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まるで映画みたいなシャンソンの紹介 -« Que reste-t-il de nos amours »

« Que reste-t-il de nos amours »は「残されし恋」という邦題で有名なシャンソンです。
 古典ですから多くのかたが歌っています。
いろいろ聴き比べて、ひとつ気づいたことがありました。
 
この歌は気持ちをこめて歌ってはいけない。
静かに、自分を出さずに、ナレーターに徹したほうがよい。
 
歌詞が、あまりにも美しい牧歌的な田園風景をまぶたにうつさせるので、歌手が感情をこめると、せっかくのその風景がべたべたした感情によってダイナシになって、なんだか滑稽になってしまうから。
美しい宝石は身につけるのではなくて、距離を置いて鑑賞する。それと同じだと思います。
 
 
枯葉Les feuilles mortes」や「水に流してNon, je ne regrette rien」とは違うのです。
「枯葉」も「水に流して」も、歌詞は「私は忘れなかった」とか「私は君を愛していた」とか、「私は何も悔やんではいない」とか「私はゼロから再出発するんだ」とか。
要するに「私は」という主語が強い。ダイレクトな主観が強いのです。
その場合は、「私は君を愛していた」というありきたりな一言に、他の誰でもない自分自身の気持ちをたっぷりこめて歌うほうが良いでしょう。
 
けれども« Que reste-t-il de nos amours »は、俳句と似ていて、風景に思いを託す歌詞です。
風景と言うか、映画で言うところの小道具ですね。例えば「秋の風で鳴る扉」「古びた写真」「ラブレターの束」「ゆれる髪」「村と鐘楼」など。
だからそれらをきわだたせるべく、自分は引いて、さらっと、歌わないといけない。

 
他方、楽曲は、現在の生活の寂しそうな描写から始まるのですが、その後、過去を懐古するシーンになるとカラフルで楽しくなります。シーンの転換の妙が抜群です。まったくもって映画的なシャンソンです。
 
 
ちょっと前半部分だけ訳してみました。
Ce soir le vent qui frappe à ma porte 今夜は、扉を叩く風が
Me parle des amours mortes 終わった愛を物語る
Devant le feu qui s' éteint 消えた暖炉の前で
Ce soir c'est une chanson d' automne 今夜は、秋の歌が
Dans la maison qui frissonne 凍える家のなかに流れ
Et je pense aux jours lointains そして私は遠い日々を想う

Que reste-t-il de nos amours 私たちの恋、何が残っているのだろう
Que reste-t-il de ces beaux jours あの美しい日々、何が残っているのだろう
Une photo, vieille photo 古びた写真が一枚
De ma jeunesse 私の若い頃の写真
Que reste-t-il des billets doux たくさんのラブレター、何が残っているのだろう
Des mois d' avril, des rendez-vous 幾度もの4月、幾度ものデート
Un souvenir qui me poursuit 思い出がひとつ、私を追いかけてくる
Sans cesse ずっと追いかけてくる

Bonheur fané, cheveux au vent しおれた幸せ、風にゆれる髪
Baisers volés, rêves mouvants 盗まれた口づけ、揺れる夢
Que reste-t-il de tout cela あのすべて、何が残っているのだろう
Dites-le-moi 教えてください

Un petit village, un vieux clocher 小さな村、古い鐘楼
Un paysage si bien caché 誰も知らない風景
Et dans un nuage le cher visage そして雲のなか 
De mon passé 昔の愛おしい面影

 
 
敢えて素っ気なく歌うことに見事に成功しているのが、ここで御紹介するフランソワーズ・アルディ(Françoise Hardy)とアラン・バシュング(Alain Bashung)です。是非、御試聴ください。
 


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