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ナイチンゲールの歌が聞こえない(3400文字)

8時12分到着。駅を出て正面の広い交差点を渡る。信号機が青になるとともに、多くの人が一斉に正面のスクランブル交差点を渡り始める。一様に速足で、交差点の中央まで行った頃には、僕はもう最後尾になっていた。

交差点を渡り終えて歩道を歩き始めても誰も速度を緩めない。脇目もふらずにどんどんと歩いて行ってしまう。僕は靴の踵の角が気になっていたし、自分自身が彼らとは違うなにか中途半端なところにいる感じがしてそのまま歩いた。しばらく行くと真新しいビジネスバッグとコートを着た者たちが目立つようになってきた。もしかすると彼らは僕の同僚になる誰かなのかもしれない。よくわからない、というか、そういうのは今わからなくても良いような気もする。

低い柵で囲まれたそこの門の脇には小さな警備員室があって、墨書きの白い看板が立てられていたから、僕は間違いなく目的地に到着できたのだとわかった。僕がこの会社に入るって事も、そこで何が行われるかって事も、もちろんわかっていた事だけれども、なぜかちょっとふわふわした気持ちがして、実際にその場所に行くまで、経験するまで確信が持てない気がしていた。

ところどころにある案内板に従って歩いた。さっき見た真新しいビジネスバッグの集団も同じようにして歩いていた。広い駐車場を右手に見て、古い2つの工場の建屋の間を入ると、その瞬間に耳がおかしくなったのじゃないかと思った。

そこは背の高い木々が生い茂り大きな沼のような池まである中庭で、工場の機械音や金属音を吸い込んでいたのだった。その中央には、真っ直ぐ奥の講堂のような建物まで続く石畳の小径が横切っている。中ほどまで行くと、小さく、聞いた事の無い鳥の鳴き声が聞こえてきた。


新入社員の皆さん、入社おめでとうございます。

まず最初に、皆さんに集まっていただいたこの場所について説明いたします。ここは1938年に竣工した我が社の創業の地です。つまり歴史ある我が社の原点の地です。

皆さん一人ひとりの「原点」もこの場所であってほしい。そんな想いを今日の入社式に込めました。

そして、この場所で皆さんに、「みんなで集まる」という経験をさせてあげたいとも思いました。

人は、夢の見られるところに集まります。人は、心を求めて集まります。人は感動を求めて集まります。人は満足が得られるところに集まります。この原理はこれからの時代も永遠に変わらないでしょう。

私は、我が社を、多くの人が「集まる」場所にしたいと思っています。

それはなぜかと言うと、我が社は多くの仲間と「みんなで一緒にやっている企業」だからです。

創業者の玉田喜太郎は、当時新規産業であった分野に挑戦する事を決め、協力会社の皆様には、こう言ったそうです。

既存の技術が役に立つかはわからない。

一つひとつの小さな挑戦から始めなくてはならない。

我が社とともに苦労を分かち合って欲しい。

我が社はこうしたところからスタートしております。そして今では、6万社もの取引先の皆様が我が社と仕事を一緒にしてくださっています。

ですから、「みんなで一緒にやる」。それが私たちの原点なのです。そのためには、「人が集まる」場所でなければならないと思うのです。

我が社は、全ての事に全力で取り組んでいます。とにかくやってみよう。そうして始まった挑戦の場は、少しずつ「人が集まる場所」になっていきました。始めたときには、想像もできなかったことです。

