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民研歳時記<第1回>民俗学の話はじめます

 明治8年7月31日は、民俗学者柳田國男が兵庫県の辻川村、現在の福崎町に生誕した日です。

 成城大学民俗学研究所は、柳田國男の旧蔵書「柳田文庫」を母体として昭和48年に創設されました。「民研歳時記」では、大学や大学院で民俗学を学んでみたいと考えている学生をはじめとした、民俗学に興味を持ってくださった方を対象に、民俗学研究所の活動や、民俗学の話、柳田國男の話などを掲載していきたいと思います。

柳田國男と『遠野物語』

 第1回は柳田國男の創設した民俗学についておおまかに紹介したいと思います。
 柳田は、一般には『遠野物語』の作者として、国語の便覧などにも紹介され知られていると思います。『遠野物語』は明治43年に出版された本で、河童や天狗、神隠しといった不思議な話などを100話以上収めた短編集です。『遠野物語』の話は、柳田のオリジナルではなく、遠野出身の佐々木喜善(ささききぜん)が柳田に語った話をもとに、「一字一句をも加減せず感じたるままを書きたり」と序文で述べるように、思うままに筆を動かし創り上げたものです。
 遠野物語は、その独特で不思議な話によって人気を博し、現在でも読み継がれ、舞台となった岩手県遠野市は、その世界観を大事に保存して、観光に活用しています。けれども、柳田にとって『遠野物語』を出版した理由は、ただこれらの物語の内容が面白かったからというわけではありませんでした。
 柳田が興味を持ったのは、佐々木の語った、神隠しにあった人の家族や、死んだ妻に出会った人、座敷童によって栄えたり没落したりした家の話が、遠い昔の出来事ではなく、当時の遠野で起こった話、顔も名前も知っているような人々の間で起きた事実として語られているということにありました。
 自分の生活する世界のすぐ隣にそういった不思議な世界が広がっていることを、感覚として持っている人々が、東京から離れた地で暮らす中にはまだ残っているということを伝えたかったのです。

「伝承」の発見

 その背景には、農政学者としての柳田の思想がありました。大学で農政学を学び、地方の貧困問題に取り組んだ柳田は、農政官僚として問題の解決に臨みますが、お上から全国画一の政策を押し付けるだけでは、それぞれの地方の状況は良くならないと実感します。
 それぞれの地域にはそれぞれの特徴があり、歴史があり、長い間の生活によって育まれてきた考え方や感覚があります。気候や地理的な条件も異なれば、地域ごとに異なった事情を抱えているため、それぞれの地域にあった方法を選択しなければ、地域の問題は解決できないと考えました。そこで、それぞれの地域のことをよく知るため、柳田は「郷土研究」をはじめます。

 現地に赴き、村々の地理や歴史を調べるのが郷土研究ですが、柳田はその中で、民俗学にとって最も重要な要素を発見します。それは、「伝承」といわれるものです。
 「伝承」とは、文字で書かれた書物などと異なり、記録に残りにくいけれど、確かに現在まで引き継がれている記憶などをいいます。当時の歴史学では、公的な文書や貴族の日記など、文書記録をもとに過去をたどるのが基本でした。しかし柳田は、「文字に書かれない記録」が数多く存在し、京都・奈良などの中心から、遠く離れた地方では、むしろそれらが記録の大部分を占めることを世に提示しました。
 具体的に「伝承」とは、昔ばなしのように親から子、孫へと語り伝えられるものをはじめ、言い伝えに限らず、猟のやり方や作物の育て方といった技術や知識、毎年繰り返される祭りや行事、生活のための道具、村の決まり事、慣行など、人々が生活をしていくあいだに、代々伝えられていくものすべてがあてはまります。
 柳田は、これらを聞き書きすることで、そこに住む人々の生き方や理屈を解明することを試みました。

旅人の採集・寄寓者の採集・同郷人の採集

 さらに柳田は、研究のために採集できる「伝承」には3つの段階があることを説明しています。一つ目は、外から眺めて見えるもの、二つ目には、話を聞いてみてはじめて分かるもの、三つ目は、そこに長く住んでようやく身につくもので、柳田はそれぞれの採集方法を旅人の採集、寄寓者の採集、同郷人の採集などと呼んでいます。

 旅人の採集は、研究者が現地を訪れて、目で見てわかる物や祭りの所作といった、写真で撮ったり、スケッチに残したりすることができるような地域の特徴を記録することをいいます。
 寄寓者の採集は、昔ばなしやことわざなどの「言語芸術」と呼ばれるものや、物事の、なぜそれを行っているのかといった理由や、どのように行ってきたのかといったような由来など、現地の人に詳しく話しを聞いてようやく分かってくるものを聞き書きすることをいいます。
 最後の同郷人の採集の対象は、どうしても部外者ではわからないものになります。長く住んでいるからこそわかる人間関係や、季節感、積み重ねてきた歴史による考え方、生き方といった機微や感覚、知識や技術、人々を縛っている俗信や倫理、精神的な支柱など、何のために生活を行っているのかといった生活の目的を明らかにするものです。
 同郷人の採集は、外からやって来た研究者が一朝一夕に解明できるものではありません。そのため柳田は、土地々々に住む人々自身が、自分たちの生活に自覚的になり、民俗学を身に着けて自分たちの生き方を記録していくことを求めました。
 地方の研究者を育成するため日本の全都道府県から人を集めて民俗学講習会を行い、全国各地の研究者を発掘し直接支援することも行っています。
 その結果、日本各地に地方民俗学会が設立され、学校教育においても郷土教育が盛んになり、地域の博物館、郷土資料館で土地の歴史や文化を展示する民俗展示のコーナーが設置されるようになりました。


 民俗学は人々の生活を学ぶ学問ですから、研究者でない一般の方にも身近な学問といえます。世代間で引き継がれるものを扱っているので、祖父母や両親、子、孫の間でも語り合うことのできるものです。ぜひ一度、ご家族で自身の住む地域の博物館の民俗展示を観覧して、それぞれの世代の生活の差などをあれこれと話していただけたらと思います。
 次回は、じゃあ民俗学って実際には何をするの?というところをお話したいと思います。

*画像は柳田國男の生家(兵庫県福崎町 平成21年撮影)


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