
 でも四道将軍(しどうしょうぐん、よつのみちのいくさのきみ)というのは、『日本書紀』に書かれている皇族の将軍で、北陸道、に大彦命(おおびこのみこと)、東海道に、武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)、西道(山陽道)に、吉備津彦命(きびつひこのみこと)、丹波道に、道主命(たんばみちぬしのみこと)の四人とされているの。
 でもこの崇神天皇についての記述が問題なの。崇神天皇は、ヤマト王国の基盤を整えたとされ、実在した可能性のある最初の天皇とする説があって、実在したとすれば、三世紀後半から四世紀前半と推定されているのよね。
 そして、この崇神天皇が、四道将軍を任命して、各地に派遣した。服従しない者は、武力をもって討伐することを命じたということ何だけど……
 ちょっと計算が合わないのよね。ヒコさんは、第七代孝霊天皇の皇子で、その後、第八代孝元天皇、第九代開化天皇、そして、第十代崇神天皇と続くのよね。だから、ヒコさんが活躍した年代と崇神天皇が命じた年代に大きな差があるのよ。
 だから、この四道将軍というのは、ヤマト王権が、日本統一を行ったということを、対外に向けて、かっこいい話に創作したのではないかと、私は考えているのよ。あくまで私の考えだけどね。
 だから、ヒコさんが、四道将軍や崇神天皇のことを知らないのも、無理ないかなと思うのよね」
 といっきに話し終えたさつきは、「ふーっ」と、ため息をついた。
「その天皇というのは、大君(おおきみ)のことですか?」ヒコさんがたずねた。さつきは、はっと何かに気が付いたように、ヒコさんに向かって言った。
「そうか、天皇という名称はまだできていなかったんだ。ヒコさん、ヤマト国の様子を、詳しく私に教えてくれませんか? 祭事や政治、経済について、いっぱい知りたいです。もしかしたら、古代史の通説を覆すような発見になるかも……」
「はいはい、そこまでね。今日は時間がないからね、ぼちぼちにしようね」
 大輔は、さつきをなだめるように言った。
 すべての料理を、きれいに平らげた四人は、再び大輔の車に乗り込んだ。そのまま、旧二号線を倉敷方面に走ると右折し、ホームセンターに車を止めた。
「ここには、田畑で使う道具や、木材を加工する道具があります。見てみましょう」
 植木鉢などが並んでいる入口を入ると、右奥に農機具が並んでいた。ウーさんやヒコさんは、たくさんの種類のクワがあるのにおどろきながら、手に取って熱心に眺めている。
 クワ、カマ、ハサミ、レーキ、シャベル、スコップなど、様々な道具をどのように使うのか、詳しく問われたが、大輔とさつきは、両親が家庭菜園をしていて、時々手伝わされていたのでなんとか説明することができた。
 ウーさんは、特に、備中鍬に興味を持ったようだった。
「これはいい! 今までは、木の股木を使っていたが、鉄製にしたのがいいな。刃の先が三本に分かれているものがよさそうだな。これなら深くまで耕せるな」
 さつきは、鍬の名前を見て、ウーさんに話しかけた。
「ウーさん、この鍬は『備中鍬』という名前みたいよ。備中というのは、吉備国が四つに分かれた国の一つだから、吉備の国で作られた鍬ということだと思うの。もしかしたら、ウーさんや、ヒコさんが開発した鍬じゃないかな?」
「へえ~! 自分たちが開発した道具が、千年以上後の世でも使ってもらっているなんて、なんだか嬉しくなってくるねえ~、ヒコさん」
「そうやね。ここでしっかり見て帰って、いい道具を作りましょう。そしたら、今度来た時には、備中スコップなんて置いているかもしれんですよ」
 ヒコさんも楽しそうだ。大輔は、次にその横にある大工道具のコーナーに移動した。そこでも、さまざまな道具が並んでいて、目を輝かせながら観察している。
 電動工具にも目がいったが、これは自分たちの世では使えないことがわかると、興味がなくなってくるようだった。多種多様な、ノコギリやノミ、金槌など、手に取って眺めている。
 何か欲しいものはないか、と聞くと、
「欲しいものだらけですが、持ち帰っても、吉備の国では同じものは、作れそうにありません」
 と、ウーさんのさびしそうな声。それでもカンナやチョーナ、墨付けの道具などヒコさんと細かなところまで観察し、話し合っていた。
 結局、太陽光発電のLEDライトと小さな移植ごてを買っただけだった。
 次に、旧二号線を少し戻ってスーパーに向かった。ここでは、お土産を買うため、四人でカートを押しながら、珍しいものや、役に立ちそうなもの、阿曽姫やサトさんが喜びそうなものを探した。
 ウーさんが、真っ先に探してカートに入れたのは、やはり日本酒だった。顔が完全に、にやついている。なんとヒコさんも、そおっと自分の分も入れているではないか。
 後は、ポテトチップス、饅頭、チョコチップスクッキー、せんべいなどのお菓子類。
 さつきは、あの時代には、貴重品であろうと思われる、砂糖とコショーを大量にカートに入れた。
 会計を終えて、商品を入れたレジ袋を車に乗せると、そのまま隣の百円均一のお店に向かう。ここでは、様々な大きさのプラスチック容器やコップ、食器、装飾品などを購入した。
 車に乗った四人は、自宅への道を戻っていたが、
