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男性が育児参加しない理由 - ゼロベースと実体験で考えてみる。

こんにちわ!Papioneerです!

前回の投稿では僕が「育児にコミットする理由」のタイトルで書きましたが、続く今回は真逆のテーマとなりました。

これはずっと自分の中でモヤモヤとしていた疑問で、いつか整理したいと考えていた内容です。

私自身は、もともと家事や育児はパートナーとの間で公平であるべきだと考えていましたし、夫婦共働きであればなおのこと。平等にできない、又は平等にやらなくて良い理由なんてないと思っていました。もちろん、女性が中心に育児を行うことは全く否定はしません。どちらがメインで行うのか?またその役割分担などについては、各家庭で最適解を見つければ良い話。その前段階で、「暗黙の了解」のように根付いている「”普通は"女性がメインで行う」という前提はバカらしい!根こそぎ撤廃すべきだ!と言うのが私の考えでした。(そして今もその気持ちは変わりません)

一方でそんな私自身、育休をとり、家事・育児に専念し始めてからは、観念とは違う実生活の中で「おれ、自分で言うほど育児に主体者意識って持ててないな・・・」と思う場面があったことも事実。これは多くの男性とも共有できる無意識ながらの実態では?と感じたりしています。

そこで、「なぜ多くの男性は育児にもっとアクティブになれないのか?」という疑問に対して、ゼロベースでの考えと合わせて、自分の体験を通して最近感じていることを、思うままに書き留めてみたいと思います。その上で、各理由への反論と言いますか、乗り越え方みたいな発想を自分なりに書いてみたいと思います。

理由①: ママのお腹から産まれた子だから?

第一の理由として考えられるのは、「自分が産んでないから」。
命懸けで自ら出産する女性より、「自分ごと」として考えられないケースがあるのはないでしょうか。
つまり我が子が生まれた瞬間から、無意識のうちにスタート時点での責任感に差が生じてしまっているのです。

これは物理的、生物学的な視点での事実を理由にすり替えているだけで、
育児をしない理由にはなっていないですよね。男性女性のどちらのお腹から出てこようが、それは2人の子であることは間違いないはず。(引き継いでいる染色体の数も同じ!)であれば、両親ともに子供を育てる責任感は同等であるべきではないかと思います。

*ご参考までに、以下の記事によると哺乳類の習性としてオスは「子どもが自分の子どもである確証がないから」育児にそれほど関わらないという事実もあったりするようです。理性を持つ人間は、そうあってほしくない。。

さて、そんな男性諸氏へのお薦めとしては、やはり是が非でも出産には立ち会い、パートナーと出産の瞬間を共有することに尽きるでしょう。出産の大変さについての個人差は多分にあるものの、やはり壮絶な挑戦であり、"死闘"であることは間違いないと思います。その壮絶さを同じ空間で、肌で実感し、可愛い我が子がこの地に出てくる瞬間を目にしたならば、この手で子供を守り、育ててあげたくなる気持ちが自ずと芽生えてくることでしょう。

理由② 母乳がでないから

私が感じた理由の2つ目。
それはズバリ、おっぱいをあげられないから、です。

これは最も大きな理由と言うか、男性なら無意識のうちにやる気を削がれてしまう、「どうしようもなく埋め難き女性との差異」だと思っています。

私も何百回というオムツ交換や日々の沐浴(最近沐浴は卒業し、一緒にお風呂に!)、夜泣きの時の寝かしつけなど頑張ってトライしてきましたし、今はほぼ全て1人でも行える自負は持っているのですが、最も重要な「飯を食わせる」という行為が自分にはどうしてもできないわけで、これは相当に辛辣なハンディキャップだと感じています。。

(もちろんミルクで代替はできますが、ここでは母乳中心の方が母子に与えるメリットが大きい、という論に乗っかって、母乳中心に育てるケースを前提とさせて下さい)

どれだけ一生懸命にオムツ替えや抱っこに励んでも、最後は母乳じゃないと解決できない時がある。そう、そんな時は必ずある。これは育児コミットしている身としてはまぁまぁ辛く、抗えない事実です。


でも、いいではないですか。


というのが私の反論…

そもそも、全てを自分一人でうやろうとする方が無理な話。子育ては夫婦二人で、否、社会全体で行うべき聖業です。シングルマザー/ファザーみたいにスーパーマンのような方もいらっしゃいますが、可能な限りは夫婦、祖父母、地方行政や外部のサービスなどなど様々な協力者と一緒に進めていくことが理想ではないでしょうか?

