第3回『トラウマティック・ブレイン ―高次脳機能障害と生きる奇跡の医師の物語』橘とも子著
頁数も多く厚みのある本だが、読み始めると引き込まれて一気に最後まで読んでしまった。事故から努力して医学部に入り、内科医になるまでのドラマ性もあり、つまらない小説よりもはるかに面白い。壮絶な闘病の記録を、よくぞ残してくれたと感動する1冊だ。
●16歳で交通事故に遭遇
1978年2月5日、高校1年生だった著者は自転車で模擬試験会場へ向かっていた時に、反対車線から飛び込んできた自動車に突っ込まれ、前輪が原形をとどめないほどの交通事故に遭う。全身に瀕死の重傷を負い、1か月間意識障害が続く。
救急搬送された病院では対処できず、直ちに転院した君津中央病院は、当時としては珍しいCTスキャンが導入された、最先端医療に取り組む病院だった。
整形外科病棟から脳外科病棟へ転科しながら治療は進んだ。
6月18日に退院するまでの脳や身体の治療やリハビリ、特に膝のリハビリは詳しく描かれている。
さらに傷病名と経過概要が表にされ、挿入されているのでとてもわかりやすい。
●高次脳機能障害と共に第2の人生
退院後は、なんと!翌日から高校に両松葉杖で登校する。
しかし、後遺症の高次脳機能障害のために、思い描いた花の高校生活とはかけ離れた日々を送る。
主な症状は、右半側空間認識の喪失、易疲労性、注意力・記憶力・判断力の低下、失語・非流暢性言語。それに身体の不自由が加わる。
獣医だった父の影響か、将来は医師になることを希望していた。満足な受験勉強もできないまま浪人。1年だけという父との約束で予備校に通う。
●できなくなったことを「できること」で機能補完
「受験勉強が自分の脳機能訓練であり自己流のリハビリだ」と考え、「覚える」勉強ではなく「考えを巡らす」勉強を心がける。例えば、選択肢問題は正解を覚えるのではなく、誤りを考えて正解に導くとか。
その結果、昭和大学医学部に合格し、消化器内科医、さらに公衆衛生行政医師と歩んでいく。
医学生の時は記憶を外部媒体に補完させ、医師となってからは診療や研究を自己流のリハビリにして、身体や脳の後遺症状を改善させていく。
この本は単に、高次脳機能障害の医師が治療過程を振り返って報告するだけではなく、日々の困難や、障害者に対する社会の反応を告白する。
だから、高次脳機能障害の本人や家族は共感し、医療従事者は患者の本音を知って驚く。
●周囲の支えと理解が大事
獣医師の父、母や姉妹、家政婦や学友など、周りの人たちの支えがよく描かれている優れた闘病記だ。
事故当日のことから詳しく描けたのも、父が事故の記録を、母が「看病ノート」を残してくれていたからだ。
高次脳機能障害は「見えない障害」として、相手を理解する以前に「侮蔑や嘲笑から対人関係がスタートする」。そんな場面を少なからず経験した著者は、高次脳機能障害を「きちんと受容できる社会」を形成するために、人生をかけてこの本を書いたのだと思った。
■書籍情報
橘とも子(たちばな・ともこ)著『トラウマティック・ブレイン ―高次脳機能障害と生きる奇跡の医師の物語』 2013年7月31日 株式会社SCICUS(サイカス)刊 定価1,980円⑩
<初出>
NPO法人Reジョブ大阪発行の情報誌「脳に何かがあったとき」2022年3月号
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