なぜ、一緒にやろうと言ってくださる仲間が増えたのか。

それは何よりも、私たちが「深刻なテーマ」を「真剣に」、「楽しんで」やっているからだと思っています。

どんなことでも、楽しんでやる。当たり前に聞こえるかもしれませんが、会社で仕事をするうえでは、重要なことではないかと思っています。

社長の私から新入社員の皆さんに3つのお願いがあります。

1つめは、我が社の製品を好きになってください。

これから皆さんは、いろいろな職場に分かれていきます。開発をする人、工場で生産する人、人事や経理の仕事をする人、病院で命や健康を守る人。

役割はそれぞれ違いますが、すべての仕事が「もっといい製品づくり」につながっています。

仕事を楽しむための第一歩は、好きになることだと思います。

2つめは、まずは3年間、がむしゃらに、何事も楽しむつもりで仕事をしてみてください。

その間に、仕事を通じて出会う人たちの姿を見て、何かを感じるはずです。

そこには、製品を好きになり、会社を好きになり、仕事が楽しくなっていく「きっかけ」があると思います。

そして、3つめは、挫折を恐れない事です。

これから職場に入れば、うまくいかないことの方が多いと思います。仕事の厳しさや人間関係に悩み、苦しむこともあると思います。

私自身もそうでした。理不尽な状況に苦しんだこともあれば、自分の無力さを実感し、挫折したことも一度や二度ではありません。

それでも何とかやってこられたのは、「会社が好きで、製品が好きだ」という気持ちが消えなかったことと、辛い時に、寄り添ってくれた上司、同僚、友人がいたからです。

私自身、振り返ると、当時は「試練」や「まわり道」だと思っていたことが、すべて、自分の成長の糧になっていたと思います。

そう思えるのは、10年後、20年後かもしれません。それでも、これだけは言えます。生きていく中で、ムダな経験などひとつもありません。

私は、挫折を経験し、試練を乗り越えるたびに人は成長し、やさしく、強くなっていくと思っています。

皆さんは一人ではありません。「みんなで一緒にやる」のです。

これを胸に刻み、我が社での人生をスタートしてほしいと思います。

改めまして、入社おめでとうございます!


(記事抜粋)

A社の人事規定には年次による昇格枠が設定されている。総合職の場合、40歳手前で課長昇進、40代後半で部長が一般的なコースとして設定されている。しかし、ポジションには限りがあるためこのコースを辿れない者も多数いる。

「コースを外れた50代でも肩書が付く場合があるが、そうした場合でも、部下はいないし、与えられる仕事は多くないから仕事に対するモチベーションは上がらない。それでも年収は年令に応じて昇給しているから誰も辞めはしない」と、ある40代社員は言う。

関係者はこうも語っている。「経済の拡大が続いていた場面では、働いていなくても職場の中に隠れていられた。最近は経済の縮小傾向が見えてきた事でそうはいかず、中高年の『働かない層』が社内で目立つようになった」

そんな中、A社社長は「終身雇用を守っていくのは難しい」と発言したが、それに関してもこうした50代問題を踏まえた文脈の中で読む必要がありそうである。

A社の人事制度に詳しい関係者は「『やる気のない社員は要らない』という強烈なメッセージだ。大きく変更しつつある人事制度を見れば、その真意が分かる」と言う。

A社は今年1月、管理職制度を大幅に変更し、55人いた役員を23人に半減、常務役員、役員待遇だった常務理事、部長級の基幹職1級、次長級の基幹職2級を「幹部職」として統合した。これは事実上の降格と見做される。

総合職の評価制度では、昇格枠を廃止した。評価基準を、A社の価値観の理解・実践による「人間力」および、能力をいかに発揮したかという「実行力」に照らしてで判断するとした。

こうしてA社は、従来の雇用モデルを急な速度で見直そうとしている。

 

かつてA社は、「経営者よ、クビ切りするなら切腹せよ」発言に象徴されるように、終身雇用の象徴的存在だった。そのA社ですら、もはや変わらざるを得ない時代に入ったと言えるであろう。


『安らかに海を渡れ! 長い船路のために、おまえは持てるすべてのものを支払った。貧しくよるべなく、おまえはおまえのカナーンの地を踏むだろう。おまえはみずからを売り、妻を売り、子供を売らねばならない。だが、長く苦しむことはない! 香り高い広い葉かげに、死の女神がすわっている。その歓迎のキスは、おまえの血の中に死の熱病を吹きこむのだ。ゆけよ、ゆけ、盛りあがる大波を越こえて!』

アンデルセン作「絵の無い絵本」第十五夜 (矢崎源九郎 訳)より、ナイチンゲールの歌



<あとがき>
このお話の中に1回だけ「やる気」という言葉が出てきます。
どう感じますか?

「楽しく仕事をする」、「仕事を好きになる」、「がむしゃらにやる」どうでしょう?

これらの言葉は全てあなたの『精神活動』です。あなたはそれを売って、お金に換えて生きていくのです。

「働かない」という言葉も1回だけ出てきます。企業の中でお金をもらいながら働かないと言われる人がいます。信じられませんか? では、それはなぜですか?

回答1:やる気が無いから
回答2:仕事の指示がきちんと行われないから

参考にしたページ

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