「もう一カ所見学しましょう」と、大輔が言った。
 吉備津神社の参道に入ると右折し、吉備の中山に続く細い道を上がり、左の山の斜面の果樹園を通り過ぎると、右に「岡山県吉備古代文化財センター」と書かれている施設が見えてきた。この駐車場に車を止めて、大輔は言った。、
「ここの展示室も見ていきましょう」
 古代文化財センターらしい、やや古い感じの玄関を通り、正面にある展示室のドアを開けると、さまざまな展示が、目に飛び込んできた。
 さつきは、入ってすぐ右側の「鬼ノ城」に関連した展示を指さして言った。
「これは、ウーさんやヒコさんがいた所から、三時間程西に歩いたところにあるお城です。三里ほどの距離でしょうか? このお城はご存じですか?」
 ウーさんやヒコさんは、城の門を復元した写真や、付近の地形を再現したジオラマを見て首をかしげている。そのうち、ウーさんが話し出した。
「このあたりは、阿曽姫の郷で、私も若いころ住んでいました。砂鉄から鉄を作るための作業小屋を建てて、大陸からきた仲間や、吉備の人々といっしょに始めました。
 今では、製鉄は、吉備の各村に広がっていますが、この辺りでも続けています。でもこのような大規模な城を作ったことはないがな。おそらく、もっと後の時代にできたものではないでしょうかな?」
 ヒコさんも、うんうんとうなずいている。さつきも同じようにうなずきながら答えた。
「やっぱりそうなんですね。この説明にも、百済での白村江の戦いの後、大陸から攻めてこられた時の対策として、日本各地に城を築城した、と書いていますので、ウーさんたちの時代よりは後に作られたということですね」
 さつきは、入口に戻って、土師器や須恵器が並んだ展示の前にある、一メートル四方くらいの小さなジオラマの所に行き、ふたりを手招きした。
「これ何だかわかりますか?」
「えっ? 船着き場じゃろ? 今、住んでいるところから下ったところにあるでな」
 ウーさんは何でもないことのように言った。「さっき食べたお店の近くに、その波止場の後が見つかったんですよ。上東遺跡と呼んでいます」
 ウーさんは、笑みをうかべながら、うなずいている。ふと横を見ると、ヒコさんが、何やら展示ケースを食い入るように見ていた。他の三人も近づいてみると、それはきれいに装飾された剣だった。
「この剣は、なかなかいい剣ですね。私のものより、高度な技術で作られているようです。装飾も素晴らしい! 少しさびているのが残念だが。これは、何かと交換していただくわけにはいかんのでしょうな?」
 さつきは、笑顔で首を横に振った。ヒコさんは、やはりなという顔で納得。
 展示室を出た四人は、車の方に歩いていたが、さつきが振り返って言った。
「この近くで、もうひとつ見てもらいたい所があるんだけど、少し歩きますがいいですか?」
 吉備古代文化財センターから少し道を下ると、右に黒い標識が見えてきた。そこには「中山茶臼山古墳」と表記している。標識の横からは真っすぐに尾根に向かって長い階段状の登山道が伸びている。上を見上げても終着点は見えない。これは一汗かきそうだ。
 四人は、黙々と階段を昇り始めた。ウーさんやヒコさんは、さすがに体力がある。みるみる大輔たちとの距離が広がっていく。
 大輔は、趣味が登山であり、普段から階段を上ってトレーニングしているので平気だが、さつきは、腕の怪我で運動らしきことを、しばらくしていなかったものだから、かなりきつそうだ。大輔は、そんなさつきにペースを合わせながら、ゆっくり登っていった。
 尾根にでると、そこは明るく、広場になっていた。道は左右にわかれており、右の方向には、テニスコートくらいの広さの運動場のようなスペースが設けられていた。ベンチもあり、ちょっとした休憩ができそうだ。
 さつきは左の方向に歩を勧めた。先には、数段の石段があり、そこを上がると中山茶臼山古墳であった。古墳というよりは、しっかりとした天皇家の御陵の装いをていしている。
「ここは『茶臼山古墳』と書いてあるけど、私たちは『御陵』と呼んで大切にしているんですよ。りっぱなお墓でしょ」
 ウーさんたちは、大きくうなずき、黙礼をした。そして、ヒコさんが、さつきにたずねた。
「どなたのお墓でしょうか?」
 さつきは、黙ってヒコさんの顔を見ている。ウーさんは、さつきとヒコさんの顔を交互に見ながら、はっとした表情に変わった。ヒコさんは、御陵の方を振り向きながら、
「もしかして、私の?」
 さつきは、静かにうなづいた。
「そうです。吉備津彦様の御陵です。吉備津彦命様は、孝霊天皇の皇子であられるので、今でも国の宮内庁が、ちゃんと管理しています。そして、地元の人たちも、『吉備の中山を守る会』をはじめ、多くの人々がずっと大切に守ってきているのですよ」
 それを聞いて、ヒコさんは、涙をうかべていた。改めて皆が静かに拝礼した。
 緑の木々の間から、爽やかな風が吹き、四人を包んでいる。周囲からは小鳥の声が聞こえていた。
 四人は、ゆっくりと、もと来た道を降りて行った。車に戻って、ドアが閉まった時、ヒコさんが、
「千年以上もたっているのに、このように皆に大切に思っていただき、私は幸せ者です。これから、ウーさんと共に吉備の人々を大切にしていきたいと思います。大輔さん、さつきさん、本当にありがとう」と、静かに頭を下げた。
