桜舞い散る今日この頃2

橋を渡り、向かい側へと歩いて行くと、だんだん音が大きく聴こえてくる。ギターもリズミカルでいい感じだが、何より彼女の歌声が素晴らしいと僕は思った。まるでプロの歌手のようだ。隣のベンチまで行って、とりあえず腰掛けて聴いてみることにした。彼女は僕に気がつき、チラリとこちら見たが、気にせず歌い続けていた。無料で演奏が聴けるって素晴らしいな、などと思いながら、彼女の美声に耳を傾けていた。一見誰も聴いていないように見えるが、歩いている人の中にも、彼女の歌の良さが分かる人がきっと居るだろうなと思った。あの子、歌上手いなあ、と思いながら、通り過ぎてゆく人達が。僕は時間があるから、こうして何時間でも聴いていられる。彼女は何者だろう。平日のこの時間帯に鴨川で長時間演奏しているとすると、僕と同い年くらいに見えるが、学生さんかな。それからしばらく彼女は演奏を続けていたが、何曲か弾くと、一息ついて、ギターを仕舞いはじめた。どうやら帰るようだ。僕はその様子を横からじっと見ていた。
「よし」
ギターを背負って帰って行こうとするので、僕は思いきって声をかけてみた。
「あの、すみません」
「はい?」
彼女は振り返ってこちらを見た。そして僕のことに気がついたみたいだった。
「ああ、いつも聴いてくださってる人ですね。どうかしました?」
「いや、とても素晴らしい演奏と歌だったから、一言お礼を申し上げたいと思って」
「ありがとうございます」
「あの、またここで歌いますか?」
「ええ。大体この時間くらいに来ると思います。私貧乏だから、スタジオとかもなかなか利用できないので」
「また聴かせてください。楽しみにしてます」
「ふふ。ありがとうございます。それじゃ」
そして彼女は去って行った。正面から顔を見ると、結構美人だった。高からず低からずの身長と、長い黒髪。貧乏だって言ってたな。僕も金が有り余っている訳ではないが、せっかく聴かせてもらってるのだし、次はいくらか払ってやろうと思った。

 家に帰ってきてから、水を飲んで、さっきの女性の事を考えていた。音楽は昔から聴くのが好きだった。彼女が弾いてた曲って何だったかなとネットで色々調べてみたが、どうも分からない。まあいい。今度機会があったら聞いてみよう。時計を見ると、まだ午後の2時頃。大学を辞めてからどうにも時間が余り気味だ。どうしようかな。出来るだけ鬱が晴れるような過ごし方をしたいものだが。しばらくゴロゴロと寝転がりながら、思案していたが、やっぱり家にいるとしんどくなるばかりだ。久しぶりに植物園でも行くか。

 何となく、さっき行ったばかりの鴨川を避けつつ、自転車を転がして、正門から植物園に入った。最近足が遠のいていたけれど、来てみるとやはりなかなか良い場所だ。僕は混んでいないのを確認すると、広場へ向かった。単純に広い場所の方がより景色を楽しめるからだ。ここに来たときはこのポジションで向こうに見える高い松の樹とかをぼんやりと眺めている事が多い。
休日は子供連れとかでごった返すここも平日の今は静かでいい。そのまま僕は久しぶりの園内を時に本を読み、時に森の中へ入ったり、自販機で買った水を飲んだりして満喫していた。やっぱり一人が気ままでいいなと思う。夜中とかに時々このままでいいのかと思うことがあった。だけど、僕にはこんな生き方しか出来ないような気もする。気楽な毎日が続けば良いとこの時は思っていた。

