適応障害で休職した30歳会社員が元気になるまで

2022年8月、私は心療内科で診断書をもらって休職に入りました。
そこから1年ほど経ち、回復してきて仕事復帰が現実的になってきたので、
振り返りを兼ねてnoteにその経緯を残していきたいと思います。
みなさんの共感を得られたり、同じ境遇の人の助けになればいいなと思います。
かなり長いので、目次で全容を確認されることをおすすめします。

プロフィール
・社会人7年目(1992年生まれ)
・職業:システムエンジニア
・趣味:バスケ、ゲーム

第0章 はじめに

・仕事略歴

大学院卒業後、やりたいことも特になかった私は、「なんとなく色々なことがやれそう」で、「なんとなく社員の雰囲気が良さそう」だった某メーカーに就職しました。多分、名前は誰でも知っているような会社です。
社会人1年目、数百人の同期と過ごした新人研修は楽しく、毎日のように飲み歩き、友達がたくさんできて、毎日楽しくて仕方がなかったです。新人研修終了後、給与システムを担当する部署に配属され、OJT期間を過ごしました。システム開発作業は楽しく、同期や先輩、パートナーさんとの交流も広げつつ、充実した毎日を過ごしました。
社会人3年目のタイミングで、現在の部署へ異動してきました。簡単に言えば、給与システム製品をお客様先に導入・保守する部署から、給与システム製品そのものを保守する部署への異動でした。

・業務内容と特徴

業務としては、システムの保守とサポートデスク対応を主に行なっていました。客先でのシステム導入とは違って、製品の保守はプロジェクトとして明確な終わりがなく半永久的に続く仕事のため、達成感を感じる機会は少ないです。また、サポートデスクには毎日問い合わせが入ってきて、そのほとんどがシステムの不具合に関する内容のため、怒られることがほとんどで、褒められることはまあ無いような業務内容です。
もちろん良い点もあります。自分たちのペースで仕事ができ、お客さんの都合で休日出勤しなきゃ。。といったことはない点ですかね。


第1章 主なストレス要因と不調の予兆

・人間関係

一言で言えば、うちのチームは珍獣パーティーでした。
職人気質で頑固な先輩社員が2人いて、とにかく厄介でした。
後輩ちゃんも新人ばかり。指示した作業はそれなりにやってくれるけど、それ以上は求められないような、そんな感じ。
救いだったのはリーダーがまともだったこと。リーダーがうまく手綱を取って珍獣たちを扱ってくれていました。(そのリーダーが後にいなくなることで崩壊しますが)
そんなチームの中で、私は中堅社員として板挟みになりながら頑張ってました。

・慢性的な残業

 毎月40〜60hの残業がデフォでした。
 研究開発職なので月60hまではOKでした。
 毎日8:30に出社して20時くらいに帰る
 忙しいときは休日出勤をたまにする、そんな日々でした。

・在宅ワークのデメリット

新型コロナのおかげで、在宅ワークに全面切り替えになりました。
朝起きたら自宅でPCを起動し、WEB会議で朝のミーティングに参加。
それからは自宅でデスクワークを行い、業務連絡はメールかチャット。
必要に応じてWEB会議に参加する。
業務が終わったらPCをシャットダウンして自宅で仕事から即時解放。

一見、良いことばかりにも見えますが、デメリットもたくさんありました。

  • 慢性的な運動不足

    • 朝晩の通勤がいい運動になっていた。趣味のバスケもコロナで中断。

  • チーム内のコミュニケーション不足

    • 事務所にいればすぐに相談できたことが、手間が増えて相談しづらくなった。小さなストレスの積み重ね。

  • 仕事とプライベートのON/OFFの切り替えが難しい

    • 朝、仕事モードに切り替えるスイッチが入らない。
      夜、仕事のやめ時が難しい(終電や飲み会という概念がなくなった)

・夜型生活と寝不足

元々朝に弱く夜元気になるタイプだったこともあり、在宅ワークによって夜型生活に拍車がかかっていました。
22時以降に夜食を食べて、1時くらいに風呂に入り、ダラダラとyoutubeを3時4時まで見続け、眠くなったら寝る。朝はギリギリまで寝て、9時から仕事。
そんな生活を続けていて、慢性的に寝不足だったと思います。
仕事の日でも昼休みに昼寝をしなければキツいくらい睡眠負債が溜まっていた状態です。

