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戦時下、教え子に何を言う

もしもウクライナで教鞭をとっていたら

ロシア=ウクライナ戦争を特集したテレビ番組で、大学の先生が、もしも自分がウクライナで教師だったら、教え子には、
「とにかく、いまは、逃げろ。プーチンみたいなゲス野郎に殺されるな。いったんは逃亡して、それから亡命政権をつくるなり何なりして、再びリベンジしたければすればいい」
と言いたい、とおっしゃっていた。


なるほどね。

「本物の教師(=本物の大人)」とは、戦時のような限界状況の下で、自分の言葉、即ち、自分が自分で生きてきた言葉を、ちゃんと生徒(=若者)に言えるひとのことだと思う。
大事なのは、護憲派か改憲派かではなく、自分の言葉があるか否かだ。


さて、私だったら、何を言うだろう。
たぶん私だったら、
「自分がいちばん大切にしているもののために行動しなさい」
と言うだろう。


ある日、突然に

ふつうのひとにとって、災難は、突然、襲ってくる。
「実を言えば、以前から兆候はあって」と得意そうに説明するのは、専門家の方々だ。
ふつうのひとにしてみれば、天災である地震も、人災である戦争も、突然、やってくる。

だからこそ、日ごろの備えが肝心になる。
平時から、何を自分はいちばん大切にするのか、まずはそれを考えておかなければならない。たとえ、にばんめに大切なものを犠牲にしてでも、守らなければならない、いちばん大切なものは何なのか。

つぎに、その大切なもののために何をすべきか、それを考えておかなければならない。

例えば大切なものが家族だとして、
家族を守ることは、祖国を守ることとイコールなのか。
そして祖国とは、現在の政治体制とイコールなのか。

家族を守るために誰かを傷つけたとして、そんな自分のことを、家族はこれまでどおり愛し続けてくれるだろうか。
あるいは、家族を守るために逃亡したとして、そんな自分のことを、以後、家族は誇りに思ってくれるだろうか。

もしかしたら、家族よりも、学問や芸術を大切だと判断するひともいるかもしれない。
あるいは、ちょっと残念だけれど、自分自身をいちばん大切だと思うひともいるだろう。

いずれにせよ、戦時を想定して、想像力を駆使して、そこから自分なりの道徳をたちあげていくことが必要だ。
そのとき、日本人は他律的な〈ムラ道徳〉から解放され、自律した自由人になれるだろう。


20年前のイラク戦争時との違い

およそ20年前、アメリカがイラク戦争を起こした。
当時、私はフランス留学から帰ったばかりで、日本の、とある地方の、あんまり有名ではない私立大学で、教鞭をとっていた。

パリでは若者たちが反戦のデモ行進をしていた。

ところが、私が勤める大学の学生たちは、イラク戦争に、まったくの無関心であった。
「NO WAR」と書かれたTシャツすら、大学構内で見かけなかった。
もちろん「反戦」と書かれた立て看板など、なかった。
当時、まだ若くて人類愛に燃えていた私は、いらだった。

学生諸君は私のいらだちを理解できなかった。
「え、なぜ何もしていないのに、先生から怒られなければいけないの?」
「『二十歳になったら選挙に行きます』とリアクションペーパーに書いておけばいいんでしょ?」
そんな感じであった。


あれから20年が過ぎた。
20年前とは違って、いまどきの若者はウクライナ戦争に関心を抱いている。
ロシアを怖いと感じ、ウクライナを可哀想だと感じている。
この戦争は他人事ではないと〈皮膚感覚で〉感じている。

だからゲーム『スプラトゥーン』のアバターにも、「NO WAR」とか「ウクライナがんばれ」とかいう名前をつける。

周知のごとく、20年前の若者といまどきの若者との違いの背景には、中国の台頭がある。
いまどきの若者はロシアと中国をだぶらせて見ているのだ。
だからロシア=ウクライナ戦争に無関心ではいられない。

私は、あんまりロシアと中国をだぶらせすぎるのもいかがなものかと思うが、たしかに類似点はあるし、なによりも若者の戦争への関心を、世界情勢への関心を、良いことだと思う。
もしかしたらロシア=ウクライナ戦争を契機に、日本の若者は、1960年代・70年代の頃のように、もういちど世界市民に近づくことができるかもしれない。
もしかしたら日本から第二のオノ・ヨーコが現れるかもしれない。


そのためには、あと、もうちょっとである。
あと、もうちょっと、理想と現実のあいだを往復して、まずは何よりも、自分の言葉を自分で生きてみることだ。そして悩んだり傷ついたりしながら、さらに自分の言葉を自分で成長させてやることだ。


その言葉の後ろに傷痕を感じさせない言葉は、伝えるチカラに欠けると思う。

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