 眠気眼を擦りながら自転車を押していた。あのままベンチで眠ってしまった。気がつくと後5分で閉園だった。正直まだ全然眠り足りなくて、帰ったら速攻眠ろうと決めた。
 家についてソファにバタンと横になったら、うとうととしている内にそのまま眠ってしまったようだ。起きると深夜の2時だった。歯を磨いてもう一度寝ようと思ったのだが、どうも目が覚めてしまったようだ。日課となるブログを更新することにした。まずアクセスを解析すると昨日はいつもより10人程増えていた。久しぶりに更新したせいか。今日は何を書こうかな。僕は何となく今日あったことを記事にした。
 鬱を晴らそうと鴨川に散歩に出掛けました。
すると前に見たことある女性がギターを弾いていました。幸運と思って、近くで聴いていました。今度会ったら、何の曲なのか教えて貰おうと思います。そこまで書いて、適当に画像を貼り付けてアップした。こんなの誰が読むんだろうと思いながら。まあいい、本業に戻ろう。僕は一太郎を起動して、小説を書き始めた。いずれ売れるためというよりは完全に病気の治癒を目的として書いている。何となくミヒャエル・エンデのモモから着想して童話を書いた。主人公の女の子が人形を片手に旅に出る話。この子は両親から冷遇されて、故郷には何にもいい思い出がなかったので、両親の留守をついて家出を敢行する。彼女はいつでも人形と一緒だ。そして、旅先で色んな出会いをする。優しい喫茶店のおばさん、船で出会った少年。そして不思議な青年と出会って彼女は恋をする。最終的には青年と共にある街に着いて、そこで落ち着いてハッピーエンドとなった。何だか急に思いついたにしてはよく書けたかなと我ながら思った。
心地よい達成感を抱き、この日は眠りについた。

 翌朝、目覚めてみるとやはり体調がいい。外に出掛けたくなる。スマホと財布とマスクだけポケットに仕舞って、鴨川に出掛けた。最早条件反射に近い。歩きながら昨日書いていた話が売れたらいいなと何となく思った。作品が売れて、大金が入ってきたらもっと自由に生きられるのに。・・・そういや、鴨川で歌ってたあの音楽の人も貧乏でスタジオが借りられないとか言ってたな。世知辛いものだ。芸術家にとって生きやすい世の中になるといいな。皆がもっと自由に創作活動に励めるようになったらいい。そう思いながら、今日も歩いていた。

 鴨川沿いのいつものベンチに座って対岸を見るとまだあの女性は来ていない。僕はいつものように文庫本を取り出そうとして気づいた。今日は本を持ってくるの忘れた。仕方ないので、スマホで電子書籍を読むことにした。
ああ、早くあの人来ないかな。
 一時間程経って、若干暑さを感じてきた頃
音楽の人が現れた。ジャカジャカとギターを弾き始めた。僕は向かい側へ行くことにした。彼女に投げ銭でもあげたいと思ったからだ。
「ラーララー」
伸びやかに気持ちよさそうに彼女は歌っている。まるで鳥みたいだなと思った。僕は邪魔しないように隣のベンチで聴いていた。
「ふう」
何曲か歌って、彼女はペットボトルの水を飲んでいた。話しかけてみることにした。
「あの」
「ん?」
彼女がこちらに気づいた。そしてニッコリと笑顔を浮かべた。
「あら、このあいだの」
「こんにちわ」
「よく会いますね。いつもここで過ごされるんですか?」
「ええ、まあ。あの素敵な音楽だったから、これ、投げ銭です」
「え?いえ、そんな。私ただ好きで歌っているだけだし、受け取るわけには・・・」
「ほんの千円だし。僕の気持ちです。音楽活動に役立ててください」
「ありがとうございます」
それからも彼女の繰り出す歌声を聴いていた。有名な曲もあれば聴いた事のない曲もあった。
「ふう」
彼女が少し息を整えた所でいいタイミングだと思って聞いてみた。
「今のなんていう曲ですか?」
「桜です。私のオリジナルなんですよ」
「へえ」
道理で聞いた事が無いわけだ。でも良い曲だと思った。
僕は空を見上げた。青い空がただ広がっていた。何だか不思議だ。ついこの間まで鬱屈としてばかりいたのに、少し足を運ぶだけで、こんなにも素敵なものがこの世にも広がっているんだなと思った。
隣のベンチの彼女はマイペースに自分の世界に浸るようにギターを弾いて歌っていた。何だかこれではストーカーみたいだなと思った。
そろそろ行こうかと思って去ろうとすると、女性はこちらに気づいたみたいだった。
「帰られるんですか?」
邪気のない笑顔だった。
「また来ます」
「待ってますね」
意外に印象は悪くないようだった。僕はそのことを嬉しく思った。
彼女は確固たる自分の世界を持っていて、そこからあの素敵な曲や歌声が溢れてくるのだろうと隣で聴いていて感じた。だから、僕も何か自身の作品を作ろうと思った。本屋で適当に何冊か見繕うと買って、家に帰った。家に帰ってから、買ってきた本を読みつつ、詩を書いた。簡単な童話を書いた。詩には今日見てきた鴨川の桜の事や不思議な出会いのことを書いた。出来たものを印刷して寝転がりながら流し読んだ。以前より成長したように自分では感じた。誰かに感想とかもらいたいな。彼女は読んでくれるだろうか?書いたものを保存して、買ってきた本を読んだ。美しい自然を作品に表すにはもっと知識がないと駄目だと思ったから、簡単な自然科学の本を買ってきたのだった。窓からは陽が丁度良い感じで差し込んできていた。僕は穏やかな気持ちでページを捲っていた。鴨川まで行って、体も程良い感じに疲れているから、尚更だった。そのまま午後が過ぎていって、夕方似鳴る頃には粗方読み終えていた。スーパーに行って、料理を作る。軽めの夕食を食べた後、風呂に入って、布団に寝転がりながら、残りのページを読んでいた。何も賢治のような本格的な科学知識は必要ない。ただ自然の美しさを表現できたらいい。そう思って、買ってきた三冊の本を終いまで読み終えた頃眠気がやってきた。
何となく鬱を乗り越えてみて思った。一日をきちんと生きようと。そうすることが、意外に大切なんだと思ったのだった。

