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誰も見ていない監視社会

こんにちは、【正解のないゼミ】ゼミ長のぱたけです。

久しぶりに電車に乗り人の多さと暑さに心身ともにやられております…
サラリーマンになって働き始めることが楽しみな反面、毎日頑張り出勤する人には尊敬するばかりです。

今回は帰宅ラッシュの様子を写真に収めようとしたときの監視の目を感じた私の体験談から監視社会について考えてみました。

私は人が多い帰宅ラッシュの様子を友人に送るためスマホで撮影することにしました。しかしスマホで撮影する時に人の視線を感じ撮影を一度躊躇しました

しかし周囲を見渡しても私に注目する人は一人もいません。「誰も見ていない」と覚悟を決めてもう一度撮影をしようとしました。

次はバレないように、画面を見ているフリをして無音カメラで撮影しました。
なんとか写真を撮り終わると、冷や汗をかいていました。

現代の都市、特に電車や駅では、他人を他人として尊重する「儀礼的無関心」の態度が暗黙の了解とされています。
私は写真を撮るという他者に干渉する行為により都市の規範から逸脱しました。

この逸脱を誰かに直接注意される、誰かに直視されることもありませんでした。
しかし逸脱から私を矯正しようとする視線の圧力を確かに感じました。

「右隣の人が見ていた」のように具体的な他者はいませんが、「誰か」という架空の他者が私の中に存在していたのです。

これはパノプティコンの囚人が監視官を内面化した構造と同じだなと思いました。しかし厄介なのが、内面化している他者は具体的な他者ではなく網目上に張り巡らされた監視網そのものです。

私たちは、具体的な誰かに見られていることはほとんどないです。
誰かに見られているかもしれない不安こそが監視社会の本質です。

誰かに見られているかもしれないという監視の目を張り巡らせることで社会の秩序と安心を保障しているのです。

そんな「誰も見ていない監視社会」を駅で体験してきました。

【監視社会】フーコーのパノプティコンを使って徹底解説明!!
  https://youtu.be/3_abqis3djU

【儀礼的無関心】ドラマツルギーの視点から電車や会社の人の演技を徹底解説!!
https://youtu.be/-cQYzYgvAbU

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