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ゆらゆらり

今年はよく熱を出した1年だった。

2月には家族全員でコロナにかかり、11月にはよく分からない風邪に負けて熱が出た。

そしていま、私はまた熱が出ている。

妹の机からこっそり失敬した「ねじの回転」を問題なく読めるくらいには元気なのだ。

午後からの授業も出るつもりだった。今日から授業で扱う小説が小川洋子の「余白の愛」にうつるのだし、私はこの小説をとても好きだと思ったから、授業も楽しみにしていたのだ。

しかし、やたら眠たいなあと思っていたらどうやら発熱しているらしい。

私は平熱が高い方なので、37度台の発熱はわりと元気に活動できる。だれかに冗談も言えるし、問題なく授業も受けられる(少しだけ怠いのはしかたがない)。

コロナ以前、私は毎年のようにインフルエンザにかかっていた。中学生のときも、高校生のときも。

高校1年生のときには1ヶ月の間にインフルエンザA型もB型も感染したので、そのせいでクラスメイトやだいすきな古典の先生にいじられた。

その翌年、冬に耳鼻科を受診してから遅れて学校へ行くと、学級委員長に「あれ、インフルエンザで休みじゃなかったの?」などと言われて驚愕した。

彼はユーモアのある野球部の男の子だったので、冗談なのか本気なのかが全く分からなかったけど。

そんな風に私は高校の間、冬になると毎年「インフルエンザにならないようにね!」とクラスメイトたちに心配してもらった。

みんなやさしくていい子ばかりだった。いま思い出してもそう思う。あのクラスでよかった。


そんなわけで私は毎年まんまとインフルエンザになるので、熱が急激に上がる前触れもなんとなく分かる。1番はとてつもない悪寒がすること。

授業中に気怠いのは何とかなるけど、悪寒がしたらもうおしまい。悪寒は熱がぐっと上がるサインだから。

そんなときにはあっさりと保健室へ行く。
悪寒がしてから保健室へ行けば、確実に38.5度以上の熱がある。そしてあれよあれよという間に早退させられてしまう。

私が学校で発熱する日はよいお天気の日が多かった。春だろうが冬だろうが晴れていてあたたかく、光に満ちていて、雲がもくもくと青い空に浮かんでいるような日なのだ。

保健室の真っ白で清潔なベッドですこし休み、やがて母が学校に迎えにきたらそのまま病院に連れて行かれ、薬を処方してもらう。

私は耳が弱く、風邪を引くと大抵いつも中耳炎を併発するので耳鼻科に行くときもある。

その帰りにコンビニやスーパーマーケットに寄って母が買い物をしている間、車の中でひとり横になって待つ。気だるくてしんどく、頭と身体が熱を持っているのが分かる。

そして家で薬を飲んで眠り、ときどき目覚めてお茶やポカリを飲んだり、トイレへ行ったりする。

そんな泥のように重たい眠りの合間に窓を見ると、すこし開いたカーテンから青空が見えて、それがなんとも穏やかだ。特に午後がいい。

私は熱を出して苦しんでいるというのに、時間はのんびりと進んでいる。景色は変わらない。世界は続いている。そのことになぜだか安堵する。もしかしたらいまこの瞬間、世界にたいして絶望しているひともいるかもしれないのに。

学校のみんなは今ごろなんの授業を受けているだろうかと考える。目を閉じてまどろみ、そのまますとんと眠りに落ちる。また起きる。まどろむ、眠る。時間はゆっくり過ぎる。

そういうのが私の発熱の記憶であり、それを思うたび私はなんとなくやさしい気持ちになる。

風邪を引いたら家族がみんないつもよりちょっとやさしいのとか、食事をお盆にのせて部屋まで運んでもらえるのがすきだ。
デザートにはプリンとかゼリーとかもついていて、私がごはんを食べ終わるまで母が待ってくれているのもすき。

そしてこの気持ちは、私が愛情深く守られて育てられたことの裏づけかもしれない。

安心して熱を出せて、安心して眠っていられる場に自分があることは、本当にかけがえのないことだと思う。

と、そんなことを考えつつも発熱している今日は、曇り空で雪が降っていて凍えそうに寒い。

雪の降る様を花の散る様に見立てた最初の人は誰だろうか。天才だ。和歌を学びはじめてから、雪を見るたびにそう思う。和歌には古くて奥ゆかしい大和ことばがたくさん隠れている。なかなか多くに手が伸びないのも事実だけど。

あと、外にいるとき、まつげに雪が乗っかってそっと溶けていくのとかも、冬にしかありえないからすき。

雪は白くてふわふわしていてきれいだけど、溶けてしまえば結局は水だから、溶けた雪のせいでまつげがすこし濡れて、泣いているみたいになるのもすきだ。

今年の大河ドラマが昨日終わってしまったのとか、数日前に実家にやってきた子猫のやわらかい毛のいいにおいとか、最近好きになったイラストレーターさんの作品集が届いてページをめくる時間のよろこびとか。

この発熱が風邪由来ではなく感染症由来だったとしたら、私と恋人の初めてのクリスマスはどうなるのだろう、もしだめになれば彼は嘆き悲しむだろうな、とか。それは完全に私が悪いな、そうさせたくないな、とか。

そんなことについて、熱のある頭でぼんやり考える。思考はゆらゆらと行ったり来たりをくりかえす。波のように、炎のように。

すこし眠ってへんてこな夢でも見たい。

とりとめのない文章かもしれないから、熱が下がったあとでまた見返してみよう。

秋紫陽花の哀愁

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