 翌朝。少しばかり過ぎるくらいの眩しさが窓から差し込んできていた。昨日寝る前きちんと過ごそうと思ったばかりだが、起きてすぐはどうにも気分が乗らない。顔を洗ってもイマイチしゃきっとしないので、ソファでゴロゴロと寝転がっていた。どうにも、部屋にいると鬱っぽくなりやすい。この部屋に何か問題でもあるのだろうか。引っ越した方がいいのかな。取りあえず歯磨きだけは済まそうと洗面所で歯を磨いてリビングへ戻ると、昨日読んだ本が目に入った。もう読み終えてしまった。知識が武器になることは充分分かったので、他にやることもないし、また本を仕入れに行こうと思った。

図書館に行くのは随分久しぶりに思えた。開館と同時に入ったら、椅子に一つくらい空いているだろという戦略で向かった。

予想通り開館間際の図書館は空いていた。昨日に引き続き、雲とか植物の本を何冊か選んで、席に陣取った。そのまま数時間程読んでいた。図書館の一番の良さは勿論本が取りそろえられていることだが、静けさというのも実にいいところだと個人的には思っている。
ともかくも、僕は図書館のページを捲るパラパラという音だけがする雰囲気に没入して、家より遙かに読書が捗っているのを感じた。
ふと思った、今日もギター弾いているのかな、あの人。
 6時間程読んだだろうか。時間は15時を過ぎた辺り。さすがに少々疲れがやってきていた。まだ読み足りないが、ここらで休憩にしてもいいかなと思った。
外の自販機でドリンクを買って飲んだ。まだ暑さがやってくるには早いが、その内図書館に来るのも億劫になるくらいの熱気がやってくるんだろうなと思うと憂鬱になる。夏は嫌いだ。僕は空腹を紛らわすようにミネラルウォーターを飲んだ。気分転換にメールをチェックした。以前やってたライターの仕事関連のメールとか、大学時代の友人から生きているか?とかメールが届いていた。僕は適当に返事を返しておいた。そして、アプリで口座の残高を調べる。ふむ、まだ多少は残っている。一年くらいはのんびりと過ごせそうだった。

 戻って別の本を探して読んでとしていると、あっという間に閉館時間だった。僕は家で読むように何冊か貸りると、図書館を後にした。
帰りのバスの中でも、窓に映る自分の顔を見ながら、今日は鴨川行けなかったなという想いがやってきた。あの人の事がなんでこんなに気になるんだろうなと不思議だった。僕のあげた千円は役立っただろうか。彼女の歌声だったら充分に音楽で身を立てて行けるだろうと思った。僕や彼女のようなロンリーな人間に生きやすい世の中がいずれやってくるように祈った。

小説を読んで将来に投資したいと思っていただけたら、是非サポートをお願いしたいです。小説や詩を書くことで世界に還元して行けたらと思います。