モミの木は残った
モスクワもいよいよ、街中がツリーだらけである。
ロシアではクリスマス、正月、ツリーの関係は少々ややこしい。かつてはヨーロッパと同様にクリスマスを祝い、帝政末期にはクリスマスツリーも浸透しつつあった。1917年の革命後は次第にクリスマスを祝うのは憚れるようになり、やがてツリーも負の遺産とされて一旦は姿を消す。しかし1935年の末に急遽、新年を祝う飾りとしてツリーを復活させる事が決定。36年の新年から、役割を新たにして再登場となった。
以後、「新年ツリー」(Новогодняя ёлка)として完全に定着して、現在に至る。
話は少々逸れるが、クレムリンの象徴の1つは、尖塔の頂点を飾る赤い星であろう。もともと、帝政時代のクレムリンの尖塔の頂を飾っていたのは、ロシア帝国の国章である「双頭の鷲」だった。これらクレムリンの「双頭の鷲」が撤去されたのは意外と遅く、1935年の10月である。代わりに4つの尖塔には、槌と鎌のソ連国章をあしらった金属製の☆が掲げられ、ほどなくして現在と同じ、照明付きの赤いガラス製の☆に代わった。
帝政時代のツリーの天辺にはベツレヘムの星が飾られていたが、ソ連の新年のツリーには、復活直後から赤い星の装飾が奨励された。クレムリンの尖塔が意識されていたであろう事は想像に難くない。
ソ連のツリー飾りは1960年代半ばまでは手工業製品であり、特徴的なモチーフの面白さから、コレクターの人気は非常に高い。60年代半ば以降は大量生産の時代に入り、デザインも画一化していったため、人気はイマイチらしい。実はこれらソ連中期以降の大量生産品も、独特のデザインが可愛らしく楽しいのだが、本章では(間に合わなかったので)扱わない。
以下、数年前の展示会で撮影した写真に解説を添えてご紹介したい。カメラが不得手で、写真がド下手クソなのはご容赦願いたい。
なお、戦時中は針金細工のオーナメントが作られたという話も聞いたが、この展示会では、それはもっと昔だと言われた。改めて調べないといかんなあ(と言いつつ、もう数年経っている)。
…ちょっと思った以上に写真の出来が悪くて心が折れそうだが、もうちっとだけ続くんじゃ。
60年代あたりからは、宇宙開発の成果がデザインの世界にも広く影響し、もちろんツリーオーナメントにも、宇宙テーマのブームがやってくる。レトロな形のロケット、宇宙飛行士や惑星の形の飾りは、正にこの時代ならでは。(なぜか手元に写真が無い。手ブレに耐えかね削除したのだろう。)
現在とは一味も二味も違うソ連のツリーオーナメントは、実にバラエティに富んでいる。時代を反映したオーナメントは、単なるノスタルジックなインテリア以上の味わい深い世界なのだ。
関連リンク:
https://togetter.com/li/764824 (雑貨屋Mitteさん)
https://togetter.com/li/760437 (かつてtwitterに投稿したものを、速水螺旋人先生にまとめていただいたもの)
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