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はなれているけど
高校3年生の放課後の帰り道、ふと好きな人が、
「東京へ行くかもしれない」
と言ったときのことが今でも忘れられない。
びっくりしすぎて、「へぇ…」としか声が出なかった。近くに紫陽花が咲いていたのを覚えているから、たぶんこれくらいの季節だったのだと思う。
なんだそれ。どうしてこんな、少女漫画でありがちな展開に私が巻き込まれているのだろうと、そのときはぼんやり思ったし、今でも思っている。
その人と離れて、私は県内の大学に進学した。彼は東京へ行った。だけど今でもお付き合いを続けている。長期休みにしか会えないけれど、毎晩おやすみの電話をする。そのおかげで、離れているけどいつも近くに彼を感じている。少なくとも私はそうだ。
ただどうしても、やりきれない夜が来る。
周りにいる恋人たちは、毎日のように時間を共に過ごし、「なんでもない日常」というある種の特別を重ねてゆくのに、私たちはそれを知らないのだ。私たちが会うときはいつも新鮮で、優しくて、文字通り素晴らしく特別な1日になる。
だけど離れていると喧嘩さえうかつにはできない。仲直りできなかったらそれっきりになってしまうかもしれないからだ。彼が私に対して、持てるありったけの優しさを手渡してくれるから、喧嘩なんて起きようはずもないのだけど。でも人と人との物理的な距離は、いつも決定的な壁として私の前に立ちはだかる。
だからだろうか、離れ離れになってから、長期休みが待ち遠しくてたまらない。
早く夏休みがくればいいのに、と思う。
だって毎日どれだけ電話をしても、メールをしても、決して埋められないものがあるのだ。私はYUKIちゃんの歌がとても好きなのだけど、彼女の歌の歌詞にもある。
「私たちまだこれから電話でもメールでもなくってただ逢いたい」。
たとえ一言も喋らなくたって、ただ同じ空間にいる彼の気配で分かってしまう想いは存在する。
会えないのがこわいんじゃない、会えなくてそれらが分からなくなってしまうことが、私は最も恐ろしくて不安なことなのだと思う。
私は遠距離恋愛に向いている人間ではないから、ぬいぐるみをぎゅっと抱きながらさびしくてたまらずえんえん泣いてしまう日があって、それは避けられない。どうして会えないの、なんで離れてるのと、そればかりぐるぐる考えてしまう夜があるのだ。考えても仕方がないのに。
だけどこれは彼の前では絶対に言ってはいけないから、辛うじて我慢している。だって言ってしまえばまるで彼を責めているみたいだもの。私の恋人はとてもやさしい人なので、私がそう言っても「ごめんね」とだけ言って慰めてくれるだろう。だけど心の奥では傷付いているかもしれない。でも、本当に思うけれど、これに関しては私も彼も悪くない。悪者なんてどこにも存在しないのだ。だから難しいのだ。
恋人や好きな人と遠く離れている人はきっとたくさんいると思う。このご時世、会いたくてもそう簡単には会えないし、でも会いたいし、板挟みになって苦しい人がたくさんいると思う。
でも私は夏が来れば会える。夏休みまで頑張ればいい。きっと世界には他にも好きな人に会えなくてさびしい思いをしている人がたくさんいるし、国を越えて想いあっている人もいる。だから私は大丈夫だと思うことにしたの、と、大学で出来た新しい友人にそう言ったら、彼女は「そんなこと思わなくていいと思うよ」とだけ言ってくれた。
その一言があまりにも強い響きをもって私の心を揺らしたので、今思い出しただけでじんと胸が熱くなる。
さびしいままでも、会いたいままでもいいよ、と彼女が意図せず私を許したので、それからとても心が軽やかになった。きっと私が私を許してあげられたらもっと楽になるだろう。
だからはなれているけど、好きな人のこと、これからも好きでいられるようにしよう。物理的な距離にこの恋が殺されてしまわぬように、夏休みにはとびきりの笑顔でおかえりを言おう。
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