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あなたに起こったことはあなたのせいではありません、しかし、どのように前に進んでいくかはあなたの責任なのです

この記事はこちらのブリアナ・ウィーストさんによる詩の翻訳になります。


あなたに起きたことはあなたのせいではありません。

それはあなたが求めたものではないですし、あなたに相応しいものでもありません。

あなたに起こったことは公正ではありませんでした。

あなたは他の誰かの敵意の巻き添えにされただけですし、近くにいてぼろぼろにされてしまった無実の傍観者でした。

私たちは皆人生によって傷つけられます。ある人たちはとてつもない悪事によって、またある人たちは未処理の痛みや脇に追いやられた感情によって。いかなる根源であろうと、私たちは皆手札を配られ、時にそれは勝ち札ではないのです。


しかし、私たちが忘れてはならないのは、私たちが過ちを犯していない場合でも、その後の癒しは常に私たちの肩にかかるということですーそして、それによって代わりに重荷を背負わされるのではなく、実は私たちはそれを稀に見る贈り物として見ることを学ぶことができるのです。

癒しは私たちの責任なのです。もしそうでなければ、不公正な状況は居住者のいない人生へとなってしまうからです。

癒しは私たちの責任なのです。なぜならば、未処理の痛みは、私たちの周りのすべての人に伝達しますし、私たちは誰かが私たちにしたことを愛する人たちにさせることを許さないからです。

癒しは私たちの責任なのです。なぜならば、私たちにはこの一回の人生、何か大事なことを成す一度のチャンスを手にしているからです。

癒しは私たちの責任なのです。なぜならば、もし自分の人生が違ったものになって欲しいと願うならば、誰かがそうしてくれるのを座って待っていることでは人生は実際には変わらないからです。そうすることは自身を依存させ、つらい目に合わせることになります。

癒しは私たちの責任なのです。なぜならば、これまでそうではないと信じさせられていたとしても、私たちは自身を癒す力を持っているからです。

癒しは私たちの責任なのです。なぜならば、私たちは落ち着かなくなっていて、不快感は常に私たちが奮起し、変容する予定である人生の中でのある部分を知らせているからです。

癒しは私たちの責任なのです。なぜならば、あなたが深く敬服するすべての偉大な人は、勝ち目が全くないところから始め、人生が用意する最悪の出来事が自身の内側の力には遠く及ばないと学んだからです。

癒しは私たちの責任なのです。なぜならば、”癒し”とは以前に自分がどうだったか、誰だったかに戻ることではなく、それはまだ現れていないーより強い誰か、より賢い誰か、より優しい誰かになることだからです。

私たちが癒されるとき、私たちはいつもなりたいと思っていた人へと足を踏み入れます。私たちは痛みを代謝することができるだけでなく、私たちの家族やコミュニティの中に本当の変化を及ぼすことができるのです。より自由に夢を追い求めることができるのです。人生が寄越してくるいかなるものをも巧みに扱うことができるのです。なぜなら私たちは自ずと満たされていて自信を持っているからです。私たちは勇気を出し、リスクを取って、到達することができるとは思えなかったより広い地平線を夢見ることができるのです。

誰かが過ちを犯し、それが私たちに影響を及ぼしたときに、私たちはよく座り込んで、その誰かが痛みを取り払うのを待っているのです、まるでその誰かがやって来て、やったことをなかったことにできるかのように。

その傷の中にこそ人生の中の最も重要な学び、私たちが本当に望むすべてを築き始めることができる肥沃で豊かな大地があることに私たちは気づきそびれているのです。

無傷で人生を通り抜けることにはなっていないのです。

無傷で、汚れなく、退屈なままゴールテープにたどり着くことになってはいないのです。

様々な形で人生は私たちを傷つけます。しかし、どうやって応えるかーそして、誰になるのかーそれがトラウマが悲劇になる、もしくは被害者がいかに英雄になっていったかという物語の始まりとなるのかを決めるのです。

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