 大輔とさつきは、後ろを振り返って、ヒコさんの手を握って言った。
「私たちこそ、ウーさんとヒコさんの心が通い合って、とても嬉しいです。こちらこそありがとうございます」
 三人の手の上に、ウーさんの手が重なり、硬く握り合った。

「さあ、もう一カ所寄りますよ。出発!」
 さつきの元気な声は皆の疲労回復剤の効果があるようだ。
 車は、もと来た道を降りて、神社の駐車場に止めた。車から降りて、手水場で身体を清めた後、石段を上る。やや長い石段を上り詰めると、立派な拝殿が現れた。さつきが説明する。
「ここは、吉備津神社といいます。ヒコさん、いや失礼。吉備津彦命をお祀りしています。すぐ近くには吉備津彦神社といって同じような名前の神社があるんですよ。ヒコさん大もてやね。ウフフ……」
 さつきが、何やら笑い出した。どうもお祀りされている本人を目を前にして、照れているらしい。「えへん」と咳ばらいをして続けた。
「これらの神社は、昔は一つだったのですが、吉備の国が、備前、備中、備後、美作の四つの国に分かれてからは、それぞれの国に一つずつ分霊して神社を設けたわけなんです。折角ですので、お参りしていきましょうね」
 四人は、揃って拝殿に行き、手を合わせた。ヒコさんは、
「自分を祀っている神殿に手を合わせるというのは、何か不思議な感じがしますな」
 他の三人も同感といった顔でうなずいた。車に乗って大輔の家に帰ると、太陽はもう傾きかけていた。
 急がないと、太陽が沈んでしまったら、帰れなくなるよ。いそいで荷物をまとめよう。大輔とさつきは、今日買った品物を、二人のザックに分けて入れ始めた。
「さっちゃん、我々の来ている服は、どうしましょうか?」
 ヒコさんがたずねると大輔は、
「今日の記念に差し上げますので、そのままの恰好で帰りましょう。着てきた服は、この袋に入れてください。持って帰りましょう」と、レジ袋を渡した。
 大輔は、隣の部屋から、もう使わなくなった登山用のザックを二つ持ってきて、入りきらなかった荷物を入れ、ウーさんやヒコさんの服も、その中に収納した。
 二人は、未来の不思議な形をしたザックを背負って得意げだ。
 バタバタと急いで帰り支度をした四人は、やや日が西に傾きかけた窓際に立った。
 その時、さつきが、手を「パン!」と鳴らして振り返った。
「大ちゃん大変、剣を忘れてる!」
 あわてて押し入れから剣を取り出して、二人に渡した。
 来た時と同じように、大輔たちは手を握り合い、勾玉に向かう。夕日にかざされた勾玉が、赤い光を発し、皆の瞳を貫いた。
 その瞬間、勾玉の中に吸い込まれ、四人は、緑の空間を移動していた。いつものように周りの大小の惑星が後方に移動している。
 しかし、その直後、右上から稲妻のような光が走った。と同時に「ギリッ! ギリッ!」と異様な音が響いてきた。四人は、不安な顔で見つめ合ったが、どうすることもできない。
 そのうち、前方に光のトンネルが現れ、気が付けば、アツシの屋敷の前に立っていた。



ステージ Ⅶ 別れ

「さっきの稲妻や大きな音は、何だったのかな? 大きな物が裂けたような、割れたような、なんとも恐ろしい音だったね。大ちゃん、あんな音、今までに聞いたことある?」
 さつきが不安げな顔で言った。
「いや、初めてだよ。どうしたのかな? でも無事戻れてよかった」
 四人が、安堵のため息をつくと、後ろから、懐かしい声が聞こえてきた。
「お帰りなさい。いかがでしたかな?」
 後ろには、アツシやサト、そしてヒコさんの部下が、おどろいた顔を、こちらに向けている。それでもアツシは、一番落ち着いているようで笑顔だった。
「後ろから見ていると、四人が霧のように、すーっと消えたかと思ったら、また、すぐに現れたという感じなんじゃわ。
 ところが、着ている衣服が、瞬間的に変わったので、おどろいたな。吉備津彦様、温羅様、なかなか不思議な服装をされてますな」
 吉備津彦の部下も、服装を上から下まで、なめるように見た後、吉備津彦の顔を見て、目をぱちくりしている。
 阿曽姫やサトたちは、瞬間冷凍したような顔になっていた。それはそうだろう、初めて瞬間移動を目撃したのだから……
 それでも、変わりのない吉備津彦と温羅の顔を見て安堵したようだった。二人とも、その場にしゃがみこんで、泣きだした。
 ヒコさんとウーさんは、あわてて二人の手をとって抱き起していた。
 大輔とさつきは、振り返って太陽を見た。こちらは、まだ朝のようだ。一日中、二人を案内して疲れているのだが、こちらの世界では、まったく時間が経過していない。
 皆、口々に話をしながら、坂を上って温羅の屋敷に歩いていった。
 温羅の屋敷に入り、皆が座ると、吉備津彦は、大輔とさつきに向かって深々と頭を下げた。温羅も吉備津彦にならっている。
「大ちゃん、いや大輔殿、さつき殿、この度は本当にありがとうございました。千五百年先の世の中を見学させていただき、本当に良い勉強になりました。今回得られた知識を、温羅殿と共に吉備の国作りに役立てていきたいとおもいます。
 ただ、お二人に大いなる散財をさせてしまいました。大変もうしわけなく思っています。それで、どのようにお返しをしたらよいか、思案しているのですが、名案が浮かんできません。
