見出し画像

真理はひとを自由にするか?あるいは冴羽リョウになる夢

(架空の男と女。架空のバー。)

なぜ書くの

女「あなた、なぜnoteなんか書いているの?」

男「読んだひとに、ポジティヴに、元気になってもらいたいから。できるだけ多くのひとに明るくなってもらいたいから、書き続けている。」

女「あなたみたいな理屈屋が、他人様をポジティヴにできるわけ?」

男「難しいよ。でもだからやりがいがあるのさ。唐突だけど、聖書に『真理はひとを自由にする』てあるだろ?」

女「知らない。キリスト教て、自由とは真逆のものでしょ。神様が主人で、人間は奴隷だよね。」

男「自由の解釈が俗世間と聖書とでは違うのさ。聖書で言う自由は、したいことをするという意味じゃあないんだ。したいことをするひとは、自分の欲望の奴隷になっているだけだから、自由だとは言えない、聖書はそう考える。おそらく『真理はひとを自由にする』というのは、真理によってひとは自分自身から、我執から、解放されるという意味だと思う。例えば医者から『あなたの余命はあと三日です』と真実を宣告されたら、ひとは些末な日々の思い煩いから解放されて、あっさりすっきりさっぱりした明るい気持ちになるんじゃないかなあ。その状態が、聖書が唱えるところの自由だと思うんだ。だから俺はそんな明るい自由を読者に提供したい。」

女「よくわかんないなあ。」

男「例えばさ、男を魅了する能力がない女に、『おまえはカレシをつくる才能がないから、婚活なんて諦めなさい』と真理を告げれば、その女はもっとポジティヴに生きていけると思うんだ。結婚なんて夢を追うのをやめて、そのぶん、もっと別の夢に時間とお金を投資したら、そのほうが、世のため人のためにおのれの潜在能力を開花できるんじゃないか、と。そのほうが、希望があって有益な人生がおくれるんじゃないの、と。諦めから始まる新しくて爽やかな人生を追求しましょうよ、と。そんなスタンスのエッセイを書きたいんだ。」

女「あんた、殴られたい?」

男「お、お、おそらく、な、なんか誤解がある。た、た、ただ、ぼ、僕はね、日本の女性に、ウジウジ、イジイジ、コソコソしてほしくないだけなんだ。だって卑屈だし、不健康だろ。俺はね、日本の女性に、もっと貴女みたいに堂々としてほしいんだ。威張るんじゃあなくて。暴力的になるのでもなくて。自意識過剰になるのでもなくて。ふつうに自信をもって、ふつうに元気溌溂でいてほしい。」


この小さな島国では

女「うっぜー。偉そうに他人様に何か要求する前に、まず自分から始めたら?」

男「俺は正々堂々、スジをとおしてケジメをつけて生きている。自信をもってハッキリと自己主張している。だからクソみたいな連中から『傲慢だ』と陰で悪口を言われる。でもそういう連中を軽蔑して、肩で風を切って歩いている。」

女「あのねえ、この小さな島国の住民は、みんな縮こまって大人しく生きるの。波風立てず、目立たないのが大事なの。問題が発生しても、傍観を決め込んで、そのくせ他人の足を引っ張って、舌を出して、無責任に甘えて生きるの。もう、何十年も前からずっとそうなのよ。だから陰湿ないじめも、匿名の誹謗中傷も無くならないでしょ。この島国ではね、自己主張なんてできないの。しちゃあいけないの。そんなことをしたら皇室の女の子だってバッシングされるんだよ。あたしなんか、あの女の子が可哀想で、ほんと悔しくて、冴羽リョウになって彼女のボディーガードをする夢を見たわ。」

男「たしかに卑劣で残酷な連中が多すぎる。あいつら、死んだら地獄に落ちるよ。」

女「あたしだって『態度がでかい』とか『生意気だ』とか言われて。それでも泣かないのは、むかし、御恩になった先生から『女の涙は最終兵器だから、女は泣いてはいけません』と教わったから。泣くことで、相手との関係性を破壊しても、無意味でしょ。みじめなのは嫌だもん。もっとかっこつけろと思う。あたしはね、ただ自分らしくありたいだけなの。聖書の自由なんて関係ない。日本人が心の狭い人間だという真理を知ったところで、ちっともポジティヴにならないし、さっぱりもしない。あたしは日本的小市民道徳の奴隷になりたくないだけなの。自分が正しいと思うことを、胸を張って実践したい。けれどそれをこの国でやると、すっごくひどいめにあうから、他人様にお薦めしたくはない。ここは日本だから。悲しいけど。それこそ諦めなきゃ。所詮、あなたやあたしは例外者なのよ。」

男「つまり俺たち、似た者同士。つまり、お似合いってこと?」

女「べつにい。ほんと、あんた、もう、うざいわね。あたしをいらいらさせた罰ね。フォアローゼス、一杯、おごりな。」

この記事が参加している募集

#noteのつづけ方

38,378件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?