第21回 成城商店街‶ライオン長屋〟が見られる映画
いきなり‶ライオン長屋〟と言われても、何だか分からない方も多いことでしょう。そもそも当地成城の商店街は、昭和2年の小田急線開通と同時に発足し、店舗数はわずかに18だったとのこと(笹本昭一「成城商店街今昔物語」)。笹本さんによれば、住宅街と商業地区が明確に分かれているのは、成城学園の地所部が厳密な区分をもって街づくりをしたからであり、成城は全国的に類を見ない、珍しい形態の街なのだそうです。
戦争をはさんで商店街の規模や名称は大きく変化しましたが、現在では駅の南北で名称の異なる組織が成城商店街を運営・維持しています。そんな中、北口商店街の東西を走る「成城本通り」の一角は、かつて「ライオン通り」と呼ばれ、街で一番の賑わいを見せていました。
ここにあった建物四棟は、二軒ずつの棟割長屋の形態をとり、その壁面にライオンの顔のレリーフが彫刻されていたことから、‶ライオン長屋〟と呼ばれ、通りの名もそうなったといいます。今では、古い建物は季節料理店の「藤」くらいになりましたが、筆者の学生時代には往時の建物がまだまだ残っていました。
その中の一棟、「ビューティー成城(成城パーマ)」(上掲写真)と「カメラのカスガ堂」の店頭が見られるのが『沈丁花』(66/千葉泰樹監督)という映画。成城に豪邸を構えた大映女優・京マチ子が東宝作品に出演した一本で、やはり成城に住んだ司葉子、団令子、星由里子と共に姉妹を演じる大家族ものです。見れば、歯科医をして家族の生計を支える長女の京が歩くのは、名前は伏せてありますが、明らかに成城商店街。患者(実は同業者)役の小林桂樹が、成城パン前の通りを渡るショットもあります。
十年後に公開された東宝映画『星と嵐』(76/出目昌伸監督)でも、主演の三浦友和が当ライオン通り(この頃、そう呼ぶ人は皆無?)を歩くシーンが見られます。この映画では、西角にあった成城郵便局から魚屋の「魚又」、鰻屋の「柳」、今も営業を続ける「川上精肉店」、喫茶店「シベール」に中華そばの「代一元」といった懐かしい店の姿が目に飛び込んできます。‶ライオン長屋〟は、郵便局(現在の「トゥモロー・スタジオ」)から久保田洋服店(現在の「apt」)までを指したものなので、ロケは当長屋を中心に行われたことになります。松林宗恵監督が、さだまさしの歌をモチーフにして作った『関白宣言』(79)でも、郵便局やその頃営業していた喫茶店「ガランス」(旧三輪歯科ビル内)などの姿を見ることができます。
理髪店の「パリジャン」の顧客には、詩人の西條八十もいたとのこと。西條はP.C.L.(のちの東宝)を当地に移転した植村泰二の洋館に居住、この家で亡くなっています。パリジャンでは市川崑の姿をよくお見かけしましたが、チェーン・スモーカーの市川監督(そのために前歯を一本抜いていた)は、散髪の間も喫煙していたのでしょうか?
現在でも営業中の「藤」は、筆者もよく利用した小料理屋さん。「酒場放浪記」(BS-TBS)の吉田類さんをお連れしたときには、ご亭主を前にして「良いお店ですね」と絶賛されていましたが、果たして番組で訪問したことはあったのでしょうか?
中華そばの「代一元」も懐かしいお店です。調理担当のおじさんは非常に無口でしたが、雑務を一手に引き受けるおばさん(夫婦ではないとのこと)がとても愛想が良かったことを思い出します。この店のチャーハンと餃子の味は絶品で、閉店の折にはそのお皿を記念にいただいてしまいました(もちろん、おばさんから!)。
成城学園の男子生徒の制服を一手に担った「テーラー久保田」(のちに、この洒落た店名に変わる)が見られる映画に、有馬稲子と高峰三枝子がこの店頭を歩く『泉へのみち』(55/筧正典監督)と、天知茂の主演作『憲兵と幽霊』(58/中川信夫監督)があります。筧正典監督は成城の旧制高等学校出身で、堀川弘通監督と同級。京都大学卒業後、東宝に入社し、この『泉へのみち』は初監督作に当たります。
喫茶店「シベール」の裏口を捉えた映画には『愛するあした』(69/斎藤耕一監督)という日活作品があり、本作では松原智恵子と伊東ゆかり(佐川満男と結婚時には、喫茶店「田園」でよくお見かけした)がこの道を歩くシーンが見られます。カメラの位置が、石原裕次郎や岡本喜八、それに石井伊吉(現毒蝮三太夫)、ひし美ゆり子らウルトラ警備隊の面々が度々訪れたスナック「ファニー」があった成城マンションの二階というのも、実に感慨深いものがあります。警備隊の連中はロケを抜け出して飲みに来ていたとのことですですから、『ウルトラセブン』(撮影スタジオは大蔵の「東京美術センター」)には、彼らが赤い顔をしていた回があったのかもしれません。
※『砧』828号(2022年4月発行)より転載(写真を大幅追加)