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わたしにとっての中島みゆきさん

新入り猫のおかげで「スキマゲンジ」の録音ができないので、私の性格形成の大部分を占める中島みゆきさんとのことを少し書いてみる(よそのSNSに書いたものの焼き直しだけどw)

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中学生の頃ひどくいじめられていて、学校へ行くのが苦痛でたまらなかった。できるだけ早く帰宅して部屋に籠ってラジオを聴きながら本を読むのだけが楽しみだった。そんなある日、ラジオから流れてきたのが中島みゆきさんの『アザミ嬢のララバイ』だった。声も歌詞も、かっこ良かったしやさしかった。

ララバイ ひとりで 泣いてちゃみじめよ
ララバイ 今夜は どこからかけてるの
ララバイ なんにも 考えちゃいけない
ララバイ 心に おおいをかけて
ララバイ おやすみ 涙をふいて
ララバイ おやすみ 何もかも忘れて
            (『アザミ嬢のララバイ』1975年)

なんて素敵なかっこいいお姉さま!と思いながら聴きほれていたら、曲が終ってインタビューに応えているご本人らしき人の声。

「うそやん!」と思った(笑)

絶対しゃべってもキリッとバシッとした感じの人なんだと思ってたら、インタビューに答えて、小さな声で口ごもるように照れているようにもぞもぞとしゃべってる。この瞬間、私は完全に恋に落ちた(少し違うw)ちなみに、オールナイトニッポンで有名な、あのしゃべり方は、少し後になって声の露出が増えてから身につけたものだったと思う。

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元々「完全無欠」っぽい人は苦手だった。だからグループサウンズだの新御三家だのっていうのは、それほど夢中にはなれなかった。

ラジオのパーソナリティで大好きだったのは小山乃里子さんという関西ローカルのアナウンサーさんだったけど、彼女もカラッとしているようでドジっ子だったり気の弱そうな部分が仄見えるから好きだった。小学校4年生の時の担任の小崎加奈子先生も大好きだったけど、強気の中に繊細さのある人だった(後になって、彼女は離婚して旧姓に戻って私の小学校に転勤したけれど,、当時のことなので「離婚するような人が担任するなんて」という非難の中で私たちを愛してくださっていたと知った)。

そしてみゆきさん。
こんなにやさしくつよく私たちにメッセージを送ってくれる素敵な女性……なのにこんなしゃべり方する人なんだ!この人は「あちら側」からエールを送ってくる人じゃなくて、私たちと同じところを、そして私たちの少し先を歩いている人なんだ!そう思った。

***

アルバムは出るたびに買った。みゆきさんからの直接のメッセージだと思って、恋人からの手紙を待ちわびるようにアルバム発売を待った。次のアルバムまでの間とにかく繰り返し聴いた。彼女のメッセージを聞き逃さないように。いつもみゆきさんは私の一歩半前を歩いていた。こんなひとになりたい、とずっと思い続けた。今も思い続けている。

恋をした時も、それを失った時も、人間関係に疲れた時も、目標を見失いそうになった時も、いつもみゆきさんの歌がある。時に励まし時になぐさめ、「私もそんな頃があったよ」と笑ってくれる。

適応障害うつ状態で職場がほんとうにきつかった時に出たアルバムが「ララバイ singer」(2006年)。

『とろ』『お月さまほしい』『重き荷を負いて』『ララバイsinger』というアルバム後半のラインナップは通勤の車の中で、何度繰り返し聴いて泣いたかわからない。

『重き荷を負いて』(中島みゆき)
足元の石くれをよけるのが精一杯
道を選ぶ余裕もなく
自分を選ぶ余裕もなく
目にしみる汗の粒をぬぐうのが精一杯
風を聴く余裕もなく
人を聴く余裕もなく
まだ空は見えないか
まだ星は見えないか
ふり仰ぎ ふり仰ぎ
そのつど転けながら
重き荷を負いて
坂道を登りゆく者ひとつ
重き荷も坂も
他人には何ひとつ見えはしない
まだ空は見えないか
まだ星は見えないか
這いあがれ 這いあがれと
自分を呼びながら 呼びながら
掌の傷口を握るのが精一杯
愛をひろう余裕もなく
泥をひろう余裕もなく
ひび割れた唇は
噛みしめるのが精一杯
過去を語る余裕もなく
明日を語る余裕もなく
がんばってから死にたいな
がんばってから死にたいな
ふり仰ぎ ふり仰ぎ
そのつど転けながら
重き荷を負いて
坂道を登りゆく者ひとつ
重き荷は重く
坂道は果てもなく続くようだ
がんばってから死にたいな
がんばってから死にたいな
這いあがれ 這いあがれと
自分を呼びながら 呼びながら
(繰り返し略)

「がんばってから死にたいな」……あの時死なずに済んだのは、みゆきさんのおかげかもしれない。その後、休職することにはなるんだけど(笑)

その後、彼女はもがき苦しみながら、2017年末に『相聞』という、たましいのひとつの到達点ともいえる(私が勝手にそう思ってる)アルバムを出した。『二隻の舟』でうたっていた愛のかたちの完成版だと思っている。

私はまだ彼女についていこうともがいている。後ろ姿もおぼろになっていた頃よりは、少し彼女に近づいた気はしている。とは言え、やっぱり彼女はまだ私の一歩半前を行っておられるのだけれど。

よく「それは中島みゆき教?」と聞かれたりする。宗教ではない。でも、私にとってのみゆきさんの位置を形容する言葉が見当たらない。「私にとってのみゆきさんのような」としか言いようがない。そんな関係で私は今日もみゆきさんの詞を読んで声を聞く。


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