 温羅殿、それからサト様、阿曽姫、皆の衆、なにか良き案はないだろうか?」
 温羅や阿曽姫たちは、考え込んだ。部下たちも首を傾けて思案している。
 大輔は、笑顔で言った。
「そんなことは心配いりません。お菓子や小物類なので、わずかな出費なのですよ。気になさることはなにもありません。
 それより、私たちは、皆さんの国作りのおかげで、平和な暮らしができているのですから、逆に私たちが、あなたがたご先祖さまに感謝しているのです」
 さつきも大きくうなずいている。そして、「パンッ!」と手を叩いた。
「さつき殿の手拍子には、もうおどろかなくなりましたよ」ヒコさんが笑いながら言った。
「みなさん、美味しいものを持って帰りましたよ。一緒に食べましょう!」
 さつきは、手に持っていたエコバッグから、白い箱を取り出した。中を開けると、なにやら、甘いいい香りがただよってきた。
「さあ、阿曽姫様、サトさん、皆さん食べてください。白十堂のワッフルですよ~!」
 大輔は、あの時、これを買っていたのか……と納得した。阿曽姫とサトは、ワッフルを受け取ると、表面がでこぼこした、不思議な形状を見つめていたが、そのなんともいえない甘い香りに鼻を近づけ、目を閉じて深呼吸している。そしておもむろに口の中に入れた。するとなんともいえない幸せそうな顔をして二人でうなずいた。どの時代になっても、女性の好きなものは同じなのだ。
 大輔は、幸せそうな二人から、視線を横に向けた。するとウーさん、ヒコさん、そしてあろうことか部下の全員が、同じ恍惚とした顔をしているではないか。やはり生クリームの威力は、男女を問わずすごいものだと感心した。さつきは、みんなの幸せそうな表情を見て大満足の様子。
 皆が食べ終わると、大輔たちは、ザックの中から、今日お店で購入した数々の品と、二人が来ていた服を取り出した。
 皆の前に、さまざまな品が並べられた。ヒコさんは、皆にそれらの品を一つ一つ丁寧に説明している。
 皆は、見たこともない品々に対して、質問したり、触れたりして、上気しながらも和気あいあいといった雰囲気になっている。一通り説明が終わると、ヒコさんは、姿勢を正して再度礼を述べるとともに、何かお礼をしたいと言った。皆もうなずいてこちらを見ている。
 大輔は、アツシとサトの方を見て言った。
「アツシさん、サトさん、私が明神という氏だということは、以前お話しましたね。私が暮らしている家も、今、アツシさんたちが住んでいる家と同じ場所なのです。たぶん、私は、あなたたちの子孫だと思います。
 そのためか、アツシさんやサトさんを見ていると、今の私の父母とよく似ているような気がするのです。とても他人とは思えません。
 それで、もしよければ、お二人の身近な何かを記念にいただけないでしょうか?」
「わしたちも大輔さんが、私たちの子供のような気がしていました。それで、お土産に渡そうとサトと用意していたものがありますので、それを受け取っていただきたいのじゃ」
 アツシは、後ろに置いていた袋を差し出した。大輔が受け取ると、
「それは、わしが彫った夫婦像じゃ、もう一つは、サトが作った安産祈願の埴輪(はにわ)じゃ、安産祈願は、もうわしたちの子供で実績があるから確かじゃぞ」
 といって笑った。サトは、
「この埴輪(はにわ)は、私が妊娠した時に、安産を祈願して心を込めて作ったものです。大輔さんのお嫁さんになる人に渡してください」
 と言いながら、さつきの方を見て微笑んだ。
 さつきは、少し顔を赤らめている。大輔は、心からお礼を言って受け取った。
 次に、阿曽姫が、さつきに話しかけた。
「さつき様は、私たちを強く感じてられますね。さつきさんの身体から、そのような『気』を感じています。お会いしたときから……」
 さつきは、話し出した。
「実は私の家もこの場所なのです。アツシさんんの屋敷から歩いて来ている時に『あれ?』と思いました。この温羅さんの屋敷のある場所は、私の家のある場所だって……
 そして、阿曽姫様は、九州の阿蘇の山の神をお祀りしている神職であることをお聞きし、確信を得ました。
 私の家も、以前は神職をしていたそうです。山の神様をお祀りしていたとのことで、氏も本当は山上ではなく山神だったと聞いています。
 ですから、私は、阿曽姫様と温羅様の子孫ではないでしょうか?」
「やはりそうでしたか、私たちもそうかんじていたのですよ」
 阿曽姫は、さつきを見つめながら話している。
「これは、私たちが大切にしている物です。これを、さつきさんに託します。私たちだと思って、身に着けていただければ嬉しいです」
 阿曽姫は、小さな布袋をさつきに手渡した。さつきが、それを開けようとすると、それを制して言った。
「さつき様の時代に戻られてから、開けてください」
 さつきは、両手で押し頂いてザックに大切にしまった。
 それらを見ていたヒコさん、いや吉備津彦命は、横に置いていた剣を大輔に差し出した。
「これは私が、父の孝霊天皇から譲り受けた剣です。もうこの国では剣は必要ないでしょう。大輔殿に、もらっていただきたい。ヤマト国の職人が作ったものですから、あまり上質のものではありませんが、良ければお納めください」
