孤独と孤立ということばが降ってきた日
2022年11月30日
今日、ちょっとした用事があって都会へ行きました。
そこには大きな大きな書店があります。一日では足りない。1週間くらいテントを張って泊まり込みたい。
購入前の本を持って入れるカフェがあります。
目についた本を2冊選び、コーヒーを飲みながらゆったり。
こういう「本のウィンドウショッピングみたいな、行動」をなんて言うのでしょうね。
買わないけれど、ブラブラと本のタイトルを見てはウキウキしたり、チラッと中身をのぞいてはドキドキしたり、唸ったり。
そういう本好き人間の行動に何か名前がついていますか?
誰かご存知でしたら教えてください。
日本ならきっとある。
ところで今日はまた面白い現象が起きました。
今朝の朝日新聞にあったことば
「論座の一推し」という欄にあったタイトルです。
ここ数年で耳にする機会が増えた「社会的処方」ということば。そして
つなぐ先は、芸術やスポーツや園芸のグループ、ボランティアや図書館などの公的機関、とありました。
こんな活動に関わりたいな・・・と興味と共に心が温まった朝。
そして午後。その都会の書店でぶらぶらしていた(だからこういう行動をなんて呼ぶのだろう)その時。見つけたのです。同じことばを!
最近「聞く」とか「聴く」ということばに敏感になっている私が、迷わず手にした本がありました。
これまでせっせと切り抜いた新聞の山の中にもいくつかそのかたの記事があります。そんな見覚えのあるお名前。東畑開人さんの本。
「聞く技術 聞いてもらう技術」 ちくま新書
そうです。この本を持ってコーヒー2杯飲みました。そして結局買いました。
(結局買ったということは、この行動は単なる「買い物」と呼ぶか)
それはともかく、その中にあったのです。
孤独と孤立。この二つの言葉のつらなりを一日のうちに二回も見るなんて。
本のタイトルを最初に見たとき、「聞く」という漢字が使われていることに気づきました。
「聞く」と「聴く」をわざわざ使い分けるようになった近ごろでは、「聴く」ほうが上等で大切なイメージ。
でもどうしてここでは「聞く」という漢字が使われているのか、小さな小さな疑問を感じました。そして、早速その理由が書いてあったので、小躍りしたい気分でした。
もともと意識して「聴く」のだから、本当に難しいのは「聞いて欲しい」のに「聞いてくれない」。そちらの「聞く」でした。
ちょっとどころか、かなりハショリ過ぎましたが、大雑把にまとめるとそんな感じです。
私たちは、ちょっと聞いて欲しいときに聞いてもらえない、話がしたいのにそんな気分じゃない、など、お互いの関係性が悪くなると、途端に「聞く」ことが難しくなってしまいますね。
そんな内容の軽快なお話から、社会の問題へ。でも問題はやはり個人の内面へ。
孤独と孤立の違いについては、私がここで説明できるほど浅い話ではないので、本を読んでいただきたいです。
ただ、私が唸らされたのは、孤独は孤独でも「豊かな孤独」があるということ。そしてそれを、
心の中にある安全な個室
と表現していることです。
発達障害とかHSPとかひきこもりなど、さまざまな呼び名で心の繊細さを表せるようになってきましたが、そんな特性をもつ私たちが好むものの一つに「個室」があります。心の安全地帯。
誰にも邪魔されない、誰にも気を使わない、そんな個室にこもることはもちろん安全・安心と思ってきました。
だけど、それは「自分と向き合える時間」など豊かな「ひとり」の場合もあれば、どうしても外との関係を拒絶してしまう「不安」や「怒り」の状態である「ひとり」の場合と、二通りあるというお話。
分かっていたようで、分かっていなかった。
「当の本人が内側から見ている心の世界」に、本当にひとりの時は、誰からも危害を与えられないと分かっている、安心できる環境の中で個室を持っている状態。
そこに怖い人とか知らない人が出入りするのが、個室は個室でも安心できない孤立した状態。
心の中に誰かがいる。その誰かは怖いことを言ったり、嫌なことを言ったり、どんどん自分を苦しめる。
心理士として著者の東畑さんは、これらの状態を的確にことばにする能力があって、そこがまたすごいなぁと思いました。
ひとりが好きな私は、もちろん毎日個室にこもりますが、それは安全であると無意識に分かっているから。
社会で問題になっている孤立が、安全な個室を得ることで安心に変わればいいですね。
人と人のつながりは大切だけど、無理やり大勢がいる外の世界に連れ出すのではなく、その人の心と安心できる個室(場所)がつながれば、それで孤立からは開放されるという場合もあるかもしれません。
私はその個室のひとつとして、アートや創作のできる場を作りたいなと思いました。
聞く技術 聞いてもらう技術 というタイトルからは、人と社会との関係性にまで想像は及びませんでした。
現実の世界で本当に役立つであろう「小手先」の技術も、本の中で紹介されているところが面白いです。いますぐにできることばかり。
そして本当はもっと人間の心の状態に目を向けることが「聞く」ことや「聞いてもらう」ことに必要なんだと感じ取りましたが、まだまだ本の文章を頭の中でよく噛んでいる状態で、うまく飲み込めない。
ああ、ことばが足りない。
結局、本の内容が感慨深く、考えすぎて文章を進めることができず、上の日付から3日が経ちました。
こうやって噛み締めている時間が、楽しいのですけどね。
息子があまりにYoutubeばかり見るので、怒ってしまった今朝。
私はYoutubeについては学べることも多いので、全面的に否定しているわけではありません。ただ、ルールを守ってほしい、やることをやってから見ればいい、と言っているのに聞いてもらえない。
今まさに私と息子の間の関係性に亀裂が入っている状態です。
本当はもっと違う言い方があったな、とかタイミングが悪かったな、とか息子の言い分を聞いてあげてから、私の考えを言う必要があったな、など反省ばかり。
だめだ。一回読んだくらいでは身につかない。
と言うことで、隣で息子はYoutube。
私は読書。2周目に入りました。
さらに読み込んで、またいつか読書感想文を書きたいなと思います。
それにしても、一日に2度出会うことば。たまにこういうことが起こりますが、「孤独と孤立」は私に何を知らせたかったのだろう?
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