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コスモス色に頬を染めて

空に浮かんでいる雲が秋のそれになり、風の温度とか匂いとかも、少し落ち着いて穏やかな、どこか涼しい感じになりつつある。

近ごろ、金木犀のさわやかで甘い香りが外の空気を満たしていて、かと思えば足元には真っ青な露草がちょこんとたたずんでいたり、コスモスが咲いて花畑のようになっていたり、秋ってなんて色彩がうつくしいのだろう。

そのうち銀杏の葉が黄色に染まるのが楽しみだ。1年のうち最も穏やかで深みのある季節は、もしかすると秋なのかもしれない。

(ちなみに、私は幼いころコスモスが1番好きな花だった、みなさんはなんのお花が好きでしょうか)

今、これを書きながら窓の外を見ていたら、水色の空に白いお月様が出ているのを発見した。昼間の月ってなんだか特別な感じがする。夜の太陽はなかなかありえないのに、月は昼間も淡く輝いていて、そういうところも好き。

そして、私は長いなつやすみを終え、また大学が始まった。

今期は授業をそれほど取らなくてもよいので、ゆるい時間割になっている。今日の午後から早速授業があった。

大学で知り合った友人の中に、実に女の子らしい女の子がおり(大体いつもワンピースを着ていて、背は小さく上品で、ジブリが好きなとてもやさしい女の子)、その子は私にとても親切にしてくれるので、私も彼女に対してできるだけ親切でありたい、といつも思う。

そう思わせてくれる相手だということがとても嬉しい。

そんな彼女に今日再会したとき、胸元まであった彼女の髪が肩くらいの長さになっていたので、「髪の毛切ったの?かわいい、短いのも似合うね」と言うと、「ありがとう」と照れていて、それもかわいらしかった。

私はわりと、女の子に対して「かわいいね」とか「お洋服似合ってる!すてきだね」とか、そういうのをくどくなく言えちゃうタイプである(男の子にも言えるけど、女の子に言うほど軽く、そして本気では言えない)。

これでもう少し私の身長が高くて、髪型や服装をボーイッシュな感じの雰囲気にしていたら、女の子の間で人気になったのだろうけど、あいにく私は小さいし、結構女の子らしい(恋人談)そうなので、それはちょっと難しい。

でも、髪の毛が人生で1番のショートヘアだった高校生のころ、私より小さなクラスメイトの女の子に壁ドンをして遊んだことがある。

彼女は「ひゃあ、本当に男の子みたいだよ!」とはしゃいでいて、周りにいた他の女の子も、にこにこして私たちを見ていた(今思えばなんてあたたかなクラスだったのだろう)。

その戯れはとっても楽しかった。もう少し背が高ければより格好ついたのだけれども。でも私は背の小さな私のことを気に入っているのだ。

そうだ、マッシュボブの彼にも今日会ったけれど、元気そうだった。私は彼のことがとても、とても気になる。おもしろいひとだけど、どことなくつかみどころのない感じがそうさせているのかもしれない。ちょっかいをかけて、ちょっと怒らせたりしてみたい感じの相手だ。

彼はいつもは眼鏡をかけているのに今日はかけていなかったので、授業終わりに「やあ、今日は眼鏡じゃないの?コンタクト?」と尋ねたら、やっぱりコンタクトだった。

いつも眼鏡のひとがたまにコンタクトになると、男女の区別なくきゅんとしてしまう。というより、私はギャップにやられやすい性質なのだと思う。

だから例えば、普段は髪を下ろしている女の子が、体育祭などでポニーテールにしていたりするとたまらない。そしてその子に「〇〇ちゃん、かわいい…すごくかわいい…」と声をかけるのだ(私、女の子でよかった。もし男の子だったら、確実に女たらしと言われてしまうだろうから)。

そんなこんなで、マッシュボブの彼には「いいね!」とだけ言ってグッジョブマークを出しておいた。褒めたつもりだけど、彼はなんだそれ、へんなやつ、というような顔をして、首をかしげて笑っていた。

彼は私のことを、なんかちょっとへんな子だと思っていると思う。

というか、大学でできた他の友だちや知り合いも、たぶんどこかで私のことをちょっとへんな子だと思っていると思う。

でも私は「なんかちょっと変な子」だと思われることに対しての嫌悪感はない。人間なんてみんなちょっとどこか変なのだろうと思っているし、それをうまく利用して、やりすぎない程度に「なんだあいつは!」と思わせるのは結構楽しい。

そうすれば相手に適度な印象を与えることができるし、そう思わせておいた方が仲良くなりやすい。でも決してやりすぎず、適度なのがポイント。これは私なりの処世術なのだと最近思う。

さらに今期、私は先生に頼まれて、ポーランドからやってくる留学生の女の子のチューターをすることになった。

そのような経験は今までにしたことがないし、考えてみれば私はポーランドのことをほとんど何も知らないので、彼女とたくさん話して友人になれたらうれしいな、と思っている。きっとそれはとても貴重な経験になると思うから。

だから相手に不安を与えない程度に、気さくでちょっと変な子だと思わせたいな、と思っている。親切で明るい、おもしろい子だと思わせたい。

そして最近、自分の中で少し変化したことがあるので書いておく。

大学で文学を学び始めて最初のうちは、作家たちの思惑がおそろしいほどすみずみまで作品世界を満たしていることに圧倒され、それを読み解くことに必死で、あまり余裕がなかった。

それと同時に、小説を読めば読むほど「ああ、私に創作は無理だ。先生の言っていることが事実なら、私の書いているものは小説ではない、ただの物語のあらすじだ」と思い知らされてしまったのだ。

だから大学に入ってから、私は小説を書くことをやめてしまっていた。noteを始めた理由にもそれは含まれている。空想世界の創作ができなくなってしまったから、その間は自分のことを丁寧に書き記すことにしたのだ。

でも最近、自分のことをつらつら書くのがあまり楽しくなくて、だから思い切ってまた小説や詩を書いてみた。

そうしたら思いのほか楽しくて、自分でもびっくりしてしまった。

私の書いているのは先生の言うような本物の小説ではないかもしれないけど、もしかすると本物の小説などこれから先も書くことはできないのかもしれないけど、でもこれはこれでいいのではないか、と今は思えている。

1周まわって、また戻ってきた感じだ。

雪の日に虹が出たり、月の海に船出をしたり、こぼれた涙がきれいなドロップになったり、名もない星の太陽が砕けて星屑が降ってきたりする、私の内なる世界の物語。

大きな翼と緑色の瞳を持つライオンや、蝶々のような形の耳をした女の子、死者を弔うために海を移動する光の波、髪を切り落として陸に上がる人魚。風を見ることのできる少年や、カーテンの影にかくれているちいさなゆうれい。

そんなものものが登場する、ちょっと夢見がちな小説や詩を、またこつこつ書きためていこうと思う。それは日記やnoteとは違うやり方でいつか私を救う。それを私は知っている。

私の大学生活のうち2年と少しは、創作に費やせなかった空白の期間になるけど、そこを越えた私はノートの上で前より少し軽やかに、そして自由になって、幼かった少女時代のように頬をピンクに染めながら、その空想を白い紙の上に吐き出すのだ。

ちょっと長くてごちゃごちゃした内容になってしまったな。

今日の風待ち日記はここでおしまい。

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