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ヨガといのち

おはようございます

昨日は、神様について思うことや感じることをつづっていました。

神様がもっともっと、誰にとっても身近なものであってほしいなと思います。

特定のものではなく、特定の形ではなくていいので、「My God」を感じてほしいと思うのです。

さて、そんな神様が作ったこの世界。。

その中で生きる私たち。

そもそも生きるというのはなんだろう。

生きているというのは何だろう。

なぜだろう。

なぜ、私は生まれたの?

命の始まり

生物の始まりと、命の始まりは同じでしょうか?

地球がうまれて46億年

この頃はまだ高温で、いろんな小惑星がぶつかってきてたみたい。

そして海が生まれて44億年

どろどろだった地球が徐々に冷えてきて、38億年前に海底の熱水噴出孔付近で単細胞生物が誕生したらしいです。その10億年後に複雑な組織をもつ生物が生まれたみたい。

そして、ずーっと時代は進み、20万年前人が誕生。

その間の約40億年の間、ありとあらゆる大小さまざまな生命体が生まれて消えて、変化して、変異して、巨大化して、絶滅してと、長い時間をかけて生物種が分かれ今この瞬間に繋がっています。

0.1ミリメートルにも満たない生命がいるってしってますか?

見つかってないだけで、ほんとに小さな「生物」がまだまだいるんだと思います。

ウィルスや菌もその一つですね。学術的に「生物」とは区分されるのかもしれませんが、生きているものとしては、我々[ヒト]と変わらず、長ーい歴史の一つの形で現存しています。

みんな、生きている。

今、私は生きています。

これは正しい認識だと思います。

しかし、この生命を紡ぐために、あらゆる「死」を取り入れています。

食事で取り入れているものは、多くの生命の「死」です。

お米だって、お魚だって、その生命としては「死」という状態です。

死は、生を成り立たせる力を持つもの。

私は良く考えてしまいます。

今から食べるごはんが、「私になる」。

逆に、今から食べるごはんに「私がなる」とは思わないのです。

死をとりいれて、私ができている。

その私も、いずれは死を迎える。

巡る

安易な表現ですが、40憶年以上前に、生命が生まれた瞬間の活動、そしてその流れとなった、宇宙の起源からの無機の活動が複雑に混ざり合い、そして「生命」という現象が生まれました。生命は生まれようとしたのではなく、「始まっちゃった」んだとおもうんです。

そして、その始まっちゃった活動は、

今なお、ものすごい複雑さをもつ生命体へと形を変え(これを進化と呼んでいいのかわかりませんが)、今こうして地球に存在しています。

かたや人間

かたや菌

かたは未確認生命体

でも、みーんな、起源は「はじまっちゃった」からスタート。

そして、その始まっちゃったものが、あらゆる死を取り込み、生を維持しているという存在。そして死へ向かっている。つまり、何かの生へ向かってく。

私一人で生きていく。

なんてこと、本当に無理なのです。

絶対に無理なのです。

だれかの、なにものかの、「お供え」がなければ、その生命現象は維持できないのです。呼吸にせよ、食事にせよ。

巡りです。

生命は「ある巡りの始まり」です。


そんなことを想いながら、世界を眺めてみると

みんなの巡りのサイクルの一員として、いまこの時間で自分をちゃんと磨き、次の生へ繋がりたいなと考えてしまうのです。

次の生へ繋がれるかどうかは、「つながっちゃった」って感覚なんだろうと思いますが、、、、あ、そんな感覚もないか。


とりとめなく。

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