・不調の予兆

大事なプレゼンの前日や締切間際など仕事のストレスが高いときに、寝るときに耳鳴りがして寝れないことがたまにありました。常に高めの音が鳴っているような感覚。
また、日中に頭が重く感じるようになりました。おでこ辺りが常に熱を持っているような状態。
上司に相談して産業医と面談することになりましたが、なんかよくわからん対応をされて、最終的に「問題なしってことで報告していいですか?」と言われました。
このときの対応は、おそらく一生忘れないくらい腹が立ちましたが、ここでは割愛します。


第2章 体調悪化から休職まで

・リーダー昇格から全てが始まる

ありがたいことに、チームリーダーへの昇格の話をいただきました。
前任のリーダーがマネージャーに昇格し、別のプロジェクトを担当することになり異動していく形、その空いた席に私が座ることになりました。
部署の中では花形的ポジションで、通常だとそこまで上がるのには早くてもあと5年はかかるようなものでした。自分で言うのも何ですが、かなり早い昇格だったと思います。
この環境の変化が休職への引き金を引いてしまいました。

・リーダー昇格に伴い負担増加

昇格にともない、ストレスの原因はさらに増えました。

  • リーダー業務の増加

    • チームの予算まわりや、社外とのやりとりが増え、
       覚える仕事が増えただけでなく、その責任も大きくなった

  • 旧担当業務の引き剥がしができない

    • 自分はリーダーになったが、チームメンバーが増えるわけではなく、
       自分にしかできない(と思っていた)作業の引き継ぎができないままでいた

  • 歪なチーム体制

    • 上述の職人気質の先輩2人が年上の部下になりました。
      前任のリーダーがうまく扱っていた珍獣を、今度は私が扱う番です。

・久々の出張!でも全然楽しくない!

新型コロナのせいでキャンセル続きだった遠地への出張が解禁になり、出張大好きな私は内心ワクワクしていました。
しかし、実際に行ってみた結果としては、リーダーの立場で行く対外的な対応は責任も重く、準備から現地対応まで想像以上に大変で、ストレスからホテルのトイレで吐いてしまうこともありました。
出張が3つほど重なったこともあり、疲労が溜まっていた私は体調を崩してしまいました。

・体調不良続きの夏休み

夏季休暇を目前に控えた8月、私は37度前半の微熱が続いていました。
無理をすれば仕事はできるくらいの状態ではありましたが、体力の限界だった私は微熱を免罪符として休むことにしました。
4日ほど休んでも体調が戻ることはなく、そのまま夏季休暇に入ることになりました。
夏季休暇は1週間ありましたが、微熱が続き、体がだるく、ほぼ寝たきりで過ごしました。一人暮らしで食事もろくに取らなかったので、体重は5kgほど減りました。
元々細い私にとってはまさに死活問題でした。

・終わらない体調不良

夏季休暇も終わり、休み明けの出勤日がやってきました。その日は在宅ワーク。
休み中に微熱は下がり体調は少しマシにはなっていましたが、朝、どうしてもPCが起動できない。仕事のことを考えると頭が重い。
上司に連絡して、追加で週末まで休むことにしました。
上司は新型コロナを心配していましたが、自分ではメンタルが原因だと確信していました。
それでも上司にはなんとなく言いづらく、促されるままに内科を受診し、新型コロナ陰性の検査結果をもらってきました。

・ついに心療内科へ、しかし問題発生

それから5日ほど休みましたが、状況は変わりませんでした。
仕事のことを考えると頭が重い。吐き気もする。とにかく休みたい。
次の出勤日がやってきましたが、また病院に行く旨を上司に伝えて休みをもらいました。
次は心療内科を受診しよう。そう決めていましたが、ここでひとつ問題が。
近場の心療内科の予約が取れないんです。数日前から調べて予約を試みていたものの、予約が取れない。その日も、朝6時から始まるWEB予約をスマホの前で待機していましたが、あえなく敗退。
有名アーティストのライブチケット争奪戦のように光の速さで終わりました。

・希望の光

もうだめかと思ったとき、最後の手段として、過去に休職したことのある同期がいることを思い出し、連絡を取ってみました。
その同期が紹介してくれた病院を調べてみると、電車で30分かかる距離でしたが、その日の午前中に予約ができる・・。感動でした。
すぐに予約をして、病院へ向かい、医者に症状を伝えた結果、「適応障害」と診断され、診断書を作成してもらえました。この瞬間、「ああ、休めるんだ、、」と安堵の気持ちでいっぱいになりました。

