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短期大学部 成城らしさがつまった53年の歴史

成城に短期大学部があったことは、意外と知られていません。53年という短い期間でありながら、成城らしく学生が主体となった密度の濃い学びがありました。
広報誌『sful-成城だより』で取り上げた成城学園の歴史の一コマをご紹介します。

短期大学部校舎

成城学園高校を卒業した女子のために短期大学を作ってほしいという保護者の要望を受けて、1954年に誕生したのが、成城大学短期大学部です。
 短期大学は、1950年代から全国に設立されるようになりました。1954年には、国公立私立をあわせて251校を数え、学生数は約7万3500人に達していたそうです。

成城短期大学部の歴史

そんな中でも、成城大学短期大学部の「教養科」という学科は珍しいものでした。国語と英語を基礎とし、そのうえに教養としての芸術・音楽を学ぶというコンセプトで、「国語」、「英語」、「生活文化」の3コースが用意されました。学外の活動を重視し、文学散歩や美術展鑑賞などを積極的に実施。これらは後に、「研修旅行」や「教養実習」として発展していきました。
1961年には教養実習の一環として「イングリッシュ・デイ」を実施しました。いずれも学生主体で行われたところに「成城らしい」特色が表れています。開設当初から新入生歓迎会を行い、1959年にはガイダンスとともに1泊の入学旅行を実施しました。これは、1972年以降フレッシュマンキャンプとして大学の学部にも導入されました。1986年に入って、新たに「人間と環境コース」が設立され、4コース制になります。社会科学・自然科学分野が加わり、幅広い分野を学べるようになりました。
90年代も半ばになると、2018年問題といわれる日本の18歳人口の減少が、短大の運営にも大きな影響を与えることになります。女子学生の四年制大学志向の高まりもあり、2007年に閉学、53年の歴史に幕を閉じました。

最後の卒業式

学生たちが企画・運営した「教養実習」

当時の短期大学部の特徴的な講義「教養実習」をご紹介します。
「教養実習」は、開設当初の教員たちのアイデアから始まりました。
学内にとどまらず専門家に話を聞く、音楽や絵画に触れる、といった講演会スタイルの授業は、成城大学短期大学部が開設した当時、すでに多くの教育機関で実施されていました。成城がその他と一線を画する大きな特徴は、その企画・運営を学生自身の手で行うこと、また全学生の必修講義とした点です。
「自らやってみたことは、いつまでも体内に残り、その人のその後の生活に大きなプラスをもたらすものである。身についた教養なのである」という信念の下、毎週土曜日の2限に、短期大学部が閉学となるまでの約46年間実施されました。

司会役の学生が講師を紹介

そうそうたる講演者とのエピソード

1クラスから3〜4人が実行委員となり、講演者への依頼、打ち合わせ、学内への告知、当日の進行、記録といった一連の作業を担当します。卒業生に当時の様子をインタビューしたところ、「押しつけや制限もなく、自分が話を聞きたいと思う人にせっせと依頼状を書きました」とのこと。ちなみに、なんと1年間で40人以上の著名人に依頼状を書いたそうです。
学生が自分たちで企画・運営するからでしょうか、講演者も自由な発想で応えてくれたようです。例えば、衣装デザイナーのワダエミ氏(1988年度)には、講義の当日に「1人で話し続けるのはつまらない。皆さんからの質問を受けて、それに応える質疑応答で進めましょう」と言われて、学生たちは大あわてだったとか。
また、「井上ひさしさん(1989年度)からは、劇団こまつ座が新宿の紀伊國屋ホールで公演を行った際、劇場案内のアルバイトの依頼をいただきました。教養実習を通じて、こういう思いもよらないつながりができるのが面白かったですね」。こうしたエピソードから学生たちの奮闘ぶりと充実感が伝わってきます。
1959年から2005年まで実施された969回の教養実習のすべては、12冊の冊子に残されています。短期大学部での学びが、いかにきらきらと輝いていたか教えてくれます。
「教養実習はみんなのものだ。在学中だれでも必ず一度はこの舞台に立つ。実習は全員によって創造され日々に新しい。この記録とともに永久にわたしたちの心に刻みつけられるだろう!」(『教養実習』第2号)

教養実習の歴史は12冊の冊子にまとめられた

文=sful取材チーム 写真=成城学園、岡村隆弘
本記事の無断転載・複写を禁じます。

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