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7月末、おじいちゃんは死んだ


〜亡くなった祖父に贈る〜


※既出の内容も含みます。

高校1年生のとき、祖父が死んだ。
その日は夏休みに入ったばかりのとても天気の良い日で、私は高校最初の学期にクラスで1位の成績をとったことにやや浮かれていた。

祖父は若い頃お酒とタバコを"嗜み"とは言えないほど嗜んでいたようで(といってもこの時代はタバコを吸っていない男性の方が珍しいと思うが)、歳を取って肺がんになった。
若い頃に何度かした手術によって太い血管の本数が少なかった祖父は、老齢でがんを摘出する手術には耐えられないだろうと判断され、2年にも渡りただ死ぬのを見守られることになったのだ。
でもそんなこと、私も妹も知らなかった。"子どもだから"と祖父に死がじわじわと迫っていることを伝えられなかったからだ。

高校生に入学した4月頃、祖父の余生が短いことを知らされた。
そのとき初めて、がんを患っていること、判明してから結構時間が経っていることを知る。知らされたのは、母が病状の悪化した祖父を見舞い、介護?看取り?のため地方にある実家に帰る必要があるからだった。

知らされたとき、泣いたかどうかは覚えていない。ただ、

「余命3ヶ月と言われても1年くらい生きるだろ」

と思った。でも医者は正しい。祖父はちょうど3ヶ月で亡くなった。

祖父の記憶

学校に行きはじめて以降、祖父と話した覚えはほぼない。
学校というのは小学校のことである。記憶にあるのは、夏休みに遊びに行ったとき、家で食事中、微動だにせず高校野球を見続ける祖父。一言も喋らないし、集中しすぎて祖母の声かけも届いていないようだった。
夜お酒を飲むときは楽しそうに父と伯父と話していた気がするが、私と食事中に1対1で話したことなどあっただろうか。

祖父は(昔は何人か居たらしいが)ひとりで鉄工所をやっていて、一軒家の半分はトタンでできた工場(こうば)だった。
自分で掘った井戸の水で暮らし、屋根に登ったりなんだりと、とにかくパワフルな人で、いらない勉強机を肩に担いで捨てに行ったとか、本人も知らぬ間に自力で大動脈解離を治したとか(がんが見つかったときの検査で発覚された)、変な話ばかり出てくる。

祖父はとにかく大きかった。
決して身長が2mあるとかではないのだが、そこそこ高い背に、広い背中、大きくて手仕事をする人のゴツゴツした手。
話した覚えはあまり無いが、私は祖父が大好きだった。
記憶では祖父は高等学校に通っていなかったが、とても頭の良い人だった。
私が産まれた頃、たったひとりの工場でできた発明が特許を取ったり、部品の構想を知り合いに話したら「それはもうある、車の部品に使われているものとほぼ同じものだ」と言われたり、1を100に増やすのではなく、0から1を生み出すことが得意だった。発想力のある人だった。

そして仕事が好きだった、と思う。
食事中、私が祖父と話した記憶はないが、理系の父とはよく話していた。祖父は工場から自分で書いた図面を持ってきて、父に見せながら自分で計算できなかった数値の割り出し方を聞いていた。
学校に行っていなかったのだから、サインコサインなんてやっていない。しかし父に説明された祖父はとても納得しているようだった。
私は手が器用で頭の良い祖父が大好きで、2人のその様子を見ているだけで満足だった。


祖父との思い出

祖父との会話の記憶が無いのは私や妹、おそらく従姉妹も同じである。
しかし母曰く、外では話していたらしい。なので全く話をしないというわけでもない。

確かに、盆や正月、ゴールデンウィークなど、年に何度か祖父宅を訪れ、みんなで食事を取るときは乾杯前の挨拶のような感じで、祖父からの一言があった。
「寡黙」という言葉はあまり馴染まないように感じる。

地域の文化なのか、年末は年寄り順にお酒を注ぎ、祖父からの「今年も一年お疲れ様でした」を聞いて乾杯する。
年始も若い者順にお酒を注いで、祖父の挨拶のあとに乾杯する。

そのあと食事中に会話した記憶はやはりないのだが。

唯一、1対1で会話した覚えがあるのは、幼稚園生のときだろう。
小さいときから絵を描いたり、モノを作ったりが好きだった私に、祖父は小さなプレゼントをくれた。祖父が仕事では使わないようなネジやバネである。

祖父の家は2階を主な生活エリアにしていて、1階はドラフター(製図台)がある事務所と使われていないリビング、台所、風呂しかなかった。
祖父は1階リビングのテレビ台の下にお菓子の空き箱を置き、こそっとネジやバネを溜めておいてくれた。
「好きに使って良いからね」
きっとそんなことを言われたと思う。
私は偽物の鍵を作ったり、柔らかいバネを触って遊んでいた。
たまに遊びにくる私のために工場から要らない部品を持ってきて箱に移す祖父。その姿は見たことがないが、想像するだけでちょっと泣きそうになる。

私の大好きな祖父の話。

澤田せい
1999生、女性。
「美しさ」や「女性性」を中心的なテーマとしつつ、過去の記憶など自分が書きたいことを自分語りベースで執筆。

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