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靴を履いた私

自転車で10分。駅には7時半に着く。
そこから電車で35分。下り方面の電車でも、朝は座れない。
目的の駅についてさらに35分。横断歩道に歩行者が居ようと構わず突っ込んでくる車や、スピードカーみたいな音がする軽自動車を横目に今度は歩く。
私の高校はやや田舎にあった。

私が高校生だったのは、もう2年半前のこと。
今は好きな服を着て、好きな靴を履いて、学校に行っている。今期は通えてないけど。
高校を卒業してすぐのころは、メイクも服も髪色も自由になることが嬉しくて仕方なかったが、大学3年生にもなるといつの間にかメイクするのが当たり前になった。
人間、案外すぐに忘れるものだ。かかとに残った靴擦れの跡やヒールがすり減ったローファーのことなんて。


2週間ほど前、新しい靴を買った。
梅雨の時期に適した、晴雨兼用のエナメルパンプス。
新しい靴は合皮で、履きなれないパンプス。靴擦れするかもしれないと思ったので、歩く時間が短い日を選んでおろした。

徐々に足が痛くなる。20分ほど歩いたところで、真っすぐ歩けないほどになった。その日は電車で隣駅まで出かけたが、用事を済ませ、最寄り駅に戻ったころには帰れなくなっていた。泣く泣く母に電話し、車で迎えに来てもらう。

家に帰ってかかとを見ると、大きな穴が4つも空いていた。細かく説明するとグロテスクなので、”穴”という表現にとどめる。
こんなに簡単に靴擦れするんだっけ。

革靴が好きで、普段からよく履いているが、私が購入した革靴はなぜかあまり靴擦れしなかった。
仮に靴擦れしたとしても、本革であればオイルを足すことで徐々に柔らかくなり、その人の足の形に馴染むので痛くなくなる。

しかし、このパンプスはどうか。合皮だから足に馴染むかも怪しいし、馴染んだころには梅雨はとうに明け、もしかしたら秋になっているかもしれない。何のために晴雨兼用シューズを買ったのか。

かかと用のばんそうこうを貼りながらそんなことを考えた。


高校は、規則が多かった。
メイクなしで外出することがほぼなくなった今、もう一度高校に戻ることになったら、たぶんスカートは折るし、化粧もするだろう。たとえ制服点検で先生に怒られても。

自宅を出て1時間20分。やっと高校に着く。
校門には生徒指導主任がいて、スカートを折っている人や靴のかかとを踏んでいる人に声をかけていく。私は挨拶を褒められたことはあったが、怒られたことは一度もなった。
心なしか、先生は特別進学の生徒には声をかけることが少ない気がする。これは錯覚かもしれない。それでも、2年から特別進学に移った友人が言うには、特別進学には制服点検なんてないらしい。

制服点検。
1-2か月に1度、出席番号順に廊下に並ばせられ、違反していれば後日理科室に呼び出され再度チェックされる。

女子は、肩より長い髪はまとめ、アイロン、ワックス、毛染めは禁止。前髪は目にかかってはいけない。飾りのついた髪飾りも禁止。
化粧、ピアス等華美な装いは禁じられ、爪の長さも見られる。
小学生の給食当番かよ。

スカートを点検日に折っている馬鹿がいないことは先生もわかっているのだが、そこは抜かりない。セーターを捲り上げて普段折っている痕跡がないかチェックする。
どんなにアイロンをかけても日頃癖づいたシワをすっかりなくすことはどうやら難しいらしい。もしかしたら、ぱっと見の雰囲気で、普段折っているか判断して追求していただけかもしれない。

私も一度「スカート折ってるでしょ」と言われたことがあったが、半分睨みつけるように「折ってません」と言い返し、難を逃れた。スカート判断基準は先生の主観。言い換えれば、私がいかにも真面目そうだから、それ以上の追及がなかった。

男子のことはよくわからないが、スカート以外の項目と、靴下が規定のものかと、髪がYシャツの襟や耳にかかっていないかなどをチェックされていた。
女子の前髪は目にかからなければいいのに、男子は眉毛にかかっていると切るまで呼び出され続けていた。制服点検の存在を忘れていた人が、紙用のハサミで前髪を切る様子をたびたび目にした。

男女ともに前髪の判断基準はあいまいで、かかっていなくても暗く見えたら切るように言われることがあったので、男子は眉の上に隙間ができるくらい切っていた。前髪が生えてたら死ぬんか。

制服点検のとき優しさで見逃すことがないように、わざわざ接点の低い先生を呼んでくるところが狡い(こすい)。


靴は好きだ。高校生の時に本屋のメンズファッションのコーナーで長谷川裕也著の『靴磨きの本』を見つけて以降、ずっと好きだ。オシャレは足元からじゃないが、そこからファッション全般に興味を持つようになった。

一方で、私のローファーはいつも土ぼこりをかぶっていて、ソールから石が入り、ヒールがコロコロと音を立てていた。
皮膚がめくれ血がにじんだ時の痛みも、かかとにタコができ、痛みを感じなくなってからは簡単に忘れてしまった。
駐輪場もないくせにローファーで35分歩くことを強要するなんてどうかしているのだ。そんな怒りも痛みとともに忘れてしまっていたことを思い出す。

先週履いたエナメルパンプスでできた見覚えのある靴擦れを見て、母は、「高校のとき、バスに乗らせてあげればよかった」と言った。それは違うよお母さん。
電車の定期に学費、決して安くはなかったんだ。バスだって必要な時は乗っていたし、悪いのはバスに乗せない親じゃなくて、そんな規則を採用している高校だ。

そして私は、そんな規則に抵抗することも意見することもせず、ただそのことを忘れてしまっていたのだ。母に謝られるまで。


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