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テーマパーク訪問記

「いってらっしゃあい」

あの、アメリカからやってきたテーマパークなるものは、どの程度、日本的にアレンジされているのでしょうか。
発祥の地のアメリカでも、あんなふうに、つまりこんにち日本でやっているように、やっているのでしょうか。

先日、子供たちをつれて、関西の某テーマパークを初めて訪れました。
朝、入園したときは、大雨でした。
私は傘を持っていなかったから、びしょ濡れになりました。
感染症予防のマスクもすっかり濡れて、鼻と口にくっついて、息が苦しくなりました。園内はガラガラだったし、私はマスクをはずしました。
突然、雨合羽を着た従業員のかたから、「マスクをつけてくださいねええ。いってらっしゃあい」と、にこやかに指導されました。
私は事を荒立てるつもりはありませんでしたし、にこやかに窒息死するつもりもありませんでしたから、従業員の前ではとりあえずマスクを着けて、従業員が見えなくなってから再びマスクをはずしました。所謂「大人の対応」です。

それからしばらくして気づいたのです。
このテーマパークの従業員は、みんな「警察官」なのだと。
彼らの任務は、来園者の監視であり、ルールの絶対的な遵守なのだと。
実際、私が列を作っていれば、
「列は二列でならんでねええ。いってらっしゃあい」と、にこやかに指導。
私が日陰で休んでいれば、
「そこには立ち止まらないでねええ。いってらっしゃあい」と、にこやかに指導。

従業員のみなさまもまた、会社の多くの規則でがんじがらめに拘束されているであろうことがよく分かって、可哀想になりました。

命令形

もちろん日本ではテーマパークの外でも、多種多様な指示を、張り紙などを媒介として、書き言葉で呼びかけています。
ただそれをテーマパークでは人間にやらせているから、指示がより強く感じられるのです。
実際、普通に街を歩いてみれば、どこもかしこも指示だらけです。
「押してください」
「立ち入り禁止」
「お静かに」
「ご協力ください」
「ご遠慮ください」
「ひったくりに注意!」
「ちかんに注意!」
「カラスに注意!」
などなど。
今日、あなたは、何回、命令形に遭遇なさいましたか。

しかし普段、私たちはこの種の書き言葉の命令に必ずしも服従してはいません。
分かりやすい例がエスカレーターです。
当局はエスカレーターにおける利用者の歩行をやめさせようと、いろいろな「お願い」の張り紙をしますが、
群衆のみなさまは、そんな当局の「お願い」を無視して、歩行する利用者のために右側をあけて左側一列でエスカレーターにお乗りになられます。
群衆のみなさまは当局のルールとは別のルールを勝手に作って、それに従っているのです。

統治=消費

しかしテーマパークではいささか事情が違います。
多くの従業員=警察官のみなさまが、当局発のルールの絶対的な遵守を実現しようと、汗をかきかき努め勤しんでいらっしゃるからです。
おそらくルールの実施を完全なものにすることで、事故か何かがあったときの当局の責任回避に貢献することが求められているのでありましょう。

恐ろしいのは、テーマパークでは、このような統治のシステムが消費のシステムと直結している点です。
来園者がルールを守って、つまり統治に服従して、得られるのは受動的な快楽の消費にほかなりません。
そう、それは本当にとっても受動的です。
実際、来園者はへんてこりんな乗り物に拘束されて振り回されます。それを楽しいと感じられる人々が集うところ、それがテーマパークというわけです。

夕方、園内の喫茶店で、ウエイトレスさんから「今日はお楽しみいただけましたか」と尋ねられました。
私が「僕は疲れましたが、子供たちは楽しかったみたいです」と答えたら、「それは良かったです」と言われました。

ごめんなさい。
私は降ろさせてもらいますよ。
だって炎天下の絶叫より、夜のささやきのほうが好きだから。

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