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ミスチルの『フェイク』から考える24歳の今

『「愛してる」 って女が言ってきたって
 誰かと取っ替えのきく代用品でしかないんだ
 ホック外して途中で気付いていたって ただ腰を振り続けるよ』

Mr.childrenが2007年に発表した30枚目のシングル、『フェイク』。
特にミスチルファンでもない僕だけど、
この曲、特にこの歌詞は11年経っても鮮明に記憶されている。

当時、13歳の僕には少し大人な歌詞のように感じられたこの曲。
特に冒頭の歌詞は過激だった。だがなぜか引き込まれた。

高校、大学、そして社会人と、心が病んだときには思い出すこの曲。
そしてこのフレーズ。

まさに毒のように僕を蝕み続ける歌詞。
(桜井さんすごいなあ…)

世の中、結局誰かの代用品なのだな、と常々感じる。

会社勤めだと、前任の担当者の「代用品」、
恋愛も、時には元カレや元カノの「代用品」なのかもしれない。
不倫も、夫や妻の愛情の「代用品」。

冒頭の歌詞のように、自分が誰かの代用品だと気付いていながらも、
「ただ腰を振り続けるよ」という切なさや虚しさがある。




とまあ、最近またこの歌詞いいなあ。って思っているこの頃ですが、
きっかけはやはり大好きな写真撮影。
ふと思い出したこのエピソード。


何度思い出してもイライラするのだけども、
「なんでイライラするんだろう?」って考えた時に、
「僕が撮らなくてもいいじゃん」ってなったのが一番のポイントなんじゃないかって。

結局わがままなんだけど、僕は
『誰の「代用品」にもなりたくない、僕は僕だ』
っていう考え方が、一番の根底にあるのではないか。


ここで冒頭の歌詞に戻るけども、
「いや、社会の仕組み的にみんな誰かしらの代用品じゃない?」
って疑問が湧く。

その中で僕が出した答えは2つ。
・地元
・家族

僕が好きなものはこの2つ。なぜかって「代用されない」から。

大学も観光まちづくりを専攻して「内子大好き」みたいなイメージが
周りの人からも言われるけど実際にそう。

最近まで「なぜ好きなのか?」って疑問になんとなくしか答えられなかったけど、
ようやく1つの答えが見つけられた気がした。


もちろん、誰かの代用品にならない人生ってもちろん難しい。
自分の世界観を持たないといけないし、自分自身をブランド化しないといけない。

しかしそれでも僕は代用品にならず、わがままに僕を生きていきたい。

そのきっかけとしてまずは、そんな写真を撮り続けられたらなあ。と思った
24歳、年末の話。

(この記事書こうって思わせてくれたみさきさん。いつも本当にありがとう)

2018.12.23
ミズモトセイジ

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