ボランティア依存社会
volunteerとは、自発的に、という意味である。しかし下心なしに自発的に社会貢献をしている人は日本にいるのだろうか。いるとしたらちょっと考えてほしい。私は近所で困っている人を助けたことはあるし、ゴミを拾ったこともあるし整備や掃除をしたこともある。しかし何時間もかけてやることはない。ボランティアと言えるほどのことをしたことは一度もない。
ボランティアをメディアで募集する日本
現代日本では各地で大量のボランティアをメディアで募集していて、もはや自発的ではなくタダ働きをさせる意味合いが強い。もちろんボランティアを心から自発的にしている人も少なからず存在するが、もはや絶滅危惧種であろう。にしてもボランティア募集しているメディアは15秒一枠で数百万円が飛ぶのである。メディアも無料でしているのかもしれないが、機会費用の損失であり、行政を甘やかしているに過ぎない。
行政がマネジメント能力を失っているに過ぎない。
よほどのことがなければ行政が、業者を雇って、現場に向かわせればいいのだ。大雨があった地域の公務員や議員の年収を見ると、ボランティアがいかに利用されているかがわかる。
常軌を逸するレベルの災害が毎年発生しているのに動かない行政を批判することなく、ボランティアを称賛している社会は、もはや精神論社会である。まともなマネジメントとは言い難い。
思いや絆で国家が成長していくことはありえない。竹槍で戦闘機と戦おうとしていた時代に逆戻りしているようである。
議員の収入を減らしてでも、災害対策に予算を割くべきでは?
自発的に人助けをするのはいいが、ボランティアなどを美談にして私腹を肥やしている議員など人々を忘れてはならない。
毎年のように九州では豪雨が発生している。毎年のようにボランティアを募集している。これは行政の怠慢である。予算を割いて災害対策復興支援専門チームを編成せねばならない。
老齢年金ボランティア
しばらく前に全国を行脚する老人がボランティアをして特集されていた。彼の収入源はおそらく老齢年金である。不労所得があるのかもしれないが。
私はこの方の活躍を冷ややかな目で見ていた。行政が老齢年金を減らして、掃除業者に予算を回せばいいのではないだろうか?
この国では莫大な老齢年金が供給されている。国家予算を圧迫している。その資金は実のところ過剰供給ではないのか? 使い切れないほどの老齢年金を受給している人々がいる。老人は喜んでボランティアへ行く。内申点がほしい大学生以外の若者にはその余裕がない。しかしそのボランティアができるのは経済的に逼迫していないからである。その予算、災害対策として人を雇ってできないのだろうか?
自発的なボランティアはもうない
ボランティアが必要になると学生などに募集がかかる。彼等は内申点稼ぎのためにせっせとボランティアへ向かう。行政は予算を使わずにほくそ笑む。
感覚的にだが、90年代までは確かに助け合いの雰囲気は確かにあった。阪神淡路大震災のとき、ダイエーの社長が売り場のものをすべて被災した人々のために配ったエピソードからもその精神がうかがえる。しかし現代はそのようなことは微塵も感じられない。
ボランティア依存
もはや日本はボランティアなしでは社会が成り立たなくなった。予算を組まなくても「愛! 助け合い! 絆!」など唱えていれば人々が動くからである。行政のマネジメントの怠慢であるのは明らかだが、もはやこの状況が覆ることはないだろう。
日本は精神論国家に成り下がったのだ。しかし、現在権力を握っている団塊の世代やバブル世代が引き起こしている一時的な現象であると信じたい。
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