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人と比べずにいられないのは、あなたがとても傷ついているから。
こんにちは。
生きづらさ専門カウンセラーkotoです!
前回の記事では、「生きづらさ」という言葉の裏に隠されている「自分は生きていていいのか分からない」という不安についてお伝えしました。
前回の記事はこちら▼
今回は「生きづらさ」の中に潜む、「人と比べてしまう」という感情について考えてみたいと思います。
人と比べることで、私たちが得ているもの。
「生きづらさ」の奥底には、「自分は生きていていいのか」という、とても悲しい疑問が横たわっています。
おそらく生きづらさを感じていない「普通」の人なら、そんなことを考えることはないのでしょう。
自分が生きている是非など考えたこともないほど、自分がこの世界に生きているというのは、彼らにとって当たり前なことなのです。
しかし「生きづらさ」を抱えた人は、その当たり前の感覚をもちあわせてはいない。
だからいつだって自分がこの世界に生きていてもいいのか確信がもてず、不安なのです。
「自分が生きていていいのか分からない」人は、
「自分が生きていてもいいと思える証拠」を懸命に探しています。
人よりも優れているから…生きていてもいい
それはとても分かりやすく、そして簡単に手に入れることができる証明です。
しかし、はて。「人」とは一体誰のことなのでしょうか。
世の中に自分以外の他者というのはごまんといるわけで。
自分よりも美しい人、自分よりも賢い人、自分よりもお金を稼いでいる人。
そんな人と比べていては、決して自分が優れているという感覚を得ることはできません。
むしろそういった人たちを前にすると、途端に自分自身の価値がとてもちっぽけなもののに感じてしまうので、素早く自分を守らなくてはいけないのです。
だから自分が勝てなさそうな相手を見つけると「自分が勝てなくてもしょうがない理由」を必死に探し始めます。
「だってあの人は、生まれつき恵まれていたから」
または、自分より輝いている人の粗を懸命に探します。
「そうはいっても、あの人、こんなうわさもあるんだよ」
相手をおとしめることで、自分の立ち位置が相対的に上がる。
…ような気がするのです。
または、明らかに自分と比べて劣っている人を見つけては、心の奥で安心する。
容姿、年収、健康、恋人。
理由も相手もなんだっていい。
「自分の方が、勝っている」
そう感じられれば、一瞬だって、安心を得られるから。
近年はやっているマウンティングもそう。
自分と似た境遇の相手をむりやり土俵に上げて、いかに自分があなたよりも優れているのかというのを誇示するやり方。
それによって周囲の人や相手自身、そして何より自分自身に、自分の方が優れているとアピールしたいのです。
虚しさを感じていないわけがない。
しかしそれは悲しくも醜い姿。
そして当然、心の奥深くでは、私たちはそのことにもちゃんと気が付いています。
相手にマウントを取ったり、相手の欠点を探したりすることが、いいことであるわけでないのだから。
そんなこと、心の奥底ではちゃあんと知っている。
だから苦しい。
でもその苦しさを認めてしまうと、自分自身が「生きていてもいいと思えない」という悲しみを背負っていることに向き合わなければならなくなってしまう。
だから人と比べて安心したり、マウントを取ってしまうという行為が、自分の価値をより一層おとしめる、しょうもないやり方だと分かっていても、やめることができないのです。
しかしそれを続けている限り、心の奥の悲しみが癒えることはありません。
誰かにとって、役に立つことをしているから
誰かにとって、いい人であるから
誰かよりも優れているから
そんな「誰か」のために一生懸命生きていく。
自分のために生きている人からしたら、それはとても虚しい生き方に見えるでしょう。
けれでも「生きづらさ」を抱えている人にとっては、それは自分が生きていていいと、一瞬でも思えるための必死の努力なのです。
その一瞬の安心のために、自分の尊厳を切り崩している。
そうまでしても手に入るのは、一瞬でなくなってしまう、偽物の安心感だけだというのに。
偽物だと知っているからこそ、次の瞬間には、また「自分は生きていてもいいのだろうか」という疑問が頭をよぎり始めます。
そしてそれを繰り返していく。
だから「生きづらさ」には終わりがやってこないのです。
ダメだと分かっているのに、人と比べずにはいられない人。
周りから、マウントばかり取ってくる嫌なやつと思われても、自分の優位性をアピールしなければならないほど、自分が生きていていいか不安で不安でしょうがない人。
それらは皆、深い悲しみを抱えている人なのです。
もしもあなたが人と比べてしまう自分に気が付いたら
その事実に気付くということ自体、とても勇気のある行いだと、私は考えています。
だって多くの人は、そういう自分がいるということにうすうす気が付きながらも、「そんなはずはない」と、自分自身を否定して、認めないで生きている。
自分が人と比べていつも焦っていること、不安でいることに目を向けずに、他のことで一生懸命気を紛らわして生きているのだから。
だから、もしもあなたが人と比べてしまう自分に気付くことができたなら
そうまでしなければ守れなかった、傷ついた自分をいたわってあげてください。
辛かったね。
苦しかったね。
まるで、転んで怪我をしている、小さな子供に声をかけるように。
本当は誰だって、誰かと比べる必要なんてない、生きているだけで価値のある、大切な人なのだから。
今はまだそうは思えないかもしれない。
それでもいい。
そうやって守ってきた自分自身も、大いにねぎらって。
よく頑張ったね。
私を守ってくれてありがとう。
そして、もう大丈夫だと、比べなくても大丈夫だと、何度も何度も自分に言い聞かせてあげてください。
大切なあなたの今日という日が、穏やかなものになりますように。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
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