 大輔は、貴重な物であり、硬く固辞したが、吉備津彦の言葉におされて、受け取ることにした。両手で捧げ持ち受け取り、それを自分のジャケットで丁寧に包み、ザックに収めた。
 その時、温羅が横に置いていた自分の剣を、吉備津彦に差し出した。
「吉備津彦様、この剣をお納めください。これは、吉備の国の最高の砂鉄を使って、優秀な職人が手間暇かけて作った鉄剣です。私が大切にしてきたものですが、これから吉備国を収める、棟梁が持つにふさわしい剣だと思います。この剣は、吉備津彦様が持つべき剣です」
 吉備津彦は、しばらく温羅の眼をみつめて沈黙していたが、深くうなずき、差し出した剣を受け取った。それを腰に挿すと、両手で温羅の手をしっかりと握り、そして言った。
「温羅殿の心根、しっかりと承りました。これからは共に、吉備の国繁栄のため、力をつくしましょうぞ!」
 吉備津彦と温羅の眼には光るものが満ちていた。吉備津彦の部下や、アツシたちも感動し目をうるませていた。
 大輔たちは、身支度をして、皆の顔をひとりひとり網膜に焼き付けるように見ている。さつきも、うるんだ目で阿曽姫たちを見つめていた。大輔は、胸ポケットから勾玉を、そおっと出して言った。
「ここえ戻ってから気が付いたのですが、この勾玉に、ひびが入りだしたようです。もしかしたら、もう皆さんとお会いすることができないかもしれません。
 吉備の国が、さらに繁栄した姿を拝見したかったのですが、どうやら難しいようです。先の世界で皆さんの活躍とご健康をお祈りしています」
 大輔とさつきは、皆といっしょにアツシの館まで下りて行った。そして、いつもの場所に立つと、皆の方を振り返って笑顔で手を振った。
 温羅たちも、後ろに下がって手を振っている。大輔は、さつきを自分の身体でかばうように近づけ、今までよりも強く手を握った。勾玉を手のひらで優しく包むようにして太陽にかざすと、二人はその仲を覗き込んだ。
 その瞬間、二人は霧のように消えていった。消えた二人の影を見届けるように、温羅たちは、その場にたちすくんでいた。

 大輔とさつきは、今までと変わらない緑の空間をただよっていたが、急に左前方に稲光がして、鋭い光線が斜めに走るのを目にした。
 眼がくらむような白い光を発しながら、二人の後ろで、そして右横でも、次々に稲妻が光りだした。
「ガリガリ!」
「ギリギリ!」
「ドシーン!」
 と、絶え間なく大きな破裂音が聞こえてくる 二人は恐怖で声も出ない。大輔は、二人の体が離れないように、さらに強く抱きしめた。大輔の腕の中で、さつきは、震えていた。
 どのくらい時間が経過したのだろう。二人にとっては、何十分も雷雨の暗闇に放置されたような恐怖と孤独の中にいた。
 すると二人の眼前に、いつもの光のトンネルが現れた。
「あの光のトンネルさえ抜ければ、もとの時代にもどれる!」
 大輔が、つぶやくと、さつきが叫んだ。
「あっ! 光のトンネルが、だんだん小さくなってきている。もうあんなに小さくなってきた。早く行かないと閉まってしまう!」
 二人は、水の中を泳ぐように、手や足を前後に動かしてもがくように歩いたが、気持ちばかりで、なかなか前に勧めない。もうだめかと思った瞬間、
「ドドーン!」
 と、大きな爆発音がして、二人は、暗い空間に投げ出された。耳の奥が「ピィーッ」と耳鳴りがして、何も聞こえない。
 どのくらい時間がたったのだろう、大輔が、そおっと目を開けてみると、そこは自分の部屋だった。腕には、さつきが懸命にしがみついていた。窓の外からは、明るい日の光が差しこんでいる。
「さっちゃん、大丈夫? どうやら無事に帰ってこれたみたい」
 さつきは、ゆっくりと周囲をながめたあと、大輔から離れた。
「怖かった! もう戻れないかと思った」
 大輔は、再び、さつきを抱きしめ、安堵の息をついた。大輔の手には、いくつもに分裂した勾玉が握られていた。



エピローグ

 二人に、いつもの日常が戻ってきた。今までと特に変わったところはなく、急性期病院ならではの多忙な業務が待っていた。
 大輔は、受け持ち患者の毎日のリハビリを終えた後も、整形外科、血液内科とのカンファレンスや部内の勉強会に参加しなければならない。
 また、来月の血液内科学会での発表原稿や、スライドの作成など、さまざまな仕事に追い回されていた。
 そんなある日の夜七時頃、カンファレンス室でスライドを作っていると、山内技師長がやってきた。
「大ちゃん、がんばってるねー! ところで、何かいい話はないかな?」
 いつものノーテンキな雰囲気を作って話しかけてきた。大輔は、この山内技師長とは気が合うのだが、このノーテンキな仕草は、技師長のポーズであることは知り抜いている。油断は禁物なのだ。
「ないですよ。僕の方が何かいいことを教えて欲しいですよ」
 山内技師長は、それならとばかりに話しだした。
「あるよ~、とってもいいことが……」
 顔は笑っているが、目は笑っていない。大輔は言った。
「まさか、また何か新しいことを始めるんじゃないでしょうね。嫌ですよ、技師長すぐ飽きるんだから。飽きたら僕たちに丸投げして、逃げるのわかってますから…… もうダメダメ!」
「あっ、そういうことを言う? せっかくいい知らせをもってきたのにな……」
「えっ、何ですか?」
