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鑑賞眼を養いながら猫と本を読んでみる 見えない風を雲で感じながら

とある人がこういう事を語っていた。

「鑑賞眼が鍛えられていない世界ってロジックで埋まるじゃないですか。人がある程度不思議なことをしててもあ、この人面白いなぁと思うはずなんだけど、面白いなって思う余地を残さないんですよね。ロジカルアプローチって」

なるほどと思って調べてみた

「芸術作品を深く味わい、その価値などを明らかにし得る能力」

なるほど、薄味な幸せを味わいたいと思ってきた僕には必要な能力だし、そして薄味の幸せと感じていること自体がまだまだ未熟なんだなと思う。

ということで鑑賞眼を鍛える?養いながら本を読みたいと思う。今日のお供はこんな感じ。

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庭には太陽が昇ることを今かと待ちわびる草たち。葉が大きいものは足から包まれるような抱擁力がある。1か月ほど靴を履いていないので石垣島の人らしくサンダル焼けしてきた。

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隣には野良猫のはーちゃん。尻尾が“?“の形をしているからはーちゃんらしい。この子が毎朝安らぎを与えてくれる

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ここが今住んでいる家の庭からの景色。隣にはヤギがいて庭からは竹富島を眺めることができる。耳を澄ませば波の複雑な音を感じれる。

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ということでこの本の文字を撫でながら最近考えていることをつらつらと

僕たちには見えない風に思うままに曲げられる草のように僕たちは見えない手によって曲げられ苦しめられる
木は嫌がるかもしれないが人間は木のようだ
明るみを目指そうと高みを目指そうとすると
根は暗みへ深みへと向かう
だからこそ僕は根を張らず
湿度で生きる苔に惹かれているのかもしれない
いや、蝶のように風を感じて動きやすい心で
ひらひらと飛んでいくのもいいな。
石垣島に住めてよかった
見えない風を雲で感じ
触れれない湿度を苔で感じる


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