なので、私はこの点については割り切って「役割分担だからしゃあなし!授乳はママがよろしく」と思うことにしています。
(なんとなく自分が育児オーナーシップをとっている風に見せたいので、パートナーには「前回は〇〇時に授乳したから、そろそろ次の授乳できる?」みたいな指示をわざとらしく出したりもしています。なんというエゴ笑)

一方で大泣きした時に粘り強く抱っこしてあやす事や、一緒にお風呂に入る事などは、もしかすると自分の方が向いているかも、と思いうので、そこは積極的に自分で行っています。

直接的な解決策ではないですが、授乳という行為も数え切れないほど多い家事育児の項目の1つと捉え、役割分担を明確にすれば、授乳の可否が「育児ができない理由」とはならないのではないでしょうか?

理由③ 社会的に評価されないから


さて、前述の2つの理由は生物的な観点だったことに対し、3つ目の理由はズバリ、社会的な見られ方や自分のエゴに関することです。

育児や家事は、この不完全なる資本主義中心の人間社会では、あまり評価されません。少なくとも我が子を育てる事にどれだけ精を出しても、経済全体では”付加価値”としてカウントされず、もちろん金銭的なリターンも享受できません。

会社でも「あなた育児頑張ってパワーアップしたから、給料アップね」とか「人を育てる大変さを知っているから昇進ね」なんてことには残念ながら、なりません。

こんなに尊く大変な仕事が、Unpaid(無給)とは。。。


生来、男性が女性よりも社会的な立場や評価を気にする生き物なのかどうかは、私は専門ではないため、分かりません。ただし、私も含め多くの男性が、人に見られない・評価されない・お金ももらえないような物事に対しては、あまり前向きに取り組めない傾向があると感じています。

そのため育児に関しても前向きに取り組もうという気持ちになれず、どちらかと言うと「日々のルーティンとして仕方なく手伝う」というふのマインドセットに陥ってしまうのではないでしょうか・・・(ううう、自分で言っておきながら耳が痛い)

理解はできるものの、この点も1点目と同様に「理由になっていない」ですね。自分の子を育てることは未来を建設することであり、そこにリターンを求めては務まりません。

でも、これは育児をしない方々だけが悪いのではなく、育児の頑張りを見える化し、歓迎するようにできていない社会全体の仕組みの欠落であると言うのが、私の意見です。もっと、パパママの奮闘をきちんと讃える社会にしないと!!

そんな育メンは、前のめりになってシェアを!

この3つ目の理由には、経済的な価値がつかないことはひとまず置いておいて、育児を正当に評価しない”社会的な風潮”や”カルチャー”みたいな部分があると思います。

これは短日月のうちには変えることは難しいかもしれませんが、「あの人が育児やってるんだったら、自分もやるべきかもね」とか、「育児ができる男性の方がイケてるよね」と言う雰囲気を、少しずつ醸成していくしかない気がしています。
(本音でもっと言うと、育児は男女ともに取り組んで当然、逆に、子供がいるのに育児もまともにやらない人って、ダサくない?みたいな雰囲気まで持っていけると健全な社会になるのかなあと考えたりしています)

近年のSDGsのや環境ブームについても同じことが言えると思っていて、「エコじゃないやつってもはやダサいよね」という共通認識が徐々に生活者の中に根付いているように、家事や育児にも同様のムーブメントが起きれば素敵だな、と。

なので、ここで奨励したいことは、もっと男性の育児カルチャーについて、SNSや各種メディアでどんどん露出が増え、上述のような新たな社会認識を作っていくしかないと考えています。なので、同じ思いで育児に奮闘する育メンの皆さんよ!新たな社会を作るべく、ぜひ僕たちの家庭での奮闘記を前のめりになってシェアしていきましょう!






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