同い歳への憧れ。4/13 Vol.44
2006年、房の駅3号店の場所が
決定した。
2号店の草刈房の駅をオープンさせるときは
お店づくりのセンスはゼロだった。
完膚なきまで打ちのめされた納得がいかないオープンだった。お店づくりははっきり言ってトラウマになった。
口先だけの自分を突きつけられてから
2年。
徹底的にお店づくりと売場づくりの勉強をした。
読んだ本は2年で1000冊。
みた売場は500は超えていたとおもう。
研修も片っ端から20は行ったし
売場替え 売場づくりは500回。
デザインの専門学校にも通った。
やれることは全部やった2年だった。
ロッキーのテーマソングが
頭の中を毎日、
流れるぐらいやってきた自信があった。
それでもいざ
白紙の図面を広げると手が止まった。
1ミリは10センチ。
ペン先をちょっとズラしただけで現場は
10センチ ズレる。
知識はあるのに勇気がない。
このペン先に
設計士、現場監督、大工、設備屋と何百人の
手間と労働があり
億を超えるコストがある。
勇気がでないってこのことだ。
怖さを横に置くなんてかっこいいことを言う人が
いるけど横に置いたぐらいじゃ
その怖さみえてるから❗️
1号店、2号店のときは
怖いもの知らずなだけだった。
3号店はとにかく怖かった。
そして白紙で
第1回 設計建築 現場説明会に参加した。
設計士、設備関係者、電気屋さん、塗装屋さん、水道屋さん、大工さんなど
自分の父親と変わらない年代の人たちを前にして
緊張がピーク。アウェイ感も半端ない。
ひと通り自己紹介がおわると
現場監督からスケジュールの指示が
次々ととんだ。
施主である自分は白紙の図面を持ち
その説明会に座って
ただルールや現場説明を聞いていただけだった。
第1回目ということもあり
現場監督はみんなをなごませるために
お茶やお菓子をだしたり冗談を言ったりして
話と笑いの中心にいた。
親子ほど歳が離れている親方たちを
いじり倒してる現場監督は
自分と「同い歳」だった。
まじかぁ〜
こんな同い歳いるんだ〜
悔しいというか ただただ嬉しかった。
現場監督は「マコトニ」。
どんなお店になるか楽しみですね〜
ってニコニコしながら自分に言ってきた。
自分はフツフツと燃え上がるものがあって
「来週までにどんなお店にするか決めて
持ってきます」と返した。
怖さはどこかに吹き飛んでいって
一気に図面に平面図を描き
立面図を描き、パース絵に想いをのせた。
自分の想い描いていたものを
はじめて絵におとした。
約束の1週間後
全員の前で絵を広げた。
「これが僕の房の駅です」
この絵にみんなが息をのんだ。
空気が変わったのを肌で感じた。
興奮してる職人さんたちと
どうしたら
この絵が実現できるのかの
議論が繰り広げられた。
何もかも絵や写真、
言葉にしないと伝わっていかない感覚は
新鮮だった。
マコトニは良いですねぇ〜
楽しみですね〜って言ってくれた。
その日以来、マコトニは
建築のいろはを自分に1つずつ教えてくれた。
それは床、壁、天井など
机の上の話だけでなく
大工さんたちの立場に立った
現場感のある知識だった。
指示をされた人たちの気持ちや
不満など内面のことなど
教科書には絶対、載っていないことばかりだった。
0:00を超えることは日常茶飯事だった。
今まで親子ほど歳が離れたような人たちと
どう接したら良いかわからなかった自分の
目の前で
マコトニは本気かつ真剣に職人さんに注意し
叱り、時には慰め、大きな声で笑い合っていた。
ダメなものはダメ。歳は関係ないのか。
気づいたら
房の駅の建築現場で
職人さんたちと鬼ごっこをしたり
バカ話をしている自分がいた。
歳上の部下との接し方をきっと
この時に学んだ。
マコトニとする仕事はすごく楽しかった。
そしてお店づくりがトラウマから
最高に楽しい仕事になった。
あれから15年。
マコトニも自分も社長になった。
お互いに修羅場をいっぱい乗り越えて
なかなか味のあるオッサンになったよね😬
まだまだお店やるよ!!!
叶えたい夢の先にある「カタチにする力」は
きっと「マコトニ」とともに
ある。
『せいじ殿の13人 2003-2015』
Vol.41-Vol.50(全10話)
オープン当初の3号店 栗山房の駅は
本当にこの絵の通りにできたんですよね〜🤔
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