・休みの連絡

診断書をもらい帰宅して、上司に連絡をしました。
上司の反応はというと、混乱していました。
新型コロナかその類の何かだと思っていた部下が、心療内科で適応障害の診断書をもらってきたのが想定外だったようです。
しかし、その後は私に配慮してくれ、最低限の連絡だけをした後に、そのまま休職に入ってもいいように対応してくれました。
ここの気遣いは本当にありがたかったです。
諸々の連絡が終わり、ついに、私は休職に突入しました。


第3章 休職初期 とにかくゴロゴロしていたい

・休職に関する約束事を自分の中で決めた

休職に入った時に、「この機会に体の不調をすべてなくす」「健康な生活の土台づくりをする」「誰に何といわれても3か月は絶対に休む」ことを決めました。
ここ数年、体がすっきりせずなんとなく不調だな、という状態が続いていたので、この休職期間で全部まとめて治してやろう、と決めました。
また、マイナスを埋めるだけでなく、プラスも増やそうと思い、睡眠や食事、運動習慣など、健康な生活を送るための土台を作りたい、と決めました。
そして、一番大事なのが、3か月は絶対に休むことです。中途半端に休んでも、状況は何も変わらない、ただ自分が休んでいる間に仕事が寝かされて、その皺寄せを自分が被ることになると思ったからです。体調面でまた同じことの繰り返しになると思ったことも理由の1つにあります。3という数字に明確な理由はありませんが、とにかく最低でも3か月と決めました。(結果として1年以上休むことになりました)

・とにかく寝た

昼も夜も関係なく、とにかく寝ました。寝たい時に寝て、起きたい時に起きる生活をしました。時間があれば家でゴロゴロして休んでいたい、という思いが強かったです。
医者からは、睡眠導入剤を飲みながら生活リズムを整えるようにいわれていましたが、今は自分の欲望に従おうと、リズムは意識せずにとにかく寝ました。

・とはいえ仕事のことが気になる

休職に入ってから1カ月くらいは、仕事のことが気になっていました。
「あのプロジェクト、どうなったかな。。」「あのイベント、今日だったな。。」「○○さん、困ってるだろうな。。」
特に引き継ぎもせずに休職に入ってしまったので、チームのメンバーに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。


第4章 休職中期 やりたいことをとにかくやる

・ゲームに熱中した

休み期間の大部分は、ほぼ毎日、朝から晩までゲームをしていました。元々ゲームが好きだったのもありますが、仕事をしながらだと時間を割くことができていなかったので、飽きるまでゲームをやり込みました。寝て、起きて、ゲームして、ご飯食べて、youtubeでゲーム実況動画をみて、またゲームして・・。そんな日々を過ごしました。ゲームを通じてオンライン上で新たに交友関係も広がったので、ただ引きこもってゲームをしていただけで終わらなかったのもよかったです。

・整骨院に通いはじめた

仕事をしていた頃から悩んでいた肩こり・腰痛が、ゲームに没頭し始めたことでさらに悪化し始めたので、整骨院で治療をしてもらいました。休職中で時間だけは余っているので、予約が取りやすい平日の昼にたくさん通いました。整体やEMSトレーニング、鍼治療など、結構色々なことにお金をかけて、半年くらいかけて施術してもらい、身体の悩みは今ではほとんど無いくらいです。
今でも定期的に通ってメンテナンスしてもらっていますし、仕事に復帰してからも通うつもりでいます。

・インテリアに自然のものを導入した

日常に癒しを増やそうと思い、インテリアに観葉植物や花、熱帯魚を導入しました。目で見て癒されるのはもちろん、手間をかけた分元気に成長する姿には元気をもらえます。ほかにも、カーテンや写真を季節によって変えたりしてみたりもしました。

・バスケを再開した

趣味で元々バスケをしていた私ですが、新型コロナが流行してからは全くやっていませんでした。ゲームをしてばかりではなく、運動も始めようと思い、近所で練習をしている社会人チームを探して、思い切って連絡をとり、練習に参加してみました。3年ぶりの運動だったので最初の方は息切れに筋肉痛に見舞われて悲惨な状況でしたが、今では昔の感覚を取り戻して楽しく練習に参加しています。運動の習慣にもストレス発散にもなっているし、加えて、地域の人との交流もでき新しい交友関係がここでも広がったので、勇気を出して行動してよかったと思っています。

