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映画『誰かの幸せ』(2020年)を観て

アマゾンプライムで観た。
中高年のためのフランス映画。40歳未満には分からないと思う。
ぜったいオススメというわけではないが、不思議と心に残った。

二組のカップルがいる。
ヴァカンスでは、一緒にお金をだしあって別荘を借りるほどの仲良しだ。
四人のうちのひとり、婦人服販売店の店員レアが小説を出版する。ベストセラーになる。テレビにも出演する有名人になって、大金持ちになる。
そのことが他の三人に嫉妬心を生み、四人の関係も、四人の人生も変化していく。


サスペンスとリアリティ


大冒険や大恋愛があるわけではない。
しかし観客はハラハラドキドキの連続だ。
レアが勧める洋服を客は気に入るだろうか。レアの店長への出世話はどうなるのだろうか。
『誰かの幸せ』は少なくとも『水戸黄門』よりはハラハラドキドキする。つまり殺人も窃盗も起きないが、極めて日常的なサスペンスがそこにはあるのだ。

また『水戸黄門』とは違って、『誰かの幸せ』には善人と悪人の区別がない。みんなそれなりに長所と短所を持っているだけだ。そのことがリアリティを生んでいる。
別の言葉で言えば、とても上手い日常のスケッチなのだ。
ドキュメンタリーでは撮ることができない人間関係を、うまく描いている。
だから観ている方は、「あるある」「いるいる」感を抱く。
それは俳優の演技のおかげでもある。例えばレアの恋人マルクを演じたヴァンサン・カッセル。あの大スターが「ふつうのひと」をここまで上手く演じるとは!

レストランで

心に残るシーンは幾つもあったが、あえて三つに厳選して紹介したい。

ひとつめは冒頭のレストランのシーン。
四人の基本的な性格が描写され、さまざまな伏線がはられる。
レアは、おとなしくて優柔不断。
マルクは、文学芸術には疎く、その劣等感を、レアをからかうことで隠している。
カリーヌは、あらゆることにマウントをとらないと気がすまないオバチャン。しかしレアのことを守ってあげたいという気持ちを抱いている。
カリーヌの夫フランシスは、妻にNonと言えない。協調性がありすぎるのだが、その場かぎりが良ければそれで良い。

さてレアはデザートにイル・フロタンを注文するが、他の三人はデザートを注文しない。するとレアはそれなら自分も要らないと言い出す。
ここから、デザートをどうするかで、議論がえんえんと果てしなく続く。
実際、映画を観ている方がイライラしてくる。けれどまさにそのとき、観客は自分が監督の術策にはめられたことに気づく。
つまりそもそも映画というものの狙いは、観客になんらかの感情を抱かせることである。ホラー映画なら恐怖を、チャンバラ映画ならスリルを。『誰かの幸せ』のこのレストランのシーンは、まさにイライラ感を観客に抱かせることが目的なのだ。

地下鉄で

ふたつめは地下鉄のシーン。
レアとマルクがふたり、帰宅するために地下鉄に乗る。
些細なことで言いあいになる。マルクが「どうせ俺なんて」みたいな感じですねる。それに対してレアが「安心して。わたしの船長さん、頼りにしているわよ」と応じる。マルクは照れて、幾度か顔を伏せ、幾度か顔を上げ、彼女の顔を読もうとする。そして「よせやあい」みたいな感じで、軽く肘を彼女にあてる。ふたりとも、にこにこ。
こういう幸福感。「あるある」でしょ?!

書店で

レアが大成功して、マルクとうまくいかなくなる。ふたりは別れる。
けれども書店で開催されたレアのサイン会に、マルクは現れる。
「本、読んだよ。感動した」と。
レアは嬉しくて、なつかしくて、マルクに飛びついてキスをする。
多くの人たちの前なのに。
そんな大胆な行動、これまでの内気なレアからは想像できない。でもだからこそ、強いインパクトを観客は感じる。

社会的動物としての人間

要するにこの映画は、人間という生き物がどれだけ社会的なそして他律的な存在なのかということを、よく描いている。
誰かが何かを始めるとき、いつもそれは他人の言動へのリアクションとして始まるのだ。
完全に自然発生的に、何らかの言動が始まることはない。

レアの本の出版だって、ある作家の推薦が引き金だった。
そしてレアの著作活動が引き金となって、フランシスは音楽や彫刻などさまざまな創作活動を始める。カリーヌは自分も本を書くのだと頑張るけれども挫折して、フランシスから励まされて始めたランニングで成果を上げ、マラソンで優勝する。

つまり「他人事」が「自分」の人生に影響を与えていく。
それは自分の完全な自由の存在を否定することだけれども、自分がひとりぼっちで生きているのではないことの証でもあるのだ。だから自由だとか自立だとか言っている、精神的に若いひとたちには楽しめない映画なのだ。

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