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映画『男と女 人生最良の日々』を観て

誰が風を見たでしょう?

映画『男と女 人生最良の日々』は、なんとも心地の良いぬくもりを、僕に与えてくれた。


もしかしたら、若いひとには、ちょっと難しい映画かもしれない。
ストーリーらしい、ストーリーもないしね。
けれども、この映画はストーリーではなく、雰囲気を楽しむ映画なのだ。


実を言えば、監督のクロード・ルルーシュは、批評家からはあまり高く評価されていない。
しかし客、とりわけフランスの客は、この監督が大好きだ。
何故なら、彼の映画が日常生活において普通の人には見ることのできないものを見せてくれるから、である。
『愛と悲しみのボレロ』のモダンバレエのシーンとか、
『しあわせ』の白熊とか、
普段、見ることできないでしょう?


さて、この『男と女 人生最良の日々』が見せてくれたもの、
それは幾つかの「風」である。
車椅子の老いた男のもとに、昔の女が尋ねに来たときに吹く、そよ風。
海辺で抱き合う、若かりし日の二人に吹く、潮風。
男が走らせる自動車に吹く、ガソリンの臭いがする疾風。

それら、常日頃は見ることのできない風を、この映画はフィルムに固定し、見せてくれた。
感謝である。


まどろみのなかで

男はまどろみ、夢と現実を、過去と今を、往来する。
別の言葉で言えば、そんな夢と現実を、過去と今を、すべてひっくるめた世界が、彼にとっての「現実」なのだ。

正と誤に判別できない、
善と悪に区分できない、
そういう「現実」を、知性の無い人たちは敬遠するし、インテリはまるで検死官が死体解剖をするかのごとく分析する。
しかしクロード・ルルーシュの映画は、そういう「現実」の全体を、美しい風とともに、そのまま包み込み、生き生きとスクリーンに映し出す。

それでいい。
だって、映画(モーション・ピクチャー)なんだし。


だから、この映画は実にほのぼのとしている。

とはいえ、このほのぼの感は、日本にはないものだ。
それは、日本の小春日和の縁側のほのぼの感とは、全然、ちがう。
そもそも、日本における平穏は、同調圧力が矛盾や闘争を隠蔽することで生まれる。事なかれ主義が情熱や行動力を抑圧することで生まれる。
平穏を求む現代の日本人は、傷つかないことを目指すので、恋愛すらできずに、個室でスマホをいじるだけだ。

しかし『男と女 人生最良の日々』のほのぼの感は、自立した個を尊ぶフランス人が、恋をし、自らを貫き、ひとを傷つけ、ひとから傷つけられ、その果てに辿り着いた、優しさである。

そう。
かつて、女は自分自身にこだわったからこそ、涙しながら男と別れ、当然のことながら、男は苦しんだ。
そんな、身がひりひりするような「闘い=恋愛」を経験したから後だからこそ、味わうことのできる穏やかな老いを、木漏れ日のもと、ワインを飲みながら、男と女はゆっくりすごす。


それは死という、嵐の前の静けさなのだろうか。
そう思うと、ちょっと怖い。



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