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軍人文化を女子教育に応用するーSmart – Steady - Silent


最近、A短の昔の教え子たちと、ささやかながらコミュニケーションをとる機会があった。ひとことふたこと言葉を交わしただけだが、会っていなかった日々を想像できる。不思議だ。

「はじめまして」と言ってから、もう20年になる者も出てきた。
フランスの新首相アタルさん(34歳)がまだ中学生の坊やだったとき、僕らは既に出会い、ゲラゲラワイワイ、学問をやっていたわけだ。
長いつきあいになる。
みんな、精神的に、実にたくましく成長したものである。

それぞれの年末年始

クリスマスイブ、突然、ある教え子(現アラフォーマダム)からLINEがあった。
僕は、彼女の結婚式のとき、聖書を朗読する係りをおおせつかった。そんな仲である。
LINEの要件は二つ。ひとつは資本主義の醜悪さに対する憤懣の吐露。そしてもうひとつが念願の社内昇進試験に合格したとの報告。
たしかに資本主義は醜悪だけれども、ひがんだりすねたり自暴自棄になるのではなく、Steady(堅実)な態度で自分の人生を切り拓いていこうとする彼女の姿に、僕は感心した。その堅実さが時流に抗する意思表明になっているところがよい。

また、べつの教え子は、現在は東京に住んでいるが、石川県出身である。
高校生のとき、夜行バスでA短のオープンキャンパスに来ていた。僕の模擬授業を熱心に聴いていた。入試のときも、たまたま僕が面接官で、その後、僕のゼミに入った。
元日の地震直後、僕は僕で彼女の安否の確認をとったが、
彼女は彼女で翌日には「困っている方は御連絡ください」とFacebookにアナウンスを立ち上げた。
なんとSmart(機敏)な行動力。
彼女自身、小さなお子さんがいらっしゃって、そんなに暇ではないはずだが、さすがだ。

ところで、教え子のひとりは、旦那さんがウクライナの人である。
年賀状からは、対ロシア戦争の緊張感が伝わってくる。
たしか昨年の年賀状では義母さまが来日なさったとか。その後どうしておられることやら。
平和なんて無い。戦争はつづく-。
そういう確信。そこから生まれるSilent(静穏)な覚悟が、年賀状の僅かな言葉から感じられた。
タフである。

実践教育における3S精神

Smart(機敏)Steady(堅実)Silent(静穏)は、日露戦争後の海軍兵学校では「シーマンシップにおける3S精神」と呼ばれて強調された。こんにちの海上自衛隊の幹部候補生学校でも、これを、実践教育をつうじて体得させているという。

重要なのは、海自において「実践教育をつうじて」若者にこれを体得させているという点だろう。
おそらく精神教育においては、教師が学生に号令をかけてなんらかの精神を注入するという方法だけではなく、また教師が学生の日常的実践の中でたまたまキラリと垣間見えた「よい精神」を「それはよいものだから、大事にしなさい」と指摘してあげるという方法も重要なのだろう。

独房に閉じこもるひとびと

けれどもそのような日常的実践に密着した教育ができるためには、師弟が長い時間を一緒に過ごすことが必要である。
しかしいまどきの教育現場では、学校カウンセラーが、定められた授業時間以外に師弟が長い時間一緒に過ごすのをやめるよう、主張している。長い時間を共に過ごすから、ハラスメントなどの不祥事が発生するのであって、長い時間を共に過ごさなければ、不祥事は発生し得ないという、危機管理上の発想である。

そしてこの発想は、自分の小部屋という独房の御主人様でいたい学生からは、歓迎された。
彼らは、自分は特別に傷つきやすいのだという自意識から、独房に閉じこもった。
その結果、他者との持続的な関係の構築の重要性を学ぶことなく、自分を肯定しない不快な他人をすぐに攻撃する、自己中心的で短絡的な人間に成長した。
ようするに若者を外部から守るために設けられたはずの独房が、外部に対して攻撃的な若者を生み出していったのである。

しかしそもそも、冷たく暗く湿気た独房に引きこもるバラバラの個人に、果たして精神性は必要なのだろうか。

精神性とは、ギリシア彫刻や太陽や地中海が似合う、健康的なものではなかろうか。
それは、変化の波がゆっくりと起きる悠久の時間の流れに、身を浸すことができるひとたちのためのものである。

今年も、のんびり、ゆっくり、遠くから、むかしのゼミ生諸君を見守ってやりたいと思った。

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