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コンセプト「水」(小説のアイデア)

 バタイユを下敷きにして文章を書こうと考えています。2022年6月5日に投稿した通りです。ただ、調べるに従って状況は変化しています。(自分自身の中の状況の事です。)

 6月5日の時点では書くスタイルだけ使ってみようと考えていましたが、いろいろ考えるに連れて、また調べるに連れて満足できなくなってきたのです。ですから、バタイユの思想や哲学を学ぶのは無理であっても思想から物語を構成していく方法あたりまで行ってみたいと考えました。そうして調べていくうちに何となくヒントが掴めました。それでもぼんやりとしたアイデアなので実際に文章になるかどうか、現時点ではわかりません。

物語作りの方法

 実際にどうやって物語作りに着手するかですが、「目玉の話」の中での連想ゲーム的なイメージの展開を参考にそこから始めたいと考えました。核になる何かを基にしてそこから関連するイメージを探していって、時系列(またはその他の方法)でお話に落とし込んでいくものです。
 逆にイメージの範囲を限定して余計なものを入れないようにする、複雑化しないという意味もあります。
 また、設定したイメージには対照するイメージも必要になるかもしれません。これも「目玉の話」の中で使われていた手法です。白に対して黒のようなものです。

谷山浩子

 なぜいきなり谷山浩子かと言いますと、「河のほとりに」という曲がありまして、その中に昨日読んだあれに関連させられそうな歌詞が含まれていたからです。(谷山浩子って今は知らない人も多いでしょうか? 1977年だと今から45年前ですよ。まだ徳川家康が生きて時代ですよ!)

  この歌詞にこんなところがあります。

始めからずっと 知っていたような
そんな気がする あなたが好きです

 この歌詞に出てくる水は「流れていく」イメージです。そんな中でもその人とそこにいると永遠にそうだったような気がするのです。この、時は流れてしまうけれど前からずっとその人を知っていたというのが、先日調べた「アミ小さな宇宙人」の中にあった「双子の魂」に似たイメージかなと考えました。簡単な言い方では「運命付けられた二人」です。それもただの運命でなくて原理的に変えられないものの方が良いです。それがの清らかなイメージと重なって「純粋」を表します。

イメージの展開

 ここでは最初の基になるイメージを「水」にしたのでそこから発展していきたいと思います。関連イメージはバタイユと同様にエロティシズムに持っていくつもりですから、そちら方面限定で考えます。ここから私はちょっと頭イカれた人になっています。(もとからって噂も…)

清らか

 ここで一つ乗り越えなければならないのは、「清らかな水」と「一般には清らかと思われていない水」の間の溝です。清らかと思われていない水というのは精液や愛液です。アダルト作品の中ではそうだと思います。エッチないやらしい事を連想させる物と捉えられています。

 ただ、これを乗り越えるのはそう難しい事ではないかもしれません。例えばスピリチュアル系のある団体や教義の中ではセックス自体が神聖な行いとして捉えられて行われています。そしてその行為の中で恍惚とした心理状態になる事が聖なるものに近付く方法とも考えられます。もちろん、実際にそうであると言うつもりはありません。物語の中の登場人物がそう解釈して信じているという設定でも成り立つだろうという意味です。

主人公と書き手の二重性

 「物語の中の登場人物がそう解釈して信じているという設定」と書きましたが、そうなりますと書き手の私はそうではないと告白している事になります。という事は、バタイユのように書き手と主人公の二重性は放棄した事になりますので、バタイユの物語の方法とはここで少し距離ができます。これは仕方ない事です。

主体喪失

 以下の資料は、ある種の人々にとって謂わば「小難しい」部類に属するものになってしまうかと思われますが、重要です。

未知なる者への相互性なき友愛 西山雄二

https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/10150/1/ronso1300300900.pdf

 これらはバタイユを読む時にも考慮されればさらに理解が進むと考えますが、一般に予習してから読む事はありませんね。今回ちょっと考慮したいのは書く時に過去や未来を想定するのではなくて、たった今のこの時代を考えていますから主人公の生活態度は「意志である主体、人間は社会システムに完全に組み込まれてしまったが為に、主体はその中に完全に溶け去ってしまい、消えてしまった」(ヤマダヒフミさんの文章より)事を前提にする事です。これはそうでなくても構わないのですが、私がそれ以外の人間をあまり知らない事によります。(ヤバい人はいましたが、彼らだってあるシステムの中に取り込まれていてその中で頑張って生きていたわけですし。)そして主人公はそこに組み込まれた生活をしているけれども、その事に違和感を感じている。だから主体を回復したいという欲求がある。

 そしてもう一つは、主人公にはパートナーがいる事。その意味は「一人の人間から他の人間へと移行しつつ、初めて生起する真理を求めようとする」ためであり、それは会話、共有、エロティシズムから始まる。自己存在の過剰とそれによって生じる無秩序の露呈を通じて他者(パートナー)へそれが移行している状態となる。ここへ至る経緯を書くか書かないかと言えば、たぶん書かないを選択すると思う。(どうしてそうなの? どんな人間関係があるの? というようなのはあえて言わないだろう。)

時系列

 ここで何かプロットを考えなくてはならないのだけれど、それは後でゆっくり考える事にします。バタイユの文章が時系列に乗せていたので「時系列」にしていますが、これは必要なら変えても良いと考えます。

冒頭の部分

 冒頭に関してですが、「ミルクの皿にお尻」というインパクトが強すぎてこれに相当する何かが考えられるものでしょうか? 日常にある物、風景をいきなりエロティシズムの物に変換してしまうこんなエピソード、何があるのだろう? これも考えますが、無理かもしれませんね。

欠陥

 主人公の行為と考え方には一つ重大な欠陥がある。それは、純粋性を求める過程でスピリチュアルの思考体系を受け入れてしまっている事。(スピリチュアル系の方、すみません。誤解しないで。それがダメって言っているのではないです。)つまり、一般社会のシステムの中で居心地の悪さを感じているのをどうにかしたいと考えて、単に別のシステムの中に入る事を目指してしまうところ。(最初のイラストでは最下段にある「次の段階へ」と書いている部分)

 社会システムの中で、人間の営みを時系列の中での発展として認識し主体と客体の差異を無視するやり方。その中で主体が違和感を持ち抜け出そうとするけれども、それを意図して採用する考え方が、宇宙(または神等)という確固たる審級によって予め先取りされてしまうものになっていて同じ間違いが繰り返される。(予感)

 簡単に言えば、学校のテストでは絶対に正しい1つの正解が用意されていてそれを当てるという方式の思考方法に慣らされてしまっているのがその行動様式、思考形態を生んでいる。

 どこまで行ってもハッピーエンドにならなそうな気がしてくる。

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