「この前、発表した論文が最優秀賞に選ばれたよ! おめでとう! よくがんばったな。明日の朝礼でみんなに発表するからな」
 大輔は、思わずガッツポーズをとった。

 その週末の朝、大輔とさつきは、共に吉備津神社に向って歩いていた。二人の家から道を降りると、東西に通っている旧山陽道に行き当たる。
 この山陽道は、「秀吉の中国大返し」で有名な道だが、このあたりには、特に古い町並みは残っていない。
 旧山陽道を右折し、西に進むと、吉備津神社の一の鳥居が見えてきた。一の鳥居の前に立つと、真っすぐに伸びている参道を見通すことができる。ずっと先には、二の鳥居や吉備の中山が見えている。
「カン、カン、カン」と踏切の音が聞こえてきた。岡山から総社に向かって伸びている吉備線、別名桃太郎線を赤い二両編成の列車が走ってきた。一の鳥居と二の鳥居の間を、この吉備線が通っているのだ。
 早朝の静かな参道を、二人はゆっくりと吉備津神社の方向に歩を進めた。早朝の参道では、ボランティアの人々が、それぞれの清掃道具を持って、掃き清めている。この吉備津神社や、裏山である吉備の中山は、多くの岡山市民によって大切に守られているということがよくわかる。ボランティアの人々に、軽く頭を下げながら二人は歩いた。
 突き当たった所が吉備津神社だが、拝殿に進む階段を上るためには、左方向に回り込まなければならない。神社前のお土産屋さんの前にある手水場で身体を清めてから、階段を上がる。
 二人は、拝殿で手を合わせながら、古代の人々の無事を祈った。大輔が祈りを終えて横をみると、さつきが、後ろを振り返り、吉備津神社の由緒や境内の案内板を見つめていた。
「あっ! 前と内容が変わっている。温羅さんの鬼の話がなくなって、吉備津彦命に協力して吉備の国を反映させたと書いてある。すごい、温羅さんたち、あれから仲良く国造りができたんだね。よかった! よかったぁ~!」
 とても嬉しそうな顔で説明板をよみあげている。その途中で、
「とすると……」
 と言って、回廊を奥に向って歩きだした。大輔は、
「どこにいくの?」
 と言いながら、後を追った。
 回廊を進み、途中から右に曲がって「御釜殿」の方に向かっている。御釜殿の右横にも、大きな説明板がある。さつきは、それを読みながら笑いだした。
「ウーさんたちにも困ったもんだ!」
 さつきは、お腹を抱え、涙をながしながら笑い続けている。大輔は、何がそんなにおかしいんだろうと、説明板に書かれている解説を読んでみると、
「この神事は、吉備津彦命に祈願したことが叶えられるかどうかを、釜の鳴る音で占う神事です。
 この神事の起源は、ご祭神の温羅様と吉備津彦命様の新酒醸造のお話に由来します。お二人は協力して吉備の繁栄に尽くされたことは有名な話ですが、日本酒の醸造にも尽力されました。新しい製法を開発し、吉備の酒は日本一といわれるようになり、天皇家にも毎年献上されていたとのことです。
 そして、その年の新酒の出来栄えを占う神事として、このお釜殿で執り行なわれるようになりました。ここで米を蒸した時の、釜の音が高らかになると、その年良い酒ができるということです。
 これが鳴釜神事の起源です。
 また「大吟醸」という言葉も、この吉備の国の発祥だと言われています」
「ウーさんたちにも困ったもんやね」
 大輔も笑いながら言った。さつきは、まだ笑いが止まらない様子。
「ほんと、よっぽど、あの時のお酒が美味しかったんやね」
 ひとしきり笑い終わると、二人は、回廊を歩いて戻り始めた。
「あっ! ここにも『温羅神社』ができている! 吉備津彦神社には、以前から、末社として、温羅様をお祀りした神社があったけど、吉備津神社にもできているわよ。大ちゃん」
「ほんとだ、折角だから、お参りしていこか?」
「そうやね、そうしましょ」
 二人は「温羅神社」の前に立ち、てを合わせる。大輔は、ウーさんの大吟醸を飲んだ時の顔を思い出し、思わず吹き出してしまった。
「素敵な人たちだったね」
「温羅さんのリハビリテーションができてよかった」大輔は、嬉しそうにつぶやいた。さつきは、それを聞いて、
「温羅さんのリハビリテーション?」
 と、大輔を見ながら首を傾げている。
「そうだよ。温羅さんのリハビリテーションなんだ。リハビリテーションという言葉の語源は、『re』+『habilitate』に分けられるんだよ。
『re』の意味は『再び』、『habilitate』は『適した』という意味の単語が合わさった言葉なんだ。だから、リハビリテーションは、直訳すると『再び適合させる』ということになるけど、使用方法が変化してきて『名誉の回復』などの意味で使われるようにもなったんだよ。だから温羅さんの名誉回復という意味でリハビリテーションなんだ」
「そうか、大ちゃんの本職だしね」
 さつきは、納得顔でうなづいた。
「そうそう、不思議なことがあるんだよ。昨日、リハビリテーション専門病院に転院した三宅さんのことを、もう一度確認しておこうと電子カルテを見てみたんだ」
「あの勾玉を預かった、おばあちゃんでしょ?」
「そうだよ。ところが、いくら検索しても患者のデータとして表示されないんだよ。おかしいと思って、転院先の病院に勤務している、友人の理学療法士に尋ねてみたんだ。すると、『そんな人転院してきていないよ』と言われた」