・旅行に行きまくった

とにかく行ける旅行はお金を惜しまずに行きました。仕事をしながらだとなかなか時間を取れなくなるので、この休職期間しかない、というつもりで行きまくりました。たくさんの思い出と引き換えに、貯金はごっそりなくなりましたが後悔はしていないです。

・禁酒していたお酒を解禁した

休職してからは薬を毎日飲んでいるのでお酒を控えるように言われていましたが、元々お酒好きな私は、今年の夏の猛暑に耐えられず、お酒を解禁しました。
医者に相談したところ、「お酒を飲むときは睡眠導入剤を飲まないように(薬の効果が強く出過ぎてしまうため)」「お酒は今やっている治療と逆の作用があるのでできれば控えた方がいいが、我慢できる範囲で構いませんよ」ということだったので、我慢できる範囲で我慢しつつ、飲みたい時は我慢せずに飲むことにしました。お酒自体も美味しいし、友人と一緒に飲む酒の席は楽しいし、悪い影響だけではないと思っています。

・好きなことを好きなだけやって、生活リズムは波がある

以上のように、今までやりたかったこと、やれていなかったことを好きなだけする生活を送ってきました。その結果、夜更かししてゲームをしたり、海外旅行で時差ボケになったり、バスケで新型コロナをもらってきて寝たきり生活になったりと、睡眠のサイクルは整ったり乱れたり、波があるような状態で、決して褒められたものではありませんでしたが、休職初期のように「とにかく寝たい」と思う感覚はなく、少しずつ前進しているような状況でした。


第5章 休職後期 仕事復帰を意識し始めた

・暇を持て余すようになった

つい最近のことですが、「暇だし仕事してもいいかも」と思えるようになってきました。ちょっと前までは、「時間があればゲームしていたい」「時間がある今しかできないことが他にもあるはず」という思いが強く、そんな考えには至らなかったくらいだったので、自分でも驚いています。
貯金の底が見えてきたので、お金を稼がなくては、ということも原動力の1つにはなっていると思います。最近は、不用品をリサイクルショップに売りに行ったり、メルカリに出品したりして小銭稼ぎをしています。

・生活リズムをようやく本気で整え始めた

仕事復帰を意識し始めたことを医者に相談したら、医者から「朝起きれること」「自宅とは違う環境に移動して読書など脳に負担のかかる作業ができること」が復帰のポイントになることをアドバイスしてもらいました。そこから朝起きてカフェで読書やpc作業をすることを習慣づけようと努めています。このnoteを投稿しようと思ったのも、デスクワークに近い作業として適しているかなと思って始めました。

・友人夫婦の家に遊びに行って生活リズムが変わった

つい先日、友人夫婦の家に泊まりに行く機会がありました。夫婦には1歳の子供がいて、一緒に遊んだりして癒されもしたのですが、一家の生活が18時に夕食、19時に風呂を済ませて、子供を寝かしつけて、22時には就寝という感じでした。子供がいる家庭だと当たり前かもしれませんが、一人暮らしの長い私にとっては、そんな健康的な生活リズムが新鮮でした。今までは、「腹が減ったら夕食を食べて、眠くなったら風呂に入って、寝る」というのが自分にとっての当たり前だったのが、「早い時間に夕食を食べ、少し休憩したら早い時間に風呂に入ってしまい、寝る支度をする」生活を体験することで、友人宅から戻ってからもそのリズムで動きたくなるようになってしまいました。
医者からどんなアドバイスをもらうよりも、一晩の体験ですっかり自分の体が覚えてしまったので、百聞は一見にしかずとはこのことだなと実感しました。


第6章 休職期間の会社の人との接触

・基本的には必要最低限、会ってもいいかなと思える人にだけ会う

基本的に、会社とのやりとりは上司のさらに上の方が間に入ってくれました。やりとりはテキストのやりとりのみ。病院で診断書を1ヶ月ごとに発行してもらっているので、会社に事務手続き関連でファイルを送る際に体調などを簡単に報告する程度です。
それとは別に、会社の中で気にかけてくれる先輩の中で、こちらも気を使わずに会うことができる人とだけ定期的に会って近況を報告しています。気分が乗らない時は正直にその旨を伝えてお断りするようにしていて、それを相手も理解してくれるので、ありがたい限りです。

