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「本当の私」との付き合い方がわかれば、新生活が楽しくなる納得の理由

あなたはなぜ、「本当の私」探しで悩んでしまうのか。

前回の記事ではこの悩みのメカニズムをお話ししました。

それは哲学者ラカンによれば、言葉と「私」の矛盾のせいでした。詳細は前回の記事に譲りますが、大切なのは、「本当の私」探しは、あなただけの悩みではなく、言葉を持った人類皆にとっての悩みだということです。

では、そんな「本当の私」探しとどう付き合っていくか。今日はそれを考えていきましょう。

実は前回の記事の冒頭に、そのコツはすでに書いておきました。それは、どんな「私」も、あなたらしく素晴らしい「私」だということ。

そもそも、私たちは誰と接するときにも、「一貫して変わらない私」がいるとつい思い込んでしまいます。ところが実際には、母と接するときの私、父と接するときの私、兄弟姉妹、友達Aさん、Bさん、C先生、塾のD先生、近所のEさん、、、と接するときの私、とそれぞれ場面ごとに違う私がいるのが普通です。

だから、「不変の私」から自由になって、場面ごとの自分を好きになろういうのが提案でした。

そのことを明快に示しているのが、作家・平野啓一郎さんの「分人」(ぶんじん)という考え方です。平野さんは、西洋近代が作り出した「個人」という概念に疑問を投げかけ、それと対置する自己像として、「分人」を描き出します。


すべての間違いの元は、唯一無二の「本当の自分」という神話である。
そこで、こう考えてみよう。たった一つの「本当の自分」など存在しない。裏返して言うならば、対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」である。
「個人(individual)」という言葉の語源は、「分けられない」という意味だと冒頭で書いた。本書では、以上のような問題を考えるために、「分人(dividual)」という新しい単位を導入する。否定の接頭辞inを取ってしまい
、人間を「分けられる」存在と見なすのである。

『私とは何か 「個人」から「分人」へ』(平野啓一郎 著 講談社現代新書)P6

自分全体をまん丸なホールケーキだと思えば、そこからケーキを切り分けるように、いくつもの扇型に分かれた自分がいる。「分人」はそんなイメージでしょうか。また、どんな分人がどんな比率で何人存在しているか。その比率の違いが一人ひとりの個性になり、その比率は人生のステージごとに変わっていきます。

もしあなたが、自分のことが嫌でイヤで仕方なくなったときは、この分人の考え方を思い出してみるといいでしょう。嫌いなのは、あなた全体ではなく、一部の分人でしかないかもしれません。


自分のことが嫌いな人がいれば、自分の分人を一つずつ、考えてみよう。
「Aさんと会っているときの自分は、快活で、面白い冗談なんかも自然と口に出来て、満更でもない。」
「Bさんと一緒にいるときの自分は、いつも真剣だ。それはそれで充実感がある。」
「Cさんといるときの自分は、なんか、肩が凝って、イマイチだ。」
「Dさんと、……」
人は、なかなか、自分の全部を好きだとは言えない。しかし、誰それといる時の自分(分人)は好きだとは、意外と言えるのではないだろうか? 逆に、別の誰それといる時の自分は嫌いだとも。そうして、もし、好きな分人が一つでも二つでもあれば、そこを足場に生きていけばいい。

『私とは何か』P124

投資では、一つの金融商品に全財産を投げ込まず、少しずつ分散してリスクを小さくするのが原則ですが、分人の発想もこれに近いものです。あの人との関係がダメなら、他の人との間にもっと楽しい分人を作ればいい。そして、好きな分人、楽しい分人の割合を増やして生きていく。

どうでしょう。これだけでずいぶんラクになりませんか?

分人と似たような発想に「たくさんのわたし」という見方があります。文字どおりなので、直感的にわかるかもしれませんが、これは松岡正剛さんが校長を務められているイシス編集学校の編集稽古の一つです。

どんなふうに実践するかと言えば、特に難しいことはなく、「私は×××な○○○である」をひたすら挙げていくだけ。

たとえば、、、
・私は気分屋なカメレオンである。
・私は情報収集好きなインプットメタボである。
・私は電動歯ブラシ使いなコーヒー愛好家である。
・私は健康オタクな不養生である。
などなど、こんな感じで30個くらい書き出していきます。

「たくさんのわたし」のキモは、自分を一つの「情報」として見ること。そのとき、自分を生かす複数の視点が得られるようになります。

「たくさんのわたし」は自分の中の無限の可能性を掘り起こしてくれます。

さて、ここまで見てきたように、唯一無二の「本当の私」は、存在しない幻想だということが、お分かりいただけたでしょうか?

実際には、単一ではなく、場面ごと、付き合う人ごとに、多様で多彩な私がいる。そして、そんな私sは、どれもあなたらしく素晴らしい「私」だということ。

こういうふうに「私」と付き合っていくと、「本当の私」探しに悩むことなく、新しいコミュニティで出会う新しい私も、窮屈にならずに受け入れられると思います。

私って意外と真面目だったんだ!
私って意外と天然だったんだ!
私って意外とすごかったんだ!

新しい私は、すべて本当のあなたです。

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