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開高健『輝ける闇』を読んで

noteで、元女子校文芸サークル部員が開高健『風に訊け』を紹介していた。
ニヤニヤと、たしかにあの才女が好きそうな本じゃわいと思いながら、ふと思い出した。
開高健って、ベトナム戦争に行っていなかったけ…。

実を言うと、僕はいまインドシナ戦争について調べているところ。
せっかくだからと、開高健『輝ける闇』を買った。

迫力があった。
小説ではない。従軍記者としてのルポルタージュだ。
モデルがいるのであろう、魅力的な登場人物が次から次へと登場する。


ウェイン大尉


例えばアメリカ人のウェイン大尉。
彼は「日本人はこの戦争(ベトナム戦争)をどう見ています」と尋ねる。
主人公(開高健)は答える。「不幸な戦争だと見ていますね。アメリカの民主主義はフェア・プレイの精神に基づくものだと思っていたのに、この戦争はひどいアンフェア・プレイの戦争だ、だからアメリカは民主主義を裏切っているのだ。そう見ているようです。」
ウェインは言う。「われわれは『赤』の侵略を防ぎ、東南アジアを守るために戦ってる。日本とわれわれ自身をも守るために戦ってる。自由は健康と同じで、失ってからはじめて貴重さがわかるんです。」
主人公は答える。「問題になっているのは不公平な戦争だという点で、イデオロギーではないのです。」
するとウェインはショックを受け、崩れ、うなだれてしまう。純真なアメリカ人を前にして、主人公は思う。
「握手したあと陰鬱に微笑して彼は暗い廊下をゆっくりと歩いていった。その広い背を見送っているうちに、とつぜん私は力と羨望をおぼえた。何事であれ私がそんなふうな苦しみかたをしなくなってから、何年になることか。」

チャン


あるいは通訳の青年チャン。
彼は両親と一緒にベトナム北部から南部にやって来たところで、両親に捨てられた。
そんな生い立ちもあって、チャンは用心深い。一度も感情をもらしたことがない。政治の話はしない。彼のまなざしは鋭いが同時に朧である。自分の立場を他人に知られることをかたくなに拒むのだ。今日の友が明日の敵になる、この国で生きていくための知恵である。
けれども軍隊からチャンに召集命令が来る。
主人公はチャンにお守りをあげる。
するとこれまで常に冷静だったチャンが、腹をヒクヒクさせ、感情をあらわにして言う。
ぼくはあんたを誤解していた。あんたがたは面白がっているんだと思っていた。外国の新聞記者はみなそうだ。同情するふりをしながらみんなスリルを味わいたくて来るんだ。誰も本気で同情してくれやしない、そう思っていた。でも誤解だった。あんたは違った。
チャンと別れて、主人公は思う。
「お守りをやったのは失敗だったかもしれない。彼を濡らしてしまったのはよくなかった。たとえあてどなくても憎悪か冷罵かを蒔くべきであった。恐怖は人を注意深くさせるから戸外では有用だが、憐憫は糖衣された毒だ。それは癩のようにじりじりと人を軟らかくし、崩壊させ、腐敗させる。うしろをふり向いたときに彼は死ぬのだ。」

その他いろいろ


あるいはベトコンの公開処刑を、遊び半分に見物しに来る、女子高生

あるいはアンドレ・マルローに手紙を書く、インテリの僧侶
手紙を読んでもらいながら、主人公は思う。
「彼は腰まで惨禍にくわえこまれ、感じ、考え、理解する。けれど、行動しない。理解する人は行動の契機をどこに見いだせばいいのか。それとも理解はそれ自身のうちにすでに敗北を含むものなのか。」
西願もインテリの端くれなので、この最後の一文は沁みました。

ところでチャンの妹の素娥は、主人公の情婦でもある。
実際、驚くのは主人公の生命力だ。
高温多湿の不潔な街で、路地裏の寝室で、無数のヤモリが鳴くなかでの、ふたりの情事。
なにこれ!
西願広望には、ぜったいムリ!
だって集中できないもん!
と、主人公と素娥の最初の情交の場面では唖然としていたのですが、戦争の理不尽な暴力が明らかになればなるほど、主人公が彼女と愛を交わす場面だけは、主人公の人間らしさが認められ、ほっとできるのでした。

戦闘描写の難しさ


しかし開高健も、さすがに戦闘は怖かったらしく、技巧的な表現に頼っている。例えば、夜、敵に撃たれて、逃げるときの描写。
「涙が頬をつたって顎へしたたり落ちた。小さな塩辛い肉の群れに無言でおしわけられ、かきのけられ、卑劣やいやしさをおぼえることもなくそれを鈍くおしかえし、つきかえしつつ私は森へかけこんでいった。しめやかな苔の香りが濡れた頬をかすめた。まっ暗な、熱い鯨の胃から腸へと落ちながら私は大きく毛深い古代の夜をあえぎ、あえぎ走った。」
え?「鯨の胃から腸へ」てなに?これが「文学的」なの?
西願にはわかりませんでした。

※蛇足
今年の夏、我が家ではヤモリの子供のミイラを二匹、発見。
合掌。
開高健によれば、ヤモリは蚊を食べるらしいが、ゴキブリも食べるのかな。
なんとなく疑問に思った次第。



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