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性と政治とマリー=アントワネット (3)

(復習は下のリンクで。)

III-3 女性が政治から排除された理由

それにしても何故、女は政治から排除されたのでしょうか。
男が威張りたかったからでしょうか。
僕にはそうは思えません。
そもそも極めて興味深いことに、フランス革命期、多くの女性が、べつに選挙権なんかなくてもいいわよ、と思ったのです。
何故でしょう。
そこでちょっと推理してみました。
思いあたる理由が4つほどありましたので、まだ証拠はない、仮説にすぎないことをお断りして、ちょっとプレゼンしてみたいと思います。


III-3-A)女性が兵士になるのは良くなかったから

革命期、政府は男性に参政権を与えました。
しかし政府はその代わりに徴兵制をしき、戦争に行く義務を、男性に課しました。

そもそも革命前の時代、戦争に行くのは、原理原則として、貴族だけでした。
戦うこと、それは貴族の義務でした。
だからこそ貴族は免税特権を国王から与えられていました。

しかしまさにフランス革命は貴族のそのような特権を疑問視することから始まりました。
貴族を打倒した平民の男性は、自らすすんで義勇兵となって戦争に行きました。だから国家のために自分の命をかける男に、国家への政治に参加する権利を与えるのは当然だった。

しかし当時、女性が戦争に行くのは難しかった。肉体的な能力が重要でしたし、レイプの危険もありました。
だから女性は戦争に行かず、だから男性のようには政治に参加しなくても良い、とされたのではないか。


III-3-B)政治に参加するための幾つもの方法があったから

そもそも革命期、「政治」の意味するところが21世紀とはかなり違いました。
革命期の民衆にとって、政治参加のための方法は多様でした。
デモ行進をする、議会に傍聴に行く、新聞を読む、政府が主催する祭典に出席する、すべて政治への参加でした。選挙だけではないのです。

例えば、1793年10月30日に女性の政治結社が禁止になったとき、多くの女性がパリの市議会に、どういうことか、と怒鳴り込んできたのです。同年11月17日のことでした。
この件を重く見て、12月26日、政府は、女性は死刑執行を含む公的なセレモニーに夫や子供たちと同じように参加することができる、そのさい、彼女らには名誉ある席が用意される、そして彼女らはそこで編み物をする権利がある、という命令を出したのです。

パリの女たちはこれに満足したみたいです。
つまり選挙に行けなくても、政治結社をつくれなくても、セレモニーに参加できるなら、それでいいわよ、だって政治に参加できなくなるわけじゃあないし、そう思ったのではないか。


III-3-C)男性の政治家が女性のための政治をしてくれたから

さらに女性を議会から排除したところで、女性のための政策は行われた、という点を忘れてはいけません。
革命期、男性の政治家は男性だからといって女性のための政治をしなかったわけではありません。
例えば、1793年6月28日の法律は、3人以上の子供を持つ家庭、高齢者、捨て子、未婚の母を救うための社会福祉政策を定めました。
議会は男性だけですが、女、子供、老人のための政治をちゃんとやっているのです。


そもそも21世紀の日本だって、台所の声を国会に持っていくのは女性でなくても可能です。
議員は議員である以上、国民全体の代表です。
議員は自らの染色体の種類に関係なく、台所の声、障害者施設の声、自衛隊の声、工場の声、億万長者のパーティーの声、ニートの声などなどなど、いろいろな声を聴いて、総合的に判断して、適切な政策をとるべきです。

ですから確かに平等原理の問題は残るのですが、男が女のための政治をしてくれるなら、まあ、いいかと、18世紀末の女性は選挙権を是が非でも必要だと思わなかったのではないか。


次回は4つ目の理由を考察し、僕のフェミニズムに対する見解をお披露目しながら、まとめます。

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