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世界情勢コラム 『ニューヨーク市長選と政治』

2021年6月5日、アメリカでは、ニューヨーク市長選に向けた討論が行われている。本来ならば、もっと日本の政治に興味を持つべきなのだろうが、英語学習のつもりで始めた英字新聞の購読が、純粋にアメリカ政治への興味につながってしまった。それはそれでいいことだろう。何事もわかるようになるから面白くなるのだ。きっと、私も日本の政治家の暮らしぶりとか、考え方とかも、もっと知れば面白く興味を持てるかもしれない。

さて、ニューヨークという、アメリカを代表する州を率いるのは誰になるのだろうか。争点は、犯罪抑止にどれだけ貢献できるか、これまでどれだけの実績があるか。経済を回復させ、教育を発展させるビジョンはあるのか、こういったところだろう。若者に人気のベーシックインカムについても議論されるだろう。銀行家、警察官、大学関係者、起業家、弁護士、バックグラウンドも様々、実績も様々だ。

私は政治にはそれほど興味がない人間だ。ということは、それはそれほど興味を持たなくても幸せにやっていけているということの証拠かもしれない。これはこれで人生の知恵だと思っている。

しかし、政治をやらなければならないという使命感を持つ人間はいるのだ。でも、それはスポーツや芸術に熱狂するのと何ら変わらない。人間は生きている間、何かに熱中しなければならない性分なのだ。私がこうやってコラムを書くのに熱中しているのと、変わらないことだ。

ニューヨークは港町だ。ああ、いつか行ってみたいものだ。コロナが終わったら、ニューヨークの街を存分に味わってみたいものだ。マンハッタン、クイーンズ、ブロンクス、ブルックリン、ワールドトレードセンターやエンパイアステートビル、自由の女神、ウォール街、5番街、セントラルパークを擁する、世界の大都会のリーダーを決めるわけだ。

会社での仕事は、朝からトラブルだった。携帯に電話が入った。人事の仕事は時々、そんなことばかりになる。若い社員だった。開発部門だった。マネージャーに任命されて、それから潰れてしまった。鬱病の症状だ。現場を離れた方がいい。すぐに上のマネージャーに連絡して、休ませるように話をした。

しかし、システムの開発現場は過酷だ。技術的な問題もあるし、予算的な問題もある、時間の問題もあれば、人間関係の問題もある。そして、品質も求められる。ユーザーの満足も求められる。これらをハンドリングする立場は過酷だ。

「会社に行こうとすると頭痛がするんです」
「家を出て途中の駅までは行けるんですが、そこから、もうダメなんです」

身体の拒否反応だ。こうなるとドクターストップだ。診断書を回収して、現場に説明をして休ませることにした。これは社会問題じゃないのか。若い人間が旧態依然とした恫喝やプレッシャーの餌食になっている。これは政治だ。

脅したり、強要したりすることでしか人間の心を動かすことが出来ない。残念なことだが、そういう人間は多数いる。実際に、警察のお世話になる人間というのは、自分の欲しいものを得る時の手段を誤って警察の厄介になる。

人生が自分の思い通りにならないということが納得できない人間は多い。納得できないから、攻撃する、脅す、盗む、壊す、そうして思い通りにしようとする。厄介なのは、それで成功体験を積んでしまったケースだ。こうやって常習犯というものが出来上がる。

パワハラも同じことだ。本人は一生懸命なケースが多いが、時代も場所も相手も変わっている。にも関わらず同じ成功法則でやりあげようとする。要するに物の伝え方を知らない無教養な人間だということだ。それだけのことであり、企業はそのような人間に成功体験を積ませると、彼をパワハラの常習犯にしてしまう。その罪は重い。

周囲にヒアリングをすると、開発現場の苦しむ声が聞こえる。みんな必死だ。誰も誰かを傷つけたいとは思ってない。だが、結果的に誰かが辞めている。

私は関係するメンバーにヒアリングした。そのメンバーは作業や業務の立て直しに、この後奔走することになるのだ。一人離脱して、誰かに皺寄せが行き、その皺寄せで誰かが駄目になっていく。私はエンジニアではないし、プロジェクトマネージャーでもない。この負の連鎖を眺めていることしか出来ない。自分はなんと無力なのだ。

