過剰なマナーが日本を滅ぼす

マナーというのはとどまることを知らずに、お辞儀の角度まで指摘されるようなった。以前はよほどのJTCしかやっていなかったのではないだろうか。格式が高い企業にはマナーが必要なこともある。しかし中小企業まで気にする必要はない。

現代日本ではネコも杓子もマナーマナーである

マナーに気を配る余裕がるのなら、メインの仕事に集中した方がいい。それが正しいことはある程度頭の回る人ならわかるだろう。実際、マナーなど無視してものづくりに専念している企業が中国などに増えてきて、日本企業は押され気味である。全てはマナーのせいである(個人の見解です)。

マナーとは足の引っ張り合い

ある意味、マナーとは足の引っ張り合いである。営業がマナー違反をする企業とは、どんなに優れていても取引をしないのだろうか。実際のところは観測してみないとわからないが、過剰なマナー判断によってチャンスを逃しているのはほぼ間違いがない。マナーが優れている企業との取引を優先していたら、多くの企業は自社の商品(サービス含む)より、マナーを優先するようになるだろう。

なぜマナーを優先するようになったか

マナーを優先する用になった原因は日本人の多くが、人を見る目がなくなったのだろう。どうやって人を判断するか。マナーで判断するのである。外面でしか判断できないのである。
古い書物などを読むと、昔の人は人を見る目があったように思える。マナーを気にする必要がなかったのだ。落語などをきいていると、マナーを気にしすぎる人を笑い飛ばす雰囲気すらあるからきっとそうだろう。

それはもはやマナー合戦である

日本企業の多くは、マナーという足の引っ張り合いにリソースを振り分けてしまっている状況である。大学生だけでなく、高校生までもマナーを学ばせている。少なくとも学校の授業でビジネスマナー講座などをするべきではない。学生に洗脳をしているようなものである。実力よりマナーである、と。
なぜこんな不毛なことをしているのか。マナー講師などがでしゃばっていること(講座・講演・出張授業)が原因である。もはやマナーをいかに必要かと人に植え付けるかというマナー合戦である。最低限のものは必要だが、お辞儀の角度や名刺の出し方などは馬鹿らしいとしか言いようがない。

マナー合戦している間に日本企業は没落した

日本企業の没落原因の一つは、マナー合戦であることは間違いない(個人の見解です)。企業も「うちの社員マナーを守りませんが誠意はあります」などと言って社員をマナー合戦から守ってはどうだろうか。
それができない企業が増えてしまって、不毛なマナー合戦に力を入れ、ものづくりの現場が蔑ろにされ、製品の国際競争力を失ったのだ。グローバル市場はマナーでものを買ってくれることはない。
台湾の企業が工場を作って喜んでいるのは非常に象徴的である。個人的には気に入っている企業なので悪く思うことはないが、日本人の多くが台湾企業の進出を喜んでいるのは没落を感じずにはいられない。
ともかく過剰なマナーを続けている限り、日本は滅びの道を進み続けるだろう。

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