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異世界転生しないと自己実現ができないほど、現代人は弱くなったのか

 異世界転生の物語は割と古くから人気のあるジャンルだが、昨今の人気は凄まじい。
 所属コミュニティから追放されたと主人公が、別の世界のコミュニティで才能を発揮し幸せに暮らす…これが王道の物語だ。

 この創作の消費者はメインは自分のような30〜40代の世代であろう。
 この世代は社会人経験を通して浮世の辛さを熟知しているが故、このような甘い空想に目がない。
 夢まっしぐらで怖いものなしだった20代。
 しかしこの「怖いものなし」というのは、社会に出て実際に「怖いもの」に、触れたことがない故の精神的拙さのあらわれなのである。
 

ジェームズ・キャメロン監督『エイリアン2』より


 ジェームズキャメロン監督のSFホラー映画『エイリアン2』に登場する少女の台詞で、

「ママは怪物なんていないと言ってた。でもそれはウソ、本当はいるの。どうして大人はウソをつくの?」

というものがあったと記憶しているが、彼女の言う通り、怪物などこの世にいないというのは実は嘘であり、実際に怪物は存在する。
 保護者たちが子供の目の届かない場所に隠して守ってきてくれていた故に知らなかっただけだ。
 社会に出て職場に入れば怪物…つまりは人格の破綻した上司や同僚とのエンカウントは避けられない。
 そこで怪物と隣り合わせになってみて初めて「怖いものなし」、つまりは「無敵の人」ではなくなるのだ。
 そして怪物の存在を認知した冒険者は、より慎重さを身につけ、いかに怪物と会敵しないかを模索するようになる。
 それは場合によってはより良い職場への転職だったり、上級職への昇進だったりする。
 だが、能力なしにはより良い環境へは旅立てない。
 ちなみに「年齢制限なし・未経験者歓迎」の誰でもウェルカム職場の求人をよく目にするが、あれはあまりお勧めしない。
 「誰でもウェルカム」ということはつまり「馬鹿でも無能でも怪物でも入って来れる無法地帯」ということだ。
 難しい採用試験がある会社はそれがフィルターとなり魑魅魍魎が入ってくる可能性はより低いので個人的には苦労してでもそちらをお勧めする。

 だが、誰しも簡単に現状を捨てて転職できるわけではない。
 皆それぞれ事情があって現状にとどまらざるを得ない人々が大多数であろう。
 そんな状況の30〜40代の世代が鬱憤を溜めた結果、異世界での人生リセットを渇望するのだから、この手のフィクション作品の需要は増え続け、当然流行はより長期化する。

 自分は別にこの流行が続くこと自体は然もありなんであることは理解しているし、特段不快感もない(正直もうお腹一杯で飽きてはいるが)。

 個人的に引っかかるのは、昨今の異世界転生モノ、「異世界への転生と成功」と「過去の所属コミュニティへの復讐」がセットになりつつある点だ。
 主人公が自分の才能を今まで評価せずに虐げてきた過去のパーティを、完膚なきまでに叩きのめす…これが最近の流行りだ。

 この流行を鑑みるに、どうも現代人は不満のある職場への復讐を熱望しているようだ。
 自分はこの感情がよく理解できない。
 自分は恥ずかしながら職場を公務員→民間→公務員と2回転職している。
 当然大なり小なり不満があるから転職したのだが、過去の職場に復讐したいかと問われれば、それはない。
 寧ろ一切の興味はないし、関わりたいとは思わないというのが実際のところだ。
 終わったコミュニティに割く時間は不毛であると認識している上に、単純に思い出したくもない。
 故に理解ができないのだが、現代人は何故か過去に執着し、復讐劇を好む。
 復讐に割く時間で他に生産的なことをした方が良いと思うのは自分だけなのだろうか。

 また、これ加えて昨今の異世界転生モノでは、転生先ではそれまでなかったチート能力に目覚めたり、ビジュアルまで美男美女に変貌したりする。
 …いや、もうそれ別人じゃん。
 アイデンティティとかないんですかね…?
 そこまで現代人は自分に自信がないのだろうか。
 ビジュアルと能力に自信がないから、親が腹を痛めて産んだ肉体を捨て、生きた軌跡を捨て、全くの別人としての人生を歩むことに夢を抱く。
 なんというか…攻殻機動隊で言う〝ゴーストをなくしてしまった〟抜殻の人間に成り果ててしまったように思えてならない。
 現代を生きる若者世代の絶望の深さと怨嗟が、昨今の復讐劇+異世界転生モノという歪な形で出力されてしまっているように感じる。

ユーサフ・カーシュ撮影『唸るライオン』
(カナダ国立図書館・文書館蔵)

 かの英国の首相ウィンストン・チャーチルの言葉に

「資本主義は醜悪な政治形態だが、他よりはマシ」

というものがあるが、個人的には我々が生きる資本主義社会は少なくとも別人になり変わらずとも、凡人でも努力と戦略でそこそこ成功できるようなゲームバランスに仕上がっていると思う。
 だが一点だけ注意せねばならないのは、ゲームシステムの仕様上、感情よりも合理性を優先できる能力がなければ、プレイヤーとしては勝ち進めないという点だ。
 「失恋して辛いから今日はギターの練習をサボろう」などというスタイルではいつまで経ってもギターの腕は上達しない。
 感情を優先し復讐に執着している暇があったら、その時間バイトで小遣い稼ぎでもしていた方が遥かに合理的だ。
 つまりは何が言いたいかと言うと現実世界、とりわけ資本主義社会において復讐劇はあまりに利益が少ないということだ。
 異世界に別人として転生してチート能力を発揮して復讐などせずとも、自己実現が十分可能な世界の上に我々は立っている。
 そして少なくとも自分は、復讐の鬼と化した超人主人公よりも、ひたすらに幸福を追い求める凡人主人公の方が好感が持てる。


 まあでも、デスノートを1ページだけ渡されて「1人だけ名前を書きなさい」と遥か遠い宇宙の上位存在に強要されたら、自分は迷わず前の職場のお局の名前を書くが。


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