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日本最大の私塾「咸宜園」大分県日田市

大分の旅 2023.11 感動ポイント No.2 

 今回の大分の旅で、最も行きたかった場所、それが「咸宜園」(かんぎえん)でした。さまざまな歴史小説に登場してくる廣瀬淡窓先生の咸宜園は、私が日田市を知るきっかけとなった場所です。それまでは不勉強で大分県に日田市があることも知りませんでした。(申し訳ありません)
 JR日田駅を出て、右折し線路の下をくぐって約10分ほど歩くと咸宜園に到着します。途中「咸宜小学校」という名前の小学校があったのにはおどろきました。レトロな校舎で、ずっと廣瀬淡窓先生の教育が受け継がれてきていることに感動!

 想像していたよりもはるかに広大な敷地を有しており、江戸時代の施設だけではなく咸宜園教育研究センターが併設されており、咸宜園の歴史や教育について学ぶことができます。


 咸宜園(かんぎえん)は、1805年に広瀬淡窓によって、天領であった現在の日田市に創立された全寮制の私塾です。
「咸宜」とは、「みなよろし」の意味で、武士だけでなく、どんな身分の者でも男女問わず受け入れるという当時としては画期的な塾でした。
 門人は全国66州から集まり、75年の生涯で塾生は約5000人以上に及びました。
 咸宜園の建物は、東塾敷地にある秋風庵・遠思楼が現存しており、国の史跡、近世日本の教育遺産群のひとつとして日本遺産に認定されています。
 また、咸宜園の門下生としては、高野長英、大村益次郎以外にも多くの著名人を輩出しています。
 咸宜園を訪れて思ったこと。
 非常に広い。
 東西約110m、南北約80m
 戦前の学校の敷地くらいあるのではないかと思います。

 展示室に、61歳の時の廣瀬淡窓先生の肖像画があったのですが、痩せておられた。幼いころから病身であり、健康に注意されながら勉学をされたとのこと。(幕府から表彰されたことを記念して書かれた肖像画)
 何か事をなした人物というのは、知的に優れただけでなく、体力的にも頑健であることが多いのですが、廣瀬淡窓先生はそうではなく、病弱でありながら健康に細心の注意をしながら勉学を続けられたということに共感を覚えました。

廣瀬淡窓先生の教育理念

1.平等と民主的思想
 入塾する者に対して、身分、年齢、学歴を問わなかった。当時としては画期的な民主的な思想でした。

2.敬天思想
 敬天思想とは「人間は正しいこと、良いことをすれば天から報われる」という考え方で、広瀬淡窓先生の生活そのものが敬天でした。
 そして「人間に無用な人はいない。皆、必要な人である。人間は天が生み出した必要な子供である」という博愛の精神に満ちた先生でした。

2.広く学ぶ
 儒学、漢学だけでなく数学、天文学、医学に及ぶ広い範囲の学問を学び、学派にとらわれない抗議が行われました。
「多くの書物を読み、理解する。そして内容についてディスカッションし理解を深める」
「人間の考え方は人それぞれであり、周囲の者が決めるものではない」
 このような現代の多様性に通じる考え方をされていたようです。

教育システム

・5時起床から10時就寝まで、ほとんどが勉強の時間にあてられていました。その間、時間割も決められており、試行錯誤しながら、学びの制度や仕組みを作り上げていったとのことです。
 そして、ここで学んだ人たちが、故郷に帰り、これらの教えや学校のシステムを普及させていきました。それらの人の努力により、明治に学校制度として整備されていったのです。

・三奪法
 三奪法というのは、入門時の身分、出身、年齢などに関係なく、平等に学ぶことができるという教育方針です。

・月旦評
 入門時は無級ですが、毎月の試験結果で1級から9級に分けられ、それによって教育内容がグレードアップしていく現在の能力主義に近い方法でした。

 咸宜園の敷地内には、咸宜園教育研究センターが併設されていました。ここでは、咸宜園や廣瀬淡窓先生等に関する調査研究や咸宜園跡を訪れる方への案内が行われています。貴重な展示や、動画による解説コーナーもありますので、ぜひお立ち寄りください。
 また、販売コーナーには、咸宜園のオリジナルエコバッグや一筆箋など魅力的な品も置かれています。

広瀬淡窓先生の言葉
・「鋭きも鈍きも 共に捨て難し 錐と槌とに使い分けなば」
 人はそれぞれ異なる個性があり、それらを生かすことが大切であり、誰もが社会の中で何らかの役割を担って生まれてきているのです。

・「心高身低」
 心高身低とは、志は高く、身は低くという意味です。どうも最近は、逆では? と思われる先生が多いような気がしますが……

 また、咸宜園から歩いて数分の豆田町には、廣瀬家旧宅や廣瀬史料館がありますので、ぜひここも見学していただきたいと思います。

 そして、咸宜園に訪れる前に、ぜひ読んでいただきたい本がありますので以下に紹介します。

葉室麟(著):「霖雨(りんう)」
見延 典子(著):「頼山陽 上・下」
司馬遼太郎(著):「花神」

 特に「霖雨」は、必読の書といえるでしょうか。教育研究センターの方が、葉室麟先生も、この小説を執筆する前に、下調べのために来られたとのことでした。

 日田を訪れる前に某有名旅行ガイドブックを見ましたが、なんと咸宜園が掲載されていなかったのです。これにはおどろきました。最近のアニメの紹介や飲食店の紹介もいいのですが、それだけという記事には閉口しました。かつて全国から若者が日田を目指して集まった歴史があることを知っていただきたいなと感じるしだいです。
 咸宜園を守ってくださっている日田市のみなさんに感謝、感謝です。

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