自殺を踏み留まった日

今日ぼくは死のうとした。
近くのアパートの6階の階段の手すりから下を見下ろした。

そこから、自分に起こったこと、頭の中の逡巡を描いていこうと思う。

「今日までよく考えた。何度も何度も考えて今日は死ににきた」

そう唱えながら、僕はGoogleで
「自殺者 有名人」「自殺者 飛び降り」
そう調べていた。

何度も見た自殺者、自殺未遂者の記事がたくさんでてきた。
「よし、俺もやるぞ。俺も続くんだ。もう今日死ねなかったら終わりだ。俺に社会の居場所はない。」
やるぞ。

そう思って立ち上がって、下をみた。
足が震えてしまった。何度もシミュレーションしたけど、いざ目の前に立つと死ぬことができない。

「はぁ、無理や。  怖い。」

「本当に死ぬのか、死ねば楽になれる。死ねば全てが終わる。

ここから落ちて、体がふわっと浮いて、最後は衝撃と共に全てが終わる。 無になる。」

僕が思いとどまったのは、この無になるという感覚があまりにも怖かったからだ。
文字通り何もない。無。

そう思うと、今の健康状態。
首のむち打ちの後遺症のせいで生きてるだけで体が歪み常に首の気分が悪く、全身の骨や筋肉が固まって気持ち悪くポキポキいい、疼痛が常にある。
本当に気持ち悪い。

サラリーマンも心身の不調でわずか5ヶ月で退職。
休職して復職すれば良かったものをパニックになって人の言うことを聞かずやめた。

大学時代はしんどいのを隠して散々強がって、生きがって元気よく振る舞ってた。
だけに、大学時代の友人には本当に会いにくい。

健康状態最悪の無職人間の誕生。

それでも、それでも、生きてみようと思った。
何もなくて、何もできなくて、情けなくて、
周りのピカピカキラキラな大学時代の人と比べると本当に情けなくて死にたくなる。

けど、それでも有る。無じゃない。し、
いや、そんなことよりも本当に死を意識したら、
それなら、それなら、生きてみようと思った。
もう夢も目標も叶わない。憧れていた未来もない。

友達からの信頼も失い、友達はほとんどいなくなるだろう。そして、馬鹿にされるだろう。

みんなからは落ちぶれの代表として見られるだろう。

それでも、それでも、生きてみよう。
もう満足な健康状態には戻れないかもしれないけど、もう目指してたような成功者の人生は歩めない。どころか普通の幸せも歩めない。友達も激減し、知り合いからは笑われ、仕事も貯金もない。

けど、けどそれでも生きてみよう。
生きていればきっといいことがあるとかじゃない。

もうそういう未来を期待するのはやめよう。
今、今自分にできる目の前のことを一生懸命やろう。やりたいこと、憧れることじゃなくて、今目の前にあること、目の前にあることを全力でやろう。

とにかく今目の前を生きてみよう。寂しくて苦しくて、しんどいけど、生きてみよう。目の前を生きてみよう。

人を羨まず、人を蔑まず、生きてみよう。
みんな凄いなぁでいい。あの人を助けようでいい。
生きてみよう。

強がらず、格好つけず、生きてみよう。
情けない、口だけで、何もかも全部自分で失ってしまった馬鹿だけど、それでも、それでも、生きてみよう。

とにかく、生きてみよう。
今目の前のことを、今自分にできることをとにかく目の前のことに夢中になって生きてみよう。


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