本を読んで救われた話 (太田啓子「これからの男の子たちへ」を読んで)

  普段の記事では「私」という一人称で語るが、今回は敢えて普段使用している一人称を使いたい。僕という一人称をわざわざ、いや「堂々と」使うのだ。

  本書はこれから様々な人々と触れ合うことになる男性へその特権性を自覚させたり、「性」について学ばせたりする、まさしく「良書」だ。ここにおいて、私はあえて少し変わった切り口から感想を書いていきたい。「男らしさ」という桎梏により苦しめられてきたことが、読書を通して緩和されたのだから―。

  僕は「男らしく無い」男だ。悲しい思いをすると直ぐに顔に出てしまうし、場合によっては人前で泣きそうな顔をして、その上か細い声をすることもある。二十歳をこえたが「俺」という一人称がどうしても乱暴に聞こえて好めず、「僕」を用いる(周囲を見ても私だけだ)。車の運転は下手くそだし、生まれてから一度も恋人が出来たことが―希求しているのに―ない。女性には身体がほっそりとしていて折れてしまいそうと笑われる。この僕の様態を人は男らしくないと―情けないと―嘲る。本書における対談においては「男らしさ」という桎梏に苦しめられてきた男性が登場する。私もそうだ。男が泣くなとの言葉に何度自身が劣っている存在だと思わされてきたことか!

  この「男らしさ」という概念に苦しめられてきた存在は僕以外にもいるのだと認識させられたし、その事実によって救われる思いになった。別に男だからこうであれと言われたり、女だからああであれと言われる筋合いはない。自分の生きたいスタイルで生きていけばいいのだから。良書を通したジェンダーバイアスの除去は、私の心を軽くさせてくれた。

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