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第171回 【筋トレ日誌 その他日々是】162(2021/9/17)▲▲未だ発展途上だけど、日々の記録が未来の自分への遺産になる▲▲

私のお仲間の方が
10年間緩まれることなく日記を書き続けられているのですが、
日記を書き続け振り返ることの効能として
『過去の自分と対話ができる』
と仰っておられます。


これ、最近少しだけですけど
わかるような気がしてきました。


私の過去を振り返るログは
今まで手帳のみに頼っていたのですが、
かなり細かく予定を書き込んで入るので
(中には電車の切符から映画の半券まで
 貼ってあるので、比較的リアル感はある)
何をしていたかは分かるものの、
その予定や行動に伴う自分の感情は
いちいち記憶を手繰り寄せないと分からないわけです。


私は社会人になって以降の
手帳は全て保管してあるので
今手近にあった2015年の手帳を繰り出してみたのですが、
当時の9月ごろは無性に苦楽しいくらいに
仕事の予定が入っており、
年度末まで土日も働いていた履歴は分かるのです。


しかし、
その時点で自分が持ち合わせていた
感情のようなものが言語化されていないので、
この事案に関して楽しかったのか苦しかったのか、
悩んでいたのか、等々の詳細にアクセスするまでに
タイムラグが発生してしまいます。
(お陰様で大体のことは思い出せるのですが、
 詳細には自信なし!)


昨日食べた夕飯すら忘れるのが人間ですから、
6年も前のことなんて、何をか言わんやです。


この1年間、
スロースタートで徐々に
日々のあれこれを言語化してきたおかげで、
ようやく1年前の今日の自分の感情は〇〇だったなと
短時間でアクセス可能になったように思えます。


小学校の夏休みの宿題で
私がもっとも先送りしたのが、日記でした。


当時は、
今日も特別なことが起きた日でもないのに
何を書けばいいんだよ、
と悶々としながら夏休みの最終週にまとめて書き上げる、
最悪の事務処理をこなしていたわけです。


しかし当時の私に語りかけることができるのなら、
自分の心に起きた小さな波なんかを書いておくだけでも
30年後の自分には大きな遺産を残せた事になる、
と伝えてやりたい。
そんな気分です。

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