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画家ジョージア・オキーフと『黒いアイリス』(小説ネタ)

 アメリカの画家にオキーフという人がいます。正確にはもう亡くなっていますので「いました」になります。この方(女性)、多くの花をモチーフにした作品を残しています。検索してちょっと見ていただくとわかりますが、どう見ても女性器に見えます。

 こんな感じです。

 こんなような言葉も残されています。(参考まで)
「どんな芸術分野であれ自分の世界を創り上げるには勇気がいるのよ。」
「女性にしか探れない女性的なものがあると思うのです。」

  さて、そこで出て来るのがこれです。前の記事。

 上の記事の時には、バスの中での光景(娼婦と車掌の性交渉)が大変美しいものに見えてしまいました。私たちの日常にあるある種の美しいものは、実際に有る物を無いとして、つまり隠して成立しています。その事は世間一般で正しいとされていて誰も反対意見を言うことができません。そして私たちはそれが普通だと思い込んでいます。けれどもその為に、その下の層のところにある抑圧があります。気付かないけれども、です。

 それで、お話の中ではその事について主人公に発言させるつもりでしたが、止めました。書いたけれど、その部分は全部消しました。もったいない・・・ではないです。また別に何か書けば良いので潔く捨てます。さて、その代わりに別の登場人物にそれをしてもらう事に決めました。なぜなら、主人公より先を歩いている者の発言がある方が、主人公がただ思うより説得力がありますし納得するからです。

 さて、次なる登場人物は「絵のモデルをしている女性」です。その人はモデルになる前に画家を目指していましたが挫折しました。なぜ画家を目指したかと言いますと、「ジョージア・オキーフ」のフラワー・ペインティングを見てしまったからです。その人にも主人公と似た内部抑圧がありましたが、オーキフの絵を見て気付きました。有るものを有るとして良いのだと。そして自分のアイデンティティはその「有るもの」と繋がっているのだと。つまり、世の中に無いとして扱われてたまるか!と思ったわけです。なかなかカッコいい感じではあります。

 リンクの記事を読んでいただくとわかりますが、実はオーキフさんはフラワー・シリーズの作品を女性器や性的抑圧と重ねて見られるのを嫌っていたそうです。そして各作品の意味も語る事は無かったそうです。ですから女性器に似ているとして意味を深読みしているのは間違いの可能性もあります。その点はご注意ください。

ごめんなさい
間違えてオーキフと書いてしまいました。オキーフが正しい発音に近いです。

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