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映画『ヴィーガンズ・ハム』を観て


アマゾンプライムがオススメしていたので観た。
軽妙なブラック・コメディー。

映画を鑑賞したあとの行動で、そのひとの政治的性向までわかるだろう。
①血の滴るステーキを食べたくなったひと
=右翼
②イラン豚をインターネットで検索したひと
=無党派
③ヴィーガンに転向したひと
=左翼

肉を愛する

主人公はフランスのマジメな肉屋さん。小さな街の小さな肉屋さんだ。
こよなく肉を愛している。
だから成長ホルモン剤を使用した肉に対しては、敵愾心を抱いている。
大量生産大量消費で儲かればよいという巨大食品産業に、嫌悪感を抱いている。
彼は、食べる動物を愛しているのだ。
彼の奥さんも、同様だ。
子供の頃、可愛がっていたウサギを食べたときの思い出を、悦びと悲しみの涙で語る。
肉屋は言う。世界一の肉は神戸牛だ。ストレスをかけないんだ。マッサージするんだ。
すべては美味しくいただくため。

しかしここに来て、新たな脅威が現れた。
それがヴィーガンであった。
映画ではヴィーガンの異常性が明らかになる。
例えばヴィーガンのレストランでは、豆腐で作ったソーセージが出される。
豆が好きで豆腐を食べるのはいっこうにかまわないが、なぜ豆腐をソーセージに変身させる必然性があるのか。
たしかに豚挽肉で作ったフムスなど存在しない。

ヴィーガンは肉屋を襲撃する。テロだ。
また、娘のカレシがヴィーガンなので、家に招くが、赤ワインすら飲まない。
赤ワインの赤い色は、虫の血液なのだそうだ。(もうめちゃくちゃ!)

しかし過激なヴィーガンにも、唯一長所があった。
野菜しか食べていないという点である。つまり草食動物だという点である。
さらに、言いたいことだけ言ってわがままに生きている、他人のことばかり批判して生きている=ストレスのない生活を送っている。
つまり食えば旨い。

かくして主人公の肉屋の夫婦も、街の住民も、ヴィーガンの旨さに気づく。

胃もたれしない

映画ではたしかに血が飛び散るが、『エイリアン』あるいは『バイオハザード』に比べて、まったく怖くない。
『デリカテッセン』に比べても、気持ち悪くない。
軽やかに明るく可笑しいのだ。胃もたれしないのだ。
軽妙さこそが、この映画の魅力である。

おそらく野外のシーンがたくさんあるのが、胃もたれしないわけのひとつだろう。
肉屋の夫婦が仲睦まじく、緑の芝生に寝転んで、バーベキューをするシーン。
肉食動物が草食動物に襲いかかるように、木の上から肉屋がヴィーガンをハンティングするシーン。
妙に、不思議と健康的なのだ。


話はかわるが、フランス人は子供の頃から小さな農家を訪れ、羊やヤギに触れる。家畜との触れ合いは、彼らの文化に深く根ざしているのだ。
3月には農業見本市が開催される。
そして4月、復活祭の頃、子羊の肉を食べる。香草と一緒に。

日本人だって水族館に行けば、「美味しそう」と生唾ゴクンとなるはずだ(僕だけかな?)。
この時期ならサヨリ、マダイ。
初夏になればイサキ、イワシ。

陽の光が僕らを海へ山へと誘う。
海の幸、山の幸。感謝である。

食をつうじて生きる悦びを感じているひとの隣で、あれを食べてはいけない、これを食べてはいけないと、口やかましく言うヴィーガンは、如何なものか。動物がかわいそうだと言って、目の前の人間を傷つけることは許されるのか。

結局、21世紀のリベラルは独善的だ。ひとりよがりの偽善者だ。
「禁止することを禁止する」、1968年のスピリットをもういちど想起すべきだろう。

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