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【高野病院】異世界放浪記⑦

 今日は異世界からタイムマシンに乗って40年前に旅をしてみましょう。着いた先はどこかの家の中。中学生の女の子が、テレビをつけて一人盛り上がっています。ウルトラマン80ですか。ご機嫌に歌っていますねー。居間のテーブルの上には新聞を広げたくらいの、大きな機械が置いてあります。ガシャンガシャンという音からすると、タイプライター以上ワープロ未満って感じです。それを使って、40代半ばくらいの男性が、何やら書類を作っています。どうやらここは高野病院の、開設準備室のようです。普通の家なのに、昼間も沢山の人達が出入りして、お台所の人もお茶や食事の準備で忙しそうにしています。さっきの女の子が学校で書いた、将来の夢が置いてあるので覗いてみますか。「高野病院で働く」ですか。医者と言っていないところが、彼女の成績を表していますねー。そういえばさっきも、一桁点のテストを見せても、叱られることなく「うちの天才だからな」って呼ばれていましたねぇ。あれ?この子私だわ! そして機械で書類を作っている男性が、のちの高野病院初代院長のようです。ってところで異世界へ強制帰還。懐かしい風景でした。

 高野院長が亡くなった後に、院長室の机の中から、変色したわら半紙の束が出てきました。「職員心得メモ」と書かれたそれは、高野病院で働く人達へのメッセージが書かれていました。あの日院長が作っていたのは、これだったのでしょうか。全文は高野病院のホームページに原文のまま掲載されていますが、ここでは要約したものをご紹介しますね。

 医学、特に精神医学において、人体のみならず「人世」にかかわることも多い私たちは、少なくとも以下のようなことを心得ておく必要がある。⑴「自分を高めようとする努力」家庭でも、職場でも、そこの成員が自分を高めようと努力する時、そのふんい気が生き生きとしてくる。自分を高めてしまった人よりも、自分を常に高めようと努力する人を目標としたい。有限の清さ、能力しか持たない人間が、うぬぼれ、他人をべっ視すれば、自分を汚すことになる。清さとは外的な清さもさることながら、内面的な「こころ」のあり方をさしている。我々の清さ、能力は有限だが、手をとりあい互いに高め合う努力をしたい。⑵「他人をだいぢにしようとする努力」有限な存在でありながら、人間は「無限」をうつす可能性を持つ。他人を大事にしない態度は、結局は自分を粗末にすることになり、他人や社会はどうなってもよい、自分さえよければよい、という考え方を招く。公害垂れ流しの企業、権謀術数を駆使し手段を選ばない立身出世主義、自分に同調しないものへの中傷、攻撃、他人の不幸に対する無関心やちょう笑等々があるが、これらはすべて現在の不安な社会情勢と、多少にかかわらず関係がある。⑶「社会につくそうとする努力」自分を高め、他人をだいじにする努力が社会につくすことの基礎である。世の為人の為と言っても、すべては自らを整えることから始まる。いわゆる有名な人と、社会につくしている人は必ずしも一致しない。大臣の仕事も、病院職員の仕事も、地位や能力に関係なくすべての人を同等にだいじにするものでなくてはならない。人の長所を知ろうとするような身近なことに目を向けることは、社会につくすことの一つであり、根本的に大事なことなのである。

 2020年9月8日高野病院は40歳になりました。あの日、初代院長が一文字一文字刻んだ心得は、高野病院が道を間違えないための道標であり、その道を照らす光でもあるのです。


たかの・みお 1967年生まれ。佛教大学卒。2008年から医療法人社団養高会・高野病院事務長、2012年から社会福祉法人養高会・特別養護老人ホーム花ぶさ苑施設長を兼務。2016年から医療法人社団養高会理事長。必要とされる地域の医療と福祉を死守すべく日々奮闘。家では双子の母親として子供たちに育てられている。2014年3月に「高野病院奮戦記 がんばってるね!じむちょー」(東京新聞出版部)、2018年1月に絵本「たかのびょういんのでんちゃん」(岩崎書店)を出版。


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