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花言葉のこと
花は好きだけれど、花言葉は好きじゃない。花にまで意味を与えたがる人間が、すこしだけおそろしいもののように思える。
花は花として咲いているだけでうつくしいのだから、別に意味などいらないのにね、と思ってしまう。
けれど花言葉を好きだというひとはきれいだと思う。純粋で、やさしい人だと思う。花言葉を信じられるということは、私には、本当にやさしいひとにしかできないことのように思える。
私はどこかすこし卑屈なのかもしれない。
花言葉を覚えようとしたことはないし、覚えたってどうせすぐに忘れてしまうのだ。それぞれの花に定められた意味など私は、そのまま何も疑わず自分のものにはできない。
私にとって、その花は私だけのものだ。何かを見たり、聞いたりして私の中で創造された私だけの意味をもつ。
私にはねむの花とか、あじさいとか、コスモスを見たら思い出す誰かがいて、言葉があって、光がある。チューリップとか、月下美人とか、金木犀に触れてよみがえる記憶がある。だから私にとって、花は花言葉で語らなくても、他のことで語ることができるのだ。
ただ、それは花言葉を愛しているひとを否定することにはつながらない。それとこれとは別のお話なのだ。
そういうふうにやさしい世界であればいいのに。
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