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全部をふっ飛ばす会心の一食 Vol. 31

株式会社やますを含むグループの
トップに立つのは株式会社諏訪商店。
株式会社諏訪商店は1969年創業。
創業の地は千葉県市原市玉前。
その後、成田空港を狙って富里に富里営業所、アクアライン 開通とともに館山営業所をかまえた。
本社は現在の市原市国分寺へ。
自分が入社する頃には千葉県の海産物の土産品卸問屋としては シェアと規模では間違いなく1番になっていた。


創業者諏訪広勝は自分の父。
海産物の土産品卸問屋としてスタート。
当時は海産物をお土産として扱っているところは皆無。ここにチャンスを見出したらしい。
設立は1972年、兄である諏訪寿一(現諏訪商店グループ社長)もほぼ同時期に生まれる。


自分の小さい頃の遊び場所は諏訪商店の倉庫と加工場、駐車場だった。問屋業の諏訪商店の営業マンのまねごとで商品の積み下ろしをしたりするのが遊びだった。今で言う「やますの営業マン」たちはほぼ全員パンチパーマだったけど自分の憧れだった。
大人になったら自分も勝手にパンチパーマになるものだとおもっていた。

そんな未来じゃなくて本当に良かった。


そんな自分はとにかく変わった子どもだったらしい。
・歯は上からはえてきた。
・指のしゃぶり方は普通じゃなさすぎる
・毎晩おねしょ。
・毎昼チビってワジミがシンボルマーク。
・歯は全部 むし歯。
・タバコの吸い殻を食べて病院へ。
・趣味は台所の皿を割ること。
・おなかにはいつも油性ペンで意味不明な落書き
・高級ソファーとかにも油性ペンで落書き。
・耳アカがつまり病院へ運ばれる。
・ケンカをすると肩のクルリが即ハズれ毎度病院。
・月謝も払わず 隣の習字教室に勝手に通う。
・大きなドブに落ちること数十回。
・勝てない兄とのケンカは1000回は超える。
・気づくと屋根の上にいる。
話せばキリがない。

父は超仕事人間。マージャンが趣味。忙しすぎてほとんど遊んでもらったこともなかったから正直、子ども時代、父としてあまり認識していなかった笑。これを言ったらショックだろうからここだけの話🤫でも優しさに溢れていた。
一方、母はすさまじく怖かった。ウソをついたりするとガツーンって感じだった。バカなことをするとありえないぐらい叱られた。けど涙もろく心配性だった。根は優しいと信じたい笑

自分が幼稚園生だったある日、母が長期入院した。
そして親戚のお姉ちゃんが家政婦として
うちに住むことになった。
好きなハンバーグ
大好きなオムライス
超絶好きなナポリタンは食卓からなくなった。


親戚のお姉ちゃんは一生懸命、作ってくれるけど
若いからオシャレなニンジンスープやブロッコリーのサラダとか斬新なものばかりだった。小さい自分にとっては口に合わない。
そして「ママのナポリタンが食べたい!」「ママに会いたい!」と泣く。
そして毎日、残す残さないという勝負が繰り広げられる。

お姉ちゃんは不機嫌になり
もうつくらない!とふてくされた。
子どもながらに我慢して食べることにした。

ところが ある日、母のナポリタンを完璧にコピーしたナポリタンが食卓にでた。
憎らしい自分のことを
憎らしいお姉ちゃんが考えて
自分のためだけにつくった。
入院している母親に散々、相談したらしい。


そのナポリタンは
寂しさも、怖さも、不安も不満も
つまらなさも、我慢も
会いたい気持ちも、一緒にいたい気持ちも

全部ふっ飛ばす会心の一食

だった。

小さい頃の記憶なんてほとんどないけど
このことだけは鮮明に覚えている。


こんな「何気ない日常を特別にする」商品を
つくりたい!というのが
自分の商品開発をするときのど真ん中だ。

大切な人のことを想いつくったものや
喜んでほしいと想ってつくったもの、
大切な思い出を思い出させる一品
強くて優しい商品はすべてを超越する。

まだまだ遠く及ばないけど 
お客様1人1人の「ど真ん中」目指して
それぞれのお客様にとっての会心の一品を
積み上げていきたい。


『諏訪聖二流の商品開発』
Vol.31-Vol.40(全10話)

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