「え~っ! そのおばあちゃんは、存在していなかったということ?」
「そうなんだ、僕は、誰をリハビリして、誰から勾玉を預かったんだろう?」
「不思議なことがあるんやね」
「そして、ウーさんの屋敷に連れていかれた時、ヒコさんの前で祈祷していた老女が、後で僕にウインクしたやろ。あの人の顔が三宅さんにそっくりやった。それで、僕は思わず、声をだしそうになったんだよ」
「あぁっ、あの時ね」
「そして、いつの間にかいなくなっていたんだよ。三宅さんは、何か神の使いなのか、不思議なパワーを持った存在だったのかもしれんね。この世には科学では解明できないいろいろな現象があるんだなと思う。今回の経験からつくづくそう思うようになったよ」
「私も同じよ。本当に不思議な経験をしたよね」
 二人は、ゆっくり話をしながら回廊を歩いて、吉備津神社を後にした。

 大輔の部屋に戻ると、二人は、吉備国の皆さんにいただいた物を部屋の中央に集めた。須恵器、埴輪、木彫りの人形、剣、そして阿曽姫に頂いた布袋。
 これらの物は、博物館などに展示してある、同等品と比較しても、格段に保存状態が良い。それはそうだろう、最近まで使われていたもので、埋蔵されていたものではないのだから。
 大輔は、剣を柔らかい白い布で包みながら言った。
「これらを僕たちが持っていて、いいんだろうか? 博物館に寄贈しなくてもいいのだろうか?」 
 さつきも思案顔だ。そして、思いついたように、阿曽姫から頂いた布袋を、手のひらに、そーっとのせた。それは軽く小さなものだった。
 袋をゆっくり開けて、中のものを取り出す。
「あっ! 勾玉よ! これは、阿曽姫が首にかけていた勾玉だと思う。そんな大切なものを私にくださったのね」
 さつきは優しく勾玉をなでている。大輔は、机の上から、もう一つの勾玉を手に取った。それは、大輔たちが帰還した時に、割れてしまった勾玉だった。
「あれ? 割れて、いくつかの破片になっていたのに、もとにもどっているわ」
 さつきが、おどろいた声で言った。
「あまりにも悲惨だったので、接着剤で修復してみたんだ。よく見ると、ヒビは見えるけど、なんとかもとの形に戻ってるだろう」
「そうね。この方がいいよね。でも、よく見るとこの二つはそっくりやね。色も形も本当にそっくりで、同じものみたいやね。私、この阿曽姫様にいただいた勾玉、大切にする」
 さつきは勾玉を、もとの袋に戻して、大事そうに胸のポケットに入れた。大輔も大切に勾玉を机の引き出しにしまった。
「大ちゃん、この須恵器の壺や吉備津彦様の剣は、国宝級のものだから、よく考えてからじゃないと、古代史の研究者に質問されたときに困ると思うのよ。だからしばらく私たちで大切に保管しておきましょう。特に剣は、錆をださないように注意しないとね」
 二人の視線は、アツシさんとサトさんに頂いた埴輪と人形に移った。その時、大輔は埴輪を大事そうに手に取り、その表情をじっと眺めた後、さつきの膝の上に置いた。
 大輔は、じっとさつきの眼をみている。さつきも何かを待つように、まばたき一つせず大輔を見ている。
「さっちゃん、これからも僕とずっと一緒にいてくれませんか? そして、その埴輪に守られながら二人の大切な子供を育てていきましょう」
 そこまで言うと大輔は、さつきの言葉をまった。
 さつきは、埴輪をやさしく手に包みながら、うなずいた。
「私たち、幼稚園からずっと一緒で、これからも、ずっと一緒ね」
 さつきと大輔は泣き笑いで手をにぎりあった。
 その時、さつきの胸の勾玉と、大輔の勾玉がそれを祝福するように優しく光ったのを二人は気が付いていないようだ。
「今日は二人で祝杯をあげようや。今から買い物に行ってバーベキューをしよう!」
「大賛成!! 今度は、スペアリブが食べた~い!! あっ! それから、総社でいつもの大好きなパンを買ってこよう!」
 二人は、買い物をして、酒楽庵で、準備にとりかかった。小枝と新聞紙を使って、炉の中で火をおこし、木を足して焚き火を始める。それを種火にして、七輪の中の炭をおこす。もう慣れたものだ。スペアリブ、ししゃも、キャベツなど材料をテーブルの上に並べ、缶酎ハイを冷蔵庫から運んでくる。
 机の上では、ブルートゥースでスマホの音楽サイトにつながっているスピーカーから、生ギターの心地よいサウンドが流れてきた。ちょうど夕日が山裾におちかけている。
 二人は、笑顔で乾杯した。
「パンッ!」さつきが手を打った。
「あっそうだ! 山内技師長に、このことを報告しておかないといけない」
 大輔が怪訝そうにさつきをながめた。
「なにを技師長に報告するんよ」
「私たちが結婚するということよ」
「なんで、さっちゃんが報告せんといかんのよ」
 さつきは、七輪の上に並べられたスペアリブをひっくり返しながら言った。
「毎年夏に、病院全体でビアパーティしてるでしょ。そこで山内技師長に話しかけられたんよ」
 さつきは、その時のことを思い出しながら続けた。山内技師長は、
「山上さんは、大輔の幼馴染なんやろ。以前、大輔から聞いたことがある。君たちは、仲もいいし家も近い、早く結婚したらええのにな。まだ予定はないんかいな?」
「あのセクハラ技師長は、いらんことを言って。こまった人やな~!」大輔はあきれ顔でつぶやいた。でも、さつきは気にしていない様子で、