多くの若者が、大人に潰されていく。それがこの国だ。大人は必死だ。自分の席を奪われまいと、あの手この手で下を潰す。ある者は知識で、ある者は態度で、ある者は経験で。そんな様子を私は腐るほど見てきた。限られたパイの奪い合いをする以上、そこには分け前に与れるものと、そうではない者ができる。押しのけて、蹴落として、そうやってやっと席に座る。それが現代の日本社会だ。本質的に陰湿だ。今日もまた一人、若者が潰される。人を活かすことが出来ない人間が上に立ち、人を潰す。

なんだか私も思い切り政治をやりたくなってきた。こういう思いが重なっていって、人は政治家になろうとするのかもしれない。正しいことを正しくやりたい、間違っていることを間違っていると言いたい、世の中には不正があり、それは正す必要がある。政治とは正義感なのだろうか。

ニューヨークと言えば、ジュリアーニ市長が有名だ。割れ窓理論は私も知っていた。ゴミの分別など、軽微な違反を取り締まることでモラルの低下を防ぐのだ。パトロールで警官がたくさんウロウロしていれば、街に犯罪が少なくなる。確かに、それはそうかもしれない。犯罪が多く危険な街だったニューヨークを、ジュリアーニは変えたとして有名になっている。

そんな街の市長になりたいとは、一体どんな人たちなのだろうか。犯罪と闘い、経済を回復させ、評判を向上させ、多くの人が住みたいと思う街にすること。この仕事に立候補するというのは、すごい覚悟だ。

英単語が目につく。ストップアンドフリスク。これは警官が通行人を呼び止めて、衣類の上から身体を軽く叩いて武器を探す行為のことだが、どうだろうか。よく六本木なんかで警官が通行人を呼び止めているが、ニューヨークでは日常茶飯事なのだろうか。

警官の雇用を増やし、パトロールを強化し、ストップアンドフリスクを徹底すれば、確かに街の犯罪は減ることになるだろう。だが、そんな物々しい街は、過ごしやすいのだろうか。ニューヨークと警察組織は非常に密接に結びついているということが、よくわかる。

東京はどうだ。霞ヶ関、丸の内、六本木、浅草、表参道、渋谷、新宿、池袋。金融の中心、行政の中心、ファッションや文化の中心。しかし、ニューヨークのように、人種差別や銃、警官と市民の対立が極端に多いようには思わない。皇居の周りをランニングしたり、桜を見物したり、長閑で牧歌的だ。スリに合う心配も、アジア人差別に合うことも、恐喝や暴行を目撃することもない。同じ都会でも、同じではない。

ニューヨークを良くしようと言って、具体的に何をするのだろうか。予算は?スタッフは?品質は?重要項目は?何故それが必要と思うのか?会社じゃ、パソコンをどうやって使わせるかに頭を絞って、それから壊れていく労働者に、何かしてやれることなんてあるのか?社会が悪いのか、本人が悪いのか、上司が悪いのか、なんなら人事が悪いのか?答えは出ないで電車は走っていく。

私は犯罪の取り締まりについて常に話し合っておかなければならないアメリカも、上司に絶対服従で苦虫噛み潰して生きている日本も、どちらも嫌いだ。私が求めている社会や居場所はどこにあるのだろうか。

ニューヨークを新しく良い方向に導きたい。変化をもたらしたい。生活を良くしたい。安全な街にしたい。教育環境が整った場所にしたい、さまざまな立候補者がビジョンを語っている。それは何も選挙だけの話ではない。ああなりたい、こうなりたい、ああしたい、こうしたい、選挙に出なくとも、我々はいつもそんなことを考えて、希望を持っていきていくのだ。

私の結論はこうだ。政治は至る所にある。政治家を待たなくてもよい。家庭で会社で、正しくないと思われることはたくさん起きている。それに対して、どのように臨むのか、どのように取り組むのか、それが人生の色や人格を決めていく。世の中に対して私はこうしたい、こうありたい。先ずは、自分、家庭、そして、会社の中から始めたらいい。それは、すぐに出来ることだ。

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世界情勢コラム『世界時々フィクション(No.15)』ニューヨーク市長選と政治

参考記事:
By Katie Glueck,"Crime and Qualifications at Issue in Heated N.Y.C. Mayoral Debate ", “The New York Times”, Published June 2, 2021Updated June 16, 2021

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