・無理して会ってもいいことはない

もちろん、会いたい人がいない場合は無理に会う必要はないと思います。
私は会う人を間違えて悲惨な目に遭ったこともあります。休職中に1度会った別の先輩は、面倒見が良く頼れる人ではあるのですが、私が休職初期から中期くらいのまだ休みたいタイミングで、少しずつ復帰したほうがいいとアドバイスをしてきました。何度も今は休みたいと説明しても、どうすれば復帰できるかを考えよう、の会が終わらず、とてもつらい時間でした。先輩に悪意がないことはもちろんわかっているけれど、ただただ地獄の時間で、とにかく早く帰りたくて仕方なかったです。結果、帰宅してから吐き気を催してしまいました。その先輩を含め、気が進まない相手とは、元気になるまでは会わないことを心に誓いました。


第7章 病院選び、通院について

・何よりも予約が取れること

病院選びで一番の難関は、予約が取れないことだと思います。私が住んでいる地域だけなのかもしれませんが、近所では予約が取れる心療内科がありませんでした。おそらく新規の枠はごくわずかしかなく、そこを求める人の数に対して圧倒的に不足している状態なんだと思います。
私が通っている心療内科は、グループ展開をしていて、とにかく予約が取りやすいことがメリットだと思います。都心の駅近くに多く展開しているので、電車やバスでの移動が必要でも通いやすいと思います。病院探しでお困りの方は、少し離れた場所も視野に入れて探されてみてください。
逆にデメリットとしては、予約が取りやすい分、1つの院の中でも医者の数が多く、○○先生は○曜日だけ、といった感じなので、いい先生(自分に合う先生)に巡り合えるかは運次第だと思います。私も半年くらいは先生を固定にせず、曜日を変えたりしながら色々な先生に診てもらいました。もちろん、細かい症状などの説明はその都度しなければいけない手間はありますが。今は、先生を固定して診てもらっているので、相談もしやすいです。

・「適応障害」から「うつ」へ

また、通院していく中で、最初は「適応障害」と診断されましたが、途中で「うつ」に診断名が変わりました。理由としては、環境の変化によって生じるのが「適応障害」で、その環境から離れても症状が続く場合、脳の機能低下が原因の可能性が高いため、だそうです。私の場合は通院期間が長かったのでそうなったんだと思います。
診断内容が変わる中で、薬の種類も変わりました。最初は効果の弱い薬から始めて、強いものに段階的に変えていき、「うつ」に変わったときに、脳の機能を高める働きのある薬に種類を変えています。


第8章 休職期間のお金事情

休職中に使えるお金は、貯金と傷病手当金の2つがあります。
傷病手当金を申請すれば、給料の8割をもらえます。私の場合は、会社の組合からでているので、会社の人事に書類を提出して、給与と同じように口座に振り込まれます。1年半の期限があるので、ずっと貰い続けられるわけではありませんが、この制度があるおかげで安心して療養することができています。会社によって制度の違いはあるのかもしれませんが、同じようなものはあるはずなので調べたほうがいいです。
好き放題に気の向くままにやりたいことをやってきたので、貯金の方はほとんどなくなってしまいましたが、これから稼げばいいだけのことです。


第9章 復帰に向けて

私は現在進行形で仕事復帰に向けて動いていますが、復帰先は、同じ会社の別の部署で復帰するつもりです。元いた部署に戻るのは、同じ結末を迎えることにしかならないと思っています。幸い、別の部署の方からお誘いの声をいただいているのでそちらに行こうと思っています。
もちろん転職についても考えましたが、今いる会社自体はそんなに悪くないと思っているので、別の部署の人間として会社に残る決意をしました。
復帰して、やっぱり違うなと思ったら転職すればいいし、転職するにも何するにもお金はかかるので、まずはお金を稼ぐところから始めます。


第10章 さいごに

私が伝えたいのは、休むことは逃げることでも恥ずかしいことでも何でもない、ということです。今の私は、休む前よりはるかに成長している自身があります。休んでよかった、とまで思えます。もし、今つらくて悩んでいる人がいたら、休んでもいいんだよ、って伝えてあげたいです。
あと、ゆっくり休ませてくれている会社にも感謝です。
以上、まとまりのない文章になっているとは思いますが、誰かの人生の助けになってくれれば幸いです。
そして、私のこれからの社会復帰も幸多きものになればいいなと思っています。

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