「私は山内技師長さん大好きよ。とても部下のことよく考えてるし、話が理論的で、間違ったことを言わないから……」
「それは僕もそう思うけど……」
 さつきは、その時の話の内容を大輔に話すことにした。その時の話は次のような内容だった。技師長は、
「六年ほど前に、皆の希望で病棟を担当制にすることになった。つまり病棟ごとに担当の療法士を決めて、専門性を向上させようとしたんだ。皆がすべての疾患を担当していたら、なかなか深く勉強できないからね。当然の流れではあるんだ。
 でもその話には問題がある。やはり人気がある病棟と、そうでない病棟があるんだよね。要するに、皆が専門的に勉強したい診療科と、そうでない診療科があるということ。結局、力の論理が働いて、若かった大ちゃんは、皆があまり行きたがらない病棟を担当することになったんだ。
 私は、このことで彼が腐って、やる気をなくしてしまうんじゃないかと危惧した。
 ところが、彼は私のそんな心配を吹き飛ばすかのように、熱心に新しく担当した診療科のリハビリに取り組んだんだ。その病棟に多く入院していた疾患は、今までほとんどリハビリをしていなかった疾患だった。というか、リハビリをしても効果がないとされていた疾患だったんだよ。
 しかし、彼は積極的に運動負荷を行い、その結果を定量的にデータとして残していった。それも自分だけでなく、診療科の医師と一緒に取り組んだところがすばらしい。
 その結果、その疾患に対して、リハビリが極めて有効であることが統計学的に立証されたんだよ。しかも、その結果を、リハビリの学会だけでなく、医師の学会でも発表し、当院全体が全国的に注目されるようになったんだ。これは、すごいことだと思う。
 僕は、最近若い人が『自分のやりたい仕事をしたい!』とか、『自分が本当にやりたいことを見つける!』とか、マスコミが先導しているのを、よく耳にするけど、それはどうなのかな? と思うんだ。
 もし、その時、やりたいと思っている仕事につけたとしても、実際の業務をし始めると、決してやりたいことだけではなかったり、とても嫌なことを指示されたりすることがあると思う。
 その時、その人は、どうするんだろう。もう辞めてしまうのかな?
 俺だって理学療法士としてリハビリの仕事をしているけど、無理難題を要求されたり、理不尽な内容のクレームをつけられたりして、嫌になることもあるよ。
 山上さんだってそうやろ。しんどいことや、嫌なことがいっぱいあるけど、その中で、一生懸命していることが評価されたり、患者さんに感謝されたりすることがあるから続けていけるんよね。そんなものやないかと思うんだよ。
 そやから、やりたくない仕事でも一生懸命に取り組むことが大切なんだと思うんだ。
 大輔は、あの時、がっくりしたと思うんだ。でも気を取り直してがんばった。これはすごいと思う。僕は、彼はずっと年下だけど尊敬しているんだ。素晴らしい理学療法士だと思う。
 そうそう、面白いことがあるよ。以前、部内の人事考課を書いて、事務局長のところに提出しに行ったんだ。するとね、『技師長さん、仕事が早いね。他の部署は、まだだれも持ってきていないよ』と言われた。それで、僕は『嫌な仕事は。真っ先に済ませるようにしてるんですよ』と言ってやったんだ。するとね、局長は『俺なんか、嫌な仕事ばっかりだよ』と言って笑っていたよ。
 その時、俺は、はっとしたんだ。僕たちは一生懸命仕事をしたら、患者さんに感謝される。でも、事務職の人は一生懸命仕事をしても、直接、感謝してもらうことがないんだ。しんどい仕事だと思った。
 それ以来、医療機器を購入してもらったら、おかげで患者さんが良くなって、喜んでいるとか、こうなって職員が助かったとか、その効果を報告して事務職の人と、喜びを共有するようにしているんだ。もっとはやく気が付けばよかったなと思う。
 ちょっと話が長くなったけど、そういうことで、大ちゃんはオススメだよ。俺がいうまでもなく、山上さんは知っているだろうけどね」
 さつきは、あの時の山内技師長との長話を話したのだった。その話を聞いて、大輔は、涙を浮かべていた。
「あのセクハラ技師長もたまにはいいことを言うね。でも、さっちゃん、なんでそのことを今まで言ってくれんかったんよ」
「そんなこと、言えるわけないやん」と、七輪の炭か、レモン酎ハイのせいか、顔を少し赤らめていた。
 スペアリブを食べながら二人は今回の不思議な時間旅行のことを話し合った。
 焚き火の炎がゆらゆらと揺れている。時々、木のはじける音が聞こえてくる。
「大ちゃん、焚き火の炎って、いいよねぇ。見ていても飽きないのはどうしてかな?」
「それは、一瞬たりとも同じ炎がないからじゃないかな?」
「そうよね、全く同じ炎には巡り合えないのよね。これからも大ちゃんよろしくね」
「こちらこそ、あまり頼りにならないかもしれないけどよろしくお願いします」
 いつまでも焚き火の炎は、幸せな二人を照らしていた。その時、さつきの胸ポケットの勾玉もほのかな緑色に美しく輝いていた。

 この作品は、フィクションです。登場してくる人物や施設、企業名は架空のものです。

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