少子化を考える⑤ 人口減少前提の政策に転換を
前回まで少子化の現状や原因について考察した。少子化は日本の発展にともなう産業構造の変化が根本要因であり、少子化は必然であった。
現在、政府や自治体が行っているような「少子化対策=人口維持」の政策はむしろ不自然と言わざるを得ない。人口をそれほど必要としなくなる発展を遂げた状況で、無理に子供を増やそうとする政策は、おかしなドーピングを施しているだけで長続きするものではないし、それほど効果が上がっているとは言いがたい。
実際、自治体が行っている政策は他の自治体と子育て世代を奪いあっているだけのようだ。
また「社会全体で子供を育てる」などの理想論も前回触れたとおり、先祖伝来の土地を離れて核家族化した家庭ばかりの現状ではどう考えても無理というものだ。
なぜ政府は自然の摂理に反してまで人口を維持させようとしているのだろうか。それは高齢化社会で増大する社会保障費を税金で補填したいからにほかならない。
しかしそれは人口の規模で大国であることを維持してきた従来の政治を続けていることでもある。そして人口は絶対に維持できない。
視点を変えれば政府が本当に必要としているのは人口そのものではなく、それらがもたらす納税額なり消費額なりである。
逆に言えば一人一人の生産性なり消費額なりが上昇すれば、人口がある程度減っても吸収できるし、人口が多くてもその多くが納税しなければむしろ負担となる可能性もある。
とある地方都市(人口30万)では約2割の住民が住民税を納めていない。納めている世帯でも非常に少額のケースもあると思われ、住民サービスに見合った住民税を納めているのは果たして何割いるのだろうか。
一般に労働人口が増えれば歳入が増えると思いがちだが、労働者がみな納税しているわけではない。収入が少なかったり、様々な手で納税を免れる人たちがいるため、必ずしも労働者数と歳入がきれいに比例するわけではない。だからこそ消費税が歳入の柱にまで存在感を増したのだ。
では人口を減らしながらも歳入を維持するにはどうしたらよいのか。
すでに日本はその手本を示している。
「少子化を考える③」で触れたように第二次産業の労働者人口の増加率は第三次産業に比べるとかなりゆるやかである。それにも関わらず第二次産業が長年日本の産業・経済の屋台骨を支えたのは、生産効率が良かったからである。生産効率は労働人口を補完するのである。
長らく日本は人口の多さが国力であった。GDPが世界第2位だったときも一人当たりのGDPはそれより下位で、日本らしいというか、個人の豊かさよりも国家の豊かさが優先されてきた。しかしこれをやっと転換する時期に来たと考えることもできる。
少子化進展の中で日本がとるべき具体的